細野晴臣の結婚、子供は?祖父はタイタニックに乗っていた?!

細野晴臣が結婚した妻や子供は?祖父はタイタニックに乗っていた?

細野晴臣の祖父は、日本人唯一のタイタニック号乗客で生存者!

細野晴臣は、意外に手堅く、24歳で一般女性と結婚。子供は一人。娘がいて、すでに孫もいるようです。細野晴臣一族の中で変わったエピソードを持つのは、祖父の細野政文氏。なんと細野晴臣の祖父は日本でただ一人、タイタニック号に乗った乗客であり、その生存者であったのです。しかし本人は、他の遭難者を押しのけて助かったという誤報が日本に伝わり、言われなき非難を受け、苦難の人生を歩まれたといわれています。

細野晴臣は、J-POP界のパイオニアで偉大な功労者

細野晴臣が登場する1960年代の終わり、日本では、プロのミュージシャンではない高校生や大学生が、ギターやエレキギターを手にし、バンドを組んで自ら歌をつくるようになりました。J-POPの黎明期です。この黎明期に、その後のバンドの原型になるような伝説的バンドがいくつか誕生します。

細野晴臣は、今でこそYMOのリーダーでありベーシストとして有名ですが、これら伝説的バンドに複数参加していたJ-POPのパイオニアです。1947生まれで68歳となった細野晴臣は、まさに団塊世代に属します。細野晴臣が参加していたバンドは、「エイプリル・フール」、「はっぴいえんど」、「ティン・パン・アレイ」、そして「YMO」。

その他にも多くのユニットがあります。細野晴臣と同じバンドに参加していたメンバーたちは、ミュージシャンとしてだけでなく、例えば音楽プロデューサーの大瀧詠一や松任谷正隆、松田聖子の歌の作詩で有名な松本隆など、裏方としてもその後のJ-POP業界を支えてきました。細野晴臣の活動も、YMOをはじめ多彩を極め、今では大学の客員教授なども務めています。

細野晴臣の使用ベースは?YMO細野晴臣のスゴさとは

細野晴臣は、名ベーシストであり優秀な音楽エンジニア

細野晴臣は、「はっぴいえんど」時代、世界初のエレキトリックベースを開発した、フェンダーのプレシジション・ベースを愛用していたそうです。しかし、細野晴臣のすごいところは、YMO時代、自ら音楽エンジニアとして、シンセサイザーやシーケンサーを駆使し、さらにスティービー・ワンダーが1番のシリアルを持っていたというE-MUのEmulator Iというサンプラーまで使いこなしていたことです。

細野晴臣のコンピュータ演奏技術は、世界のアーティストが注目していた

細野晴臣のコンピュータを使った演奏技術の凄さは、海外のビックアーティストにも知れ渡りました。YMO全盛期には、ポール・マッカートニーから、自宅でYMOのライブを演って欲しいというオファーがあったり、ローリング・ストーンズのビル・ワイマンから、日本公演のときにぜひ楽屋に来てくれと誘われたり。さすがに一人で行くのは照れ臭いと感じた細野晴臣は、どういうわけか、誰を連れて行ったらよいか占ってもらい、忌野清志郎が良いということになって、一緒にローリング・ストーンズの楽屋を訪ねたそうです。

細野晴臣はベース、シンセベースやキーボードはいうに及ばず、ギター、ピアノ、オルガン、ドラムス、ヴィブラフォーン、シロフォン、三味線など、そのどれもが玄人はだし。生まれながらの演奏センスの持ち主といえます。おまけに、俳優としてテレビドラマや映画への出演や、TV番組やコマーシャルのナレーターとしても重宝されています。まさにマルチタレントの先駆けといった存在ともいえるでしょう。

細野晴臣、久々のエッセイ集「アンビエント・ドライヴァー」を出版

細野晴臣のもう1つの大きな才能が、文筆家としての才能です。つい最近も、ちくま文庫から「アンビエント・ドライヴァー」というエッセイ集を出しました。解説には、細野晴臣の愛弟子とも言えるテイ・トウワが、そして帯文は、コーネリアスの小山田圭吾が担当するという豪華布陣。

テイ・トウワ、小山田圭吾という人気アーティストのリスペクトからも、細野晴臣の偉大さがわかるというものです。細野晴臣の著作は、エッセイだけでなく、「録音術-ぼくらはこうして音をつくってきた」のような音楽エンジニアの向けのハードな内容のものや、レゲエバンドを率いる鈴木惣一朗との音楽よもやま話である「分福茶釜」や「とまっていた時計がまたうごきはじめた」。また最近人気急上昇の、ミュージシャンであり俳優の星野源との対談集「地平線の相談」など、多岐にわたります。

書いても話しても、細野晴臣にとって音楽の話題は尽きることがありません。新作エッセイの題名となった、「アンビエント」とは、アンビエントミュージック、環境音楽のことであり、「ドライバー」は、文字通り運転者。半世紀に及ぶ音楽活動を経て、細野晴臣は今、ブライアン・イーノに代表されるような環境音楽の新たな地平を目指して旅するドライバーのような気分なのでしょう。自ら音楽を愛し、また音楽の神に愛され続けた男、細野晴臣。彼の音楽は、これからも進化を続けていくことでしょう。

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