影山ヒロノブはバンドからアニソン界のプリンスへ!ライブ人気曲はやはり「ドラゴンボール」主題歌

影山ヒロノブはバンドLAZYでデビュー!ドラゴンボール主題歌等でアニソン王子に

影山ヒロノブは史上最年少ロックバンドLAZYでデビュー!

アニソン界を牽引してきた第一人者として知られるアニソンシンガーの影山ヒロノブ。彼のデビューは、ロックバンドのボーカルでした。影山ヒロノブが小学校時代から付き合いのあった仲間を中心にロックバンドLAZYを結成したのは1973年。テレビ番組でかまやつひろしに認められたことがきっかけとなり、1977年に「Hey I Love You」でメジャーデビューしています。

当時のメンバーが全員高校生だったLAZYは、「史上最年少ロックバンド」のフレコミで注目を集め、ミッシェルと名乗りボーカルを務めていた影山ヒロノブも人気となりました。しかし、アイドル路線で売り出されることに不満を感じていたことやメンバー間の音楽性の違いもあり、1981年にLAZYは解散。その後、影山ヒロノブとして、アニメの主題歌歌唱を中心に活動するように。現在はLAZYも復活を遂げたため、影山ヒロノブ名義のソロ活動と並行した音楽活動を続けています。

影山ヒロノブはドラゴンボール主題歌等でアニソン王子に!スーパーユニットJAM Projectでも活躍中

影山ヒロノブがアニソン界で活躍するようになったのは、LAZY解散後の1985年に、KAGE名義で「電撃戦隊チェンジマン」の主題歌を歌ったことがきっかけでした。その後、アニメや特撮ものの主題歌を手掛けることが徐々に増えていった影山ヒロノブ。1989年には、「ドラゴンボールZ」の主題歌「CHA-LA HEAD-CHA-LA」で170万枚のセールスを記録し、アニソン界で確固たる地位を築き、「アニソン界のプリンス」と呼ばれるようになりました。

2000年に結成されたアニソン界の代表的な実力派シンガーが集結したスーパーユニットJAM Projectでもリーダーとして活躍する影山ヒロノブは、間違いなくアニソン界の中心人物と言えるでしょう。

影山ヒロノブの結婚相手や娘は?ライブ人気曲はやはり「ドラゴンボール」主題歌

影山ヒロノブの結婚相手は?娘・景山梨彩は声優だった

影山ヒロノブは、1961年2月18日生まれで大阪市出身です。既婚者ですが、結婚相手についての詳細な情報は公表していないため、おそらく有名人ではなく一般女性であると思われます。一方で、2人の娘がいることはよく知られており、1人は声優の景山梨彩で、もう1人は、ダンサー&コレオグラファーとして活躍中の景山菜奈です。

影山ヒロノブの2人の娘、景山梨彩と景山菜奈が揃って「アニソンCLUB!」のMCを務めることになったときには、姉妹ならではの息のあったMCができるように、家の中でも練習を重ねていたとか。父親の影山ヒロノブについて「業界の先輩として心から尊敬している」とコメントしたのは景山梨彩です。

対する影山ヒロノブも、大阪から上京する際に自身が母から言われた「苦労は買ってでもしろ!」という言葉を我が子にも送りたいとコメント。さらに、「たくさん苦労して付けた実力は本物の力」「一度きりの人生を力一杯生きて行って欲しい」と2人の娘に対して全力でエールを送っています。

影山ヒロノブのライブで人気の曲は?LAZYラストアルバムに奥田民生や斎藤和義が影響を受けた

ソロ活動や、ロックバンドLAZY、JAM Projectなど、さまざまな形態で音楽活動を行い、ライブなども精力的に行っている影山ヒロノブ。配信などで人気が高いのは、やはりアニメ「ドラゴンボール」主題歌の「CHA-LA HEAD-CHA-LA」や、「聖闘士星矢」の主題歌「ソルジャードリーム~聖闘士神話」など有名なアニメ作品の楽曲です。

LAZYとしては、ラストアルバム「宇宙船地球号」とラストライブアルバム「燃えつきた青春」が日本のロックバンドに多大な影響を与えたと評価されています。実際、奥田民生や斎藤和義らもLAZYに影響を受け、今なおリスペクトしているそうです。

影山ヒロノブはデビュー40周年!アニソン界第一人者は走り続ける

影山ヒロノブがリーダーを務めるJAM Projectの「JAM」は、「JAPAN ANIMATIONSONG MAKERS」の頭文字を取ったものです。影山ヒロノブたちは、アニメの内容に合った主題歌を作ることを大切にしており、「アニソンはアニソンとして作られるべきだ」と主張。アニメ作品とは無関係に作られた曲を主題歌にする風潮に喝を入れる存在として、アニソンファンから熱い支持を受けています。

ライブに関しても、日本国内のみならずワールドツアーも