井上順が30歳下彼女と結婚?元妻・青木エミも祝福?!
井上順70歳を前に30歳年下彼女と結婚か?!
井上順は、伝説のグループサウンズグループであるザ・スパイダースのメンバーだったタレントです。1970年、ザ・スパイダース解散後は、ともにボーカルを務めた堺正章ともども、テレビ界に進出。マルチタレントとして、歌手、俳優、コメディアン、司会者として活躍します。
中でも、フジテレビ伝説の歌番組「夜のヒットスタジオ」では、1976年から1985年まで、吉村真理と司会を務め、人気を博しました。1969年、井上順は、当時、資生堂のトップモデルであった青木エミと結婚しましたが、13年におよぶ結婚生活の果てに、1982年に離婚。以後35年間、独身を貫いています。
しかし2014年、30歳年下の彼女がいることを、スクープされた井上順。現在まで、噂の女性との結婚する様子はなく、大人のつき合いを続けているようです。さすがに最近は、井上順も、かつてほどテレビに出なくなりました。そのため、病気説も出ていましたが、熱愛がスクープされるなど、いたって元気な様子です。
しかし、数年前から感音性難聴になり、現在は、補聴器を装用して仕事をしていることを、井上順本人が明かしています。
井上順は伝説のGS「ザ・スパイダース」メンバー!堺正章とともにツインボーカルだった
井上順は、1947年生まれで69歳。歌番組にバラエティ番組と、軽妙な芸風で、活躍してきました。どんな時代にも、最先端のファッションに身を包み、都会の盛り場を闊歩する、おしゃれな若者たちがいます。1950年代の終わり頃から1960年代のはじめにかけては、東京六本木にある、伝説的なイタリア料理店「キャンティ」に集まるおしゃれな若者たちがいました。
彼らは、やがて「六本木野獣会」と呼ばれるようになります。最近の半グレ集団などとは全く異なり、あくまで、おしゃれや音楽、遊びが目的で、若者のトレンドリーダーのような存在でした。「六本木野獣会」のメンバーには、やがて俳優となる峰岸徹や中尾彬、大原麗子、小川知子、ムッシュかまやつや、レーサーで早逝した福澤幸雄などがいました。
その仲間に、すでに13歳の時から入っていたという、おませでお金持ちのぼんぼんが、井上順でした。1963年、井上順は、成城高等学校在学中に、ムッシュかまやつがいたザ・スパイダースに、自ら加入を申し出ます。こうしてザ・スパイダースは、井上順と堺正章のツインボーカルと、2人の軽妙なMCで、グループサウンズのトップグループとして君臨するようになりました。
井上順の若い頃はハーフ風イケメン!峰岸徹との関係は?
井上順は「六本木野獣会」でマスコットボーイ的存在だった?!
井上順は、彫が深い甘いマスクで、スタイルもよかったことから、ハーフという噂もありましたが、ハーフではありません。井上順の祖父は、日本に初めて競馬を持ちこんだ人物で、父親は馬場専属の獣医師、なんと代々木公園の前で馬場を営むという、かなり裕福な家庭の生まれです。麻布で育ち、六本木界隈では、小学生ぐらいから一端の遊び人きどりだったという井上順。おそらく「六本木野獣会」では、マスコットボーイ的存在だったのでしょう。
井上順の兄貴分はあの峰岸徹なの?!
井上順を弟のように可愛がり、その後も親交が続いたのが、俳優の峰岸徹です。彼もまた井上順同様、銀座の料亭の息子という良い家の育ちで、暁星学園を卒業し、日本大学芸術学部在学中に、映画デビューしています。当時の峰岸徹は、亡くなった日活の大スター、赤木圭一郎の生き写しだと、話題になりました。
しかし、あまりに端正な二枚目のため、デビュー後しばらくして、俳優として不振に陥ってしまった峰岸徹。その後は、癖のある悪役などもこなせる脇役として活躍していました。また、峰岸徹は、19歳で自殺したアイドル、岡田有希子の交際相手ではなかったかと騒がれたことも。プレイボーイとして名をはせた峰岸徹も、2008年、65歳の若さで、肺がんのため亡くなっています。井上順は、峰岸徹に劣らず、70歳を前にしても、派手なジャケットにスカーフが似合うダンディなぶりです。
井上順が久々の大河ドラマ「真田丸」で謎の軍師「織田有楽斎」を演じる!
井上順は、ここ最近、年に数本ドラマに出演する程度ですが、年齢を重ねるごとに、役柄も少しずつ変わってきました。ひょうきんで二枚目半的若者の役から始まって、女性にはだらしないけど、人のいい中年のオジサン役。そして最近多いのが、笑顔の下に、裏の顔を持つ謎の男の役です。実は井上順は、10月23日の放映分から、NHK大河ドラマ「真田丸」に出演しています。
いよいよラストを迎え、さらに盛り上がりを見せるドラマの中で、重要な役回りとなる、織田有楽斎役です。織田有楽斎とは、織田信長の弟にあたり、なかなか魅力的で謎の多い人物です。前半生はあまりよく知られていませんが、千利休から直接、茶を学び、利休十哲の1人にも数えられています。関ヶ原の戦い以後は、自分にとって姪にあたる淀君のいる豊臣方につき、豊臣秀頼を補佐していました。
そして、大坂冬の陣では、苦労して和睦を成立させましたが、強硬派と対立。また、徳川方との内通も疑われ、ついに、大坂夏の陣を前に、「誰も自分の下知を聞かず、もはや城内にいても無意味」として、大阪城を出ます。その後は隠居し、死ぬまで悠々と茶道に専念したそうです。
織田有楽斎最大の謎は、なぜ彼が豊臣を裏切ったのかという点に尽きます。やはり、徳川方のスパイであったのか、真の平和主義者であったかという点です。今でも評価が定まらないこの不思議な人物を、井上順がいかに演じるのか。最近の役どころの集大成としても、「真田丸」における井上順の演技が楽しみになりそうです。