池田理代子 「ベルばらは生活の糧のため!」目標は声楽で紅白出場!

池田理代子「ベルばらは生活の糧のため!」目標は声楽で紅白出場

池田理代子が描いた少女漫画界空前の大ヒット「ベルサイユのばら」実は生活の糧のため?

時は1972年、漫画女子たちのバイブルであった『週刊マーガレット』(集英社)に、ある歴史漫画がスタートします。当時は恋愛モノが中心であり「歴史漫画は売れない」との不評を覆し、少女漫画界に大旋風を起こしたこの作品こそ、今なお不動の人気を誇る少女漫画のレジェンド「ベルサイユのばら」でした!

作者は大御所の池田理代子。実は池田理代子は学者を目指して東京教育大学に入学したものの、父親から金銭的援助を打ち切られてしまい、生活費を稼ぐために漫画を描き始めたのだとか。デビューしたもののヒット作には恵まれず、下積み生活が長く続きましたが、起死回生のパンチのごとく打ち出した「ベルばら」は宝塚歌劇団の舞台化が大ヒットしたことも拍車をかけ、アニメ化、劇場版アニメ、果ては実写版映画化と社会現象を巻き起こすほどの空前のブームを起こします。

生活のために出した苦肉の策とはいえ、人生は分からないものですね。ヒロインである男装の麗人「オスカル」と彼女を恋慕う幼馴染の「アンドレ」。二人の切なすぎる運命に当時の乙女?たちは胸をキュンキュン焦がしたものでした。

池田理代子の次なる野望は声楽で「紅白出場」!

若くして一躍時の人となった池田理代子でしたが、40歳を過ぎて次なる人生を考えた時に「やりたい」と心から欲したのが「声楽の道」でした。元々音楽は好きでしたが、今までの劇画キャリアを全て捨ててもいいものか5年間考え抜いた結果、何と47歳で音大を受験することを決意!

そして、人生で一番勉強して東京音大に見事合格。卒業後、池田理代子は舞台やソプラノ歌手としてご活躍ですが、音楽活動は赤字で、所属プロダクションの社長からは「音楽を辞めたら給料をアップします」と言われているとか。それでもご本人の目標は「紅白出場!」と強気の姿勢を貫いています。

池田理代子「妖子」「聖徳太子」「おにいさまへ」あらすじとネタバレ感想

池田理代子の作品「妖子」「おにいさまへ」のあらすじとネタバレ感想

「妖子(あやこ)」は1978年に『週刊セブンティーン』に掲載された、池田理代子の作品です。悪魔と女死刑囚との間に生まれたヒロイン「妖子」が、母親の企みによって旧華族の赤ん坊とすり替えられ、裕福な旧華族の令嬢として何不自由ない生活を送るのですが、ある事件をきっかけに本当の娘ではないことが暴露されてしまいます。

自分を亡き者にしようとする旧華族との闘いに、ヒロイン妖子が、悪魔の知性と美貌を武器に挑むという話なのですが、残念ながら未完に終わっているようです。何しろ「ベルばら」大ヒットの後ですから、さすがの池田理代子でも最後まで連載できない作品もあるのですね。

一方「おにいさまへ」は1974年から『週刊マーガレット』に連載された作品で、名門女子高を舞台に、お互いの家柄や血筋にこだわるお嬢様育ちの主人公たちが、嫉妬や人間関係のもつれを通して成長していく物語です。ちなみに「おにいさま」というのは、主人公奈々子が通った塾の講師で大学生の辺見武彦のこと。

奈々子は武彦をおにいさまと慕い、武彦は奈々子の心の支えになろうとします。この作品は1991年にアニメ化され、フランスでも放映されました。

池田理代子の作品「聖徳太子」にパクリ疑惑?

東京オリンピックエンブレム問題でにわかに脚光を浴びた「パクリ疑惑」ですが、池田理代子の作品「聖徳太子」(1992)でも、ネット上で同じく盗作問題が取り立たされています。元々聖徳太子に関しては山岸涼子先生が出版された「日出処の天子」(1984)が余りにも有名でしたので、その後に出た「聖徳太子」が色々な面で酷評されるのは致し方ないのかもしれません。

加えて聖徳太子ゆかりの法隆寺や四天王寺は、池田理代子のお父様の故郷にあり、幼い頃から親しんだお寺。思い入れも強いとお見受けします。「盗作ああだこうだ」とネット上で言われていますが、歴史上の人物を忠実に描けば似たところも出てくるのではないのでしょうか。エンブレムのように新しく創造するのとは異なる気がします。

池田理代子「ベルばら」の栄光 失意の逃避行 たどり着いた「おまけの人生」

20代半ばという若さで漫画界空前のヒット作を世に出した池田理代子ですが、その後は波乱の人生が待ち受けていたようです。世間では余り知られていないようですが、一時的に姿を隠した時期がありました。当時は「謎の失踪」と週刊誌などで叩かれましたが、故郷の大阪に身を隠していたそうです。

「お金がいつまで続くか分からなかったから、大衆食堂で定食のお皿に盛られたキャベツを一筋も残さずに食べた」。雑誌でのインタビュー記事を読んで「あの池田理代子がこんなにも追い詰められていたのか」と衝撃を受けたのを覚えています。女性でいうと更年期の時期だったのでしょう。漫画家は想像を絶する苛酷な職業。池田理代子は、心身のバランスを崩して鬱状態だったではないでしょうか。

昨年、池田理代子は『ベルサイユのばら』待望の11巻を40年ぶりに新刊として刊行しました。「『ベルばら』はナポレオンの死まで描きたかったのだけれど、連載の都合で切られてしまったの」……今となっては信じられない事実ですが、当時の少女漫画の世界は厳しかったのですね。

「ベルばら」で果たせなかった想いを、次作「オルフェウスの窓」で完全燃焼させた池田理代子は「よし、これからはおまけの人生。本当にやりたいことをやろう!」と決意。それが、47歳にして果たした東京音大合格だったのです。「本当にやりたかったら、死んでも一歩踏み出さなければならない!」池田理代子の志は、波乱の人生を華麗に生き抜いた『ベルばら』のヒロイン「オスカル」と共に、いつまでも私たちの心に生き続けることでしょう。

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