池波正太郎のおすすめ作品一覧!真田太平記記念館はファン必見!

2016年12月12日 更新

池波正太郎のおすすめ作品一覧!真田太平記記念館はファン必見!

池波正太郎の代表作は「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人梅安」の3シリーズ

池波正太郎は、1990年に没した時代小説家です。最近また復活の兆しがありますが、昭和60年代から70年代にかけて、時代小説や剣豪小説が人気を博していた時代がありました。多くの有名作家がいましたが、今も名が残り、人気が衰えないのは、池波正太郎でしょう。

代表作は、なんといっても、盗賊改方長官・長谷川平蔵と配下の同心や密偵たちによる捕物活劇「鬼平犯科帳」、老剣客秋山小兵衛とその息子秋山大治郎の活躍を描いた「剣客商売」、そして闇の殺し屋「仕掛人梅安」の三大シリーズです。各作品ともに、月刊誌や週刊誌に連載され、一話読み切りのスタイルで、「鬼平犯科帳」は、短編130話に長編5作品。「剣客商売」は、短編110話に番外長編の2作品、「仕掛人梅安」は、全20話を擁する、膨大な作品群です。

また、それぞれがテレビ時代劇にもなっています。作品が書かれ始めた初期から現在に至るまで、当代の人気俳優が主役を務めて、何度もドラマ化され、人気シリーズとなりました。中村吉衛門の長谷川平蔵役が最高傑作とされているのが「鬼平犯科帳」です。

1987年から制作された同シリーズは、今年の暮れ、通算制作本数150本をもって大団円を迎えます。また「剣客商売」は、近年、藤田まことに次いで北大路欽也が秋山小兵衛を務め、シリーズは今も継続中です。そして「仕掛人梅安」は、かつて緒方拳が演じて人気になったばかりか、その後のオリジナルドラマ「必殺仕置人」シリーズへと続き、一大ブームを巻き起こしました。

池波正太郎がすでに1974年から1982年にかけて書いていた「真田太平記」

池波正太郎の「真田太平記」も忘れてはいけません。今年はNHKの大河ドラマ「真田丸」が大人気ですが、池波正太郎は、1974年から1982年に掛けて、すでに「真田太平記」を執筆していました。当時、池波正太郎は、「折りにふれ、上田の人々の顔をおもい、上田の町をおもうことは、私の幸福なのである」と述べています。

その想いに答えたのが、池波正太郎が「真田太平記」を執筆していた当時、資料収集に協力した地元の古書店店主たちでした。彼らが発起人となって、真田氏が治めた長野県上田市に設立したのが、1998年に開館した池波正太郎真田太平記館です。館内には、往事を偲ぶ様々な資料や展示がなされ、人気の観光スポットとなっています。

池波正太郎の生い立ちや経歴!劇作家から小説家へ!

池波正太郎の遊び心は株屋の丁稚時代に培われた

池波正太郎は、1923年生まれで、晩年は巨匠然とした佇まいでしたが、1990年、まだ67歳の若さで亡くなっています。東京は浅草の生まれ。父は、錦糸問屋に勤める番頭でした。やがて両親は離婚。池波正太郎は母に引き取られ、1935年、小学校を卒業後に奉公に出て、最初は株式現物取引店に入りますが、半年でペンキ屋に転職。その後再び、株式仲買店の松島商店に入ります。株式仲買店とは、今でいうところの証券会社です。

以後、池波正太郎は、少年期から青年期を、兜町で株屋の小僧として働きます。また、内緒で手張りして儲けた金で、銀座の洋食屋を手始めに、近隣のうまいものを食べ歩き、映画に、歌舞伎、新国劇や新劇などの舞台見物、果ては吉原の遊郭通いまで、およそ同年代では到底経験できない、贅沢な遊びを学びます。後に、小説を書く上で、この頃の遊びが大きな肥やしになったことは言うまでもありません。

しかし、1942年になると、戦局は悪化。池波正太郎は、国民労働研修所に入れられ、旋盤機械工として働いた後、横須賀海兵団に入りました。幸いなことに、池波正太郎は、鳥取の米子で内地勤務となり終戦を迎えます。時に池波正太郎、22歳でした。

池波正太郎は都庁の職員でありながら新国劇の脚本・演出を手掛けていた?!

池波正太郎は、1946年、東京都の職員となり、そのかたわら、「瞼の母」や「一本刀土俵入り」で有名な新国劇の劇作家である長谷川伸を訪ねて、師事を仰ぎます。まだ大らかな時代であったようで、池波正太郎は、公務員として働きながら戯作活動を行い、新国劇の演出も手掛けるようになります。そして1955年、10年勤めた都庁を辞めた池波正太郎は、本格的に文筆業を開始し。1960年、「錯乱」によって直木賞を受賞します。

さらに1967年には、「鬼平犯科帳」、1972年には「剣客商売」や「仕掛人梅安」の執筆がスタートするなど、1960年代、1970年代を、人気時代小説家として席巻します。こうして池波正太郎は、亡くなるまで、時代小説の大家としての名声をほしいままにしました。

池波正太郎も絶賛!歴代No.1長谷川平蔵、中村吉衛門の「鬼平犯科帳」が今年末で終了に

池波正太郎が生み出した、最高傑作との呼び声も高い捕物活劇「鬼平犯科帳」。先日、「鬼平犯科帳THE FINAL」として、いよいよ年末に最終回を迎えるドラマ「鬼平犯科帳」の記者会見が開かれました。永く主演の長谷川平蔵役を務めた人間国宝の中村吉衛門は、インタビューに答え、「長いようで、あっという間でもありました」「今は終わったんだなと、半分ボーっとした感じです」と、その心境をしみじみと語っています。

中村吉衛門の「鬼平犯科帳」は、1989年7月から2015年12月までに、連続ドラマが137本、単発スペシャルドラマが12本制作されました。そして今回放映される、前編「五年目の客」と、後編「雲竜剣」に分かれた「THE FINAL」を1本として数えると、通算150本。これをもって、その有終の美を飾ることになりました。

「鬼平犯科帳」は、中村吉衛門の父である松本白鸚が初めて長谷川平蔵を演じて以来、丹波哲朗、萬屋錦之介が演じてきましたが、再度ドラマ化するにあたっては、原作者の池波正太郎が、中村吉衛門を直々に指名。中村吉衛門は、一度は断ったものの、再び池波正太郎に勧められ、45歳の時より長谷川平蔵を演じました。

そして現在、中村吉右衛門の「鬼平」は、池波正太郎のみならず、時代劇ファンから、歴代最高と賞されています。「鬼平犯科帳」は、中村吉衛門だけでなく、他のキャストやスタッフたちも一丸となって、本物の時代劇を作ろうとする気概と、こよなく時代劇を愛するファンの思いが詰まった最高の時代劇でした。

しかし残念ながら、佐嶋忠介役の高橋悦史や、相模の彦十の三代目江戸家猫八、小房の粂八の蟹江敬三など、番組を支えてきた多くの名優たちが、ここ数年で次々と亡くなっています。また、豪快な立ち回りが見どころの「鬼平犯科帳」で、無様な殺陣をみせないうちに幕を引きたいという中村吉衛門の強い意向もあり、番組の終了が決まったようです。

中村吉衛門は、インタビューの最後に、長谷川平蔵と自らを比べ、こう結んでいます。「悪を倒すだけでなく、悪の中に善を見出し、弱い者を同じ人間と見て助ける。そんな鬼平みたいに生きられたらいいなと憧れます」。

関連記事

ページ上部へ戻る