岩井秀人のプロフィール!父親とひきこもりの壮絶過去!
岩井秀人のプロフィール!桐朋学園大学で演劇を学び劇団「ハイバイ」を主宰
岩井秀人は、劇作家・演出家・俳優であり、劇団「ハイバイ」の主宰者です。2012年のNHKドラマ「生むと生まれるそれからのこと」の脚本を手がけて第30回向田邦子賞を、2013年の「ある女」では「演劇界の芥川賞」ともいわれる第57回岸田國士戯曲賞を受賞しています。
岩井秀人は、1974年6月25日生まれで、東京都小金井市出身。2001年に桐朋学園大学演劇科を卒業し、2002年に「竹中直人の会 月光のつつしみ」に代役参加して口語演劇の世界に入りました。2003年には、自らが主宰する劇団「ハイバイ」を結成。「ハイバイ」のすべての作品をつくり、演出してきた岩井秀人が描く作品の多くは、彼自身のひきこもり経験が基盤となっています。登場する人物にも、岩井秀人が関わってきた人物の要素が多く含まれているそうです。
岩井秀人の父親とひきこもりの壮絶過去!「死ぬまで敵だし、死んでも敵」
岩井秀人は、大学病院の外科医の父親、そして兄から、日常的に暴力を振るわれる家庭環境で育ったといいます。そのため、岩井秀人自身も友人を平気で殴ってしまう子だったとか。「自分以外の人間に生命や意識があるとは考えてなかった」と後に語っている岩井秀人は、「ちょっと気に入らないことがあると、すぐパニックになって、ポカポカ人を殴ってた」といいます。
しかし、ある時、殴った友人から殴り返され、「ひょっとしたら、僕以外の人も、僕と同じくらいものを考えているのかもしれない」と初めて感じた岩井秀人。それまで抱いてきた他人との距離感が崩れ去り、どう接してよいのかわからなくなってしまった中学1~2年の頃。その感覚が強くなり、岩井秀人は対人恐怖症に陥って、高校に入るも中退。16歳から20歳まで引きこもり状態になります。引きこもり状態には、尾崎豊の影響もありました。
それは、他人への愛と、1人で生きていくという考え方です。他人に愛を与えずに生きてきたことを償わなければいけない、と考えた岩井秀人は、1人で生きられるようになってから、他人との関わり方を考えようと決めます。そこで、ボランティア、野外活動を行っている、日本YMCA同盟の寮で生活を送りはじめます。
しかし同僚の中国人たちと、何回も喧嘩をすることになり、独り立ちは失敗し、実家に戻ることになりました。心理カウンセラーだった母親は、息子が外の世界とつながりを持てるよう衛星放送を契約します。映画、格闘技、サッカーの試合を多く見るうちに、「映画にとにかく関わりたい」と考え始め、俳優になることを決意。何をやりたいかはっきり見えたところで、岩井秀人の引きこもりの日々が終わりました。
劇団「ハイバイ」の作品には、しばしば理不尽なおじさんが登場します。もともとは大学時代のある教授のふるまいをモデルにしていたそうですが、次第にそれが自分の父親と重なることに気づいたという岩井秀人。憎悪する父親については、「死ぬまで敵だし、死んでも敵」と語っています。
岩井秀人舞台「夫婦」は父親を描いた物語!ドラマ「生むと生まれるそれからのこと」あらすじ
岩井秀人舞台「夫婦」は父親を描いた物語!両親の姿に見る男女の出会いから別れまで
岩井秀人が、父親の死にゆく姿を見て感じた、「無念」から生まれたのが、舞台「夫婦」です。「夫婦」は、2016年1月から2月に上演されました。2015年10月に亡くなった自身の父親について、病院のスタッフや知り合いに取材を重ねて書いたという本作。父親の闘病と、母親の変化を振り返り、「どこにでもいる若い男と女が、やがて『ある家族』となり、そしてしっかりと壊れるまでを描いておきたい」と考えたそうです。
岩井秀人の父親の死因は、肺ガンでした。自分がガンと知っていた父親は、手術をして10日くらいで退院してくると言い、家を出たそうです。もともと父親と仲の悪かった岩井秀人は、お見舞いに行くこともなく、ふと気づけば4カ月が経過していました。母親から、「そろそろ危ない」と言われてびっくりし、集中治療室に入っている父を見て愕然としました。岩井秀人にとっては、まるで別人のようになっていたといいます。原因は、手術の失敗と、切った場所がくっつかなかったこと。その後、治療するために副作用の強い薬も使っていたようです。
