本田理沙が人気アイドルだった若かりし時代とは!本名やプロフィールは?
本田理沙が人気アイドル?グラビアアイドルとして輝いた若かりし時代!
本田理沙は、1980年代後半から1990年年代を中心に活躍したアイドルです。若い世代には馴染みがないかもしれませんが、40代くらいの男性ならばピンとくる方も多いでしょう。
1988年に、「Lesson2」でアイドル歌手として15歳でデビューしていますが、本田理沙の人気の源は、なんといってもグラビアアイドルとしての活動でした。ちょっとあどけない可愛い顔立ちで披露するのが、スタイル抜群のセクシーなボディとあって、多くの男性はそのアンバランスな魅力メロメロになりました。
本田理沙の本名やプロフィールは?出身校の同期は高岡早紀!
グラビアアイドルとして世の男性を魅了した本田理沙も、現在はいわゆる熟女といっていい年齢になっています。生年月日は1971年5月27日で、出身地は大分県。本名は本田こずえです。元アイドルらしく、芸能人が多く通うことで有名な堀越高校を卒業しており、同期には、高岡早紀や田中律子、西田ひかるといった面々が並びます。
15歳でデビューしてから20年ほど芸能界で活躍していましたが、実は26歳のときに、結婚を機に一時は引退している本田理沙。2008年に芸能界に復帰していますが、活動の中心は地元大分に移しています。
本田理沙の結婚・離婚歴!子供や現在の芸能活動は?
本田理沙は結婚・離婚歴2回!波乱万丈すぎる人生
グラビアアイドルとして人気絶頂だった1997年、26歳のときに、結婚したことを機に一度は芸能界を引退した本田理沙。しかし、結婚後わずか4カ月で、結婚相手が銃刀法違反で逮捕されるという波乱万丈な人生を送っています。本田理沙は知らなったと伝えられていますが、1度目の結婚相手はなんと反社会組織の幹部だったとか。
ちなみに本田理沙に彼を紹介したのは、2016年に覚せい剤取締法違反で逮捕された高知東生でした。夫との間には娘が誕生しますが、その後離婚。2002年に再婚を果たして娘が誕生しますが、こちらも離婚してしまいます。現在は、女手一つで、2人の子供を育てているそうです。
本田理沙が地元へ帰ったわけ!子供や現在の芸能活動は?
実は芸能界から離れていた期間に2人の子持ちのシングルマザーになっていた本田理沙。2度の結婚と離婚を経験するなど、波乱万丈の人生を歩みつつも、子供はしっかり育てていたようで、すでに長女は立派に成人しています。そんな本田理沙は、現在は芸能界に復帰し、ラジオパーソナリティー等のタレント活動をこなしながら、タレント育成スクールの代表も務める等、仕事は順調な様子です。
実は、2008年の芸能界復帰当初は、都内の芸能事務所に所属し、東京を拠点に仕事を再開していた本田理沙。しかし、その直後に実家の父が亡くなり、実母のために地元の大分に戻って以降は、地元大分を中心に活動しています。
本田理沙がかかえているトラウマとは?芸能界をやめた本当の理由
かつてグラビアアイドルとして一世を風靡した本田理沙は、26歳のときに、一時は芸能界を引退しています。引退の理由は、表向きは「結婚」とされていましたが、本当の理由は、深刻なストーカー被害でした。2017年5月8日に出演したフジテレビのバラエティ番組「バイキング」で、本田理沙は、その被害を赤裸々に語っています。
エレベーターに同乗した見知らぬ男から、「動くな、俺はナイフを持っているから」と羽交い絞めにされて身体を触られたこともあれば、住居に侵入されたこともあったとか。その住居侵入事件が原因で、本田理沙は今に至るまでトラウマを抱え続けていると言います。
住居侵入事件が起こったのは、本田理沙のグラビアアイドルとしての人気絶頂期でした。その夜、本田理沙は、自宅のマンションのベッドに横になり、リラックスしてテレビを見ていました。すると、暗くしていた部屋に、突如懐中電灯の赤い光がともり、ドアがすっーと開いて男が侵入。悲鳴をあげて逃げ出した本田理沙が、2階のベランダから助けを呼んだちょうどその時、階下の道を友人と一緒にたまたま自転車で通りかかったのが俳優の金山一彦でした。
異常事態だと察した金山一彦は、「僕が受け止めてあげるから!降りて!」と叫び、本田理沙を窮地から救ったそうです。助けだした後に、金山一彦が、「あれ?本田さんだよね」と声をかけますが、本田理沙は恐怖のあまりガタガタ震えたままだったとか。警察が調べたところ、犯人は、隣家の壁の隙間を使って2階にあがり、風呂場の小窓の網戸を切り取って住居に入り込んだ模様で、結局捕まりませんでした。
こういったストーカー被害で本田理沙のメンタルはボロボロになり、ついにはストレスで突発性難聴まで発症してしまいます。加えて、ファンが怖くなってしまった本田理沙は、「結婚して引退という形が一番収まるのかな」と考え、引退を決意しました。今でもこの時の恐怖は心の傷として残り、事件の時に見たような「赤い光」を目にすると、何も聞こえなくなるなどの感音性難聴が起こると明かしています。
2度目の離婚を経験した後で、2人の子供を育てるために芸能界復帰を決意しましたが、「知り合いばかりがいる地元で、まったりとしたペースで生活しています」と明るく語り、以前のような不安はないようです。特にラジオでは、「本田理沙のマンマミーア!」「美酒処 本田」と2本の番組で5年以上もメインパーソナリティを務めており、しっかり地元に根付いている様子が見受けられます。
芸能界への復帰当初は、「FLASH」でグラビアを披露し、都内の芸能界事務所に所属して第一線で活躍する予定だった本田理沙。しかし、地元へ戻っての活動が軌道に乗っている様子を見ると、この決断は本田理沙にとってよいものだったことは間違いないでしょう。