50年以上も外科医として働いてきた父が、外科的処置によって、死に至るような仕打ちを受けたと感じた岩井秀人の頭に浮かんだのは、「無念」の2文字。「生涯を捧げてきた相手に殺された」ような死に方と感じたそうです。
もう1つ、岩井秀人にとって衝撃だったのは、両親の関係の変化でした。母親も父を嫌悪していたようですが、看病をする中で夫婦関係を修復。最後は、レストランで仲良く並んでピースしている写真を撮っていました。男女が出会って夫婦となり、関係が壊れながらも後に修復もできる。舞台「夫婦」は、岩井秀人が間近で見てきた父親と母親の変化を如実に描き出しています。
岩井秀人の脚本ドラマ「生むと生まれるそれからのこと」あらすじ!妊娠・出産に戸惑う男女の物語
岩井秀人の脚本ドラマ「生むと生まれるそれからのこと」は、親となった立場から描かれた作品でしょう。「生むと生まれるそれからのこと」は、出産をめぐる80分のドラマ。お互いの世界を守るために、「線引き」をしながら交際するたけし(柄本佑)と聡美(関めぐみ)の者がりです。
たけしは引きこもり気味のフィギュア造形師で、聡美はカメラマン。通常の恋人たちとはちょっと異なる関係を保ってきた2人ですが、聡美の妊娠をきっかけに、少しずつ変化していきます。2人は、時には大きな衝突も。しかし、もうダメだと思うほどの衝突があっても、たけしは、聡美に「堕ろせ」とは言わず、一緒に両親教室にも通います。
やがて聡美は妊娠5カ月となり、たけしは、聡美の実家に挨拶へ行くこととなりました。そこでたけしを出迎えたのは、着物姿で梅沢登美男の夢芝居を歌って踊る聡美の両親。「いよいよだ!」という盛り上がりで、どこか外してくる流れは岩井秀人ならでは。ドラマを観た人々からは、「なんとなく見始めたがとても面白かった」という声があがっています。
妊娠と出産にあたって、当事者である男女は、「親になるってどういうことだろう」「どうすればいいんだろう」と悩むもの。岩井秀人は戸惑っていいし、「そんなもんだ」と伝えているようです。
岩井秀人がNHK大河ドラマ「真田丸」に出演していたかも?!2017年はコドモ発射プロジェクトで異色の公演
岩井秀人は、NHK大河ドラマ「真田丸」のペシャルムービー「ダメ田十勇士」に出演していました。ダメ田十勇士は、戦いの合間にお酒を酌み交わして遊んでしまうような無名の足軽たち。真田愛を語りながら酒に興じる、愛嬌溢れる姿は、見る人を笑いへと誘います。十勇士なのにキャストが8人しかいないのもダメ田流。
岩井秀人は、ぼさぼさの長髪に、赤黒い肌と、むさ苦しいヒゲが特徴のひねくれ者・甚八を演じました。宣伝用につくられた作品のため、本編のキャストとして名前が出ているわけではありませんが、「真田丸」最終回には、このダメ田十勇士の姿があります。ぜひ、目を皿のようにして彼らを探してあげてください。
2017年には、岩井秀人が手がける舞台が上演されます。もともとは、東京劇術劇場監督である野田秀樹が言い出した「子供が自由に書いたお話を、大人がよってたかってちゃんとした舞台にする」というアイデアによるもの。しかし、野田秀樹がいつまでも舞台にしないため、岩井秀人が実現させます。これに向けて、演劇の岩井秀人、ダンスの森山未來、歌の前野健太が揃って「コドモ発射プロジェクト」を発足。
子供たちに自由に物語を書いてもらうワークショップの後、前野健太は、「正直、悔しいなと思いました」と一言。子供たちの書いた言葉を見た岩井秀人は、「障子に書かれていた呪いの言葉みたい」、森山未來は「古文書みたいで、すごい」とそれぞれに語り、子供たちの物語をもとに稽古を重ねながら、舞台の内容をかためていくと話しています。「大人と子供を分けるのではなくて、感覚を共有したり、一緒に想像できる作品にしていこう」という岩井秀人。その独特な感性の融合に、触れてみたいですね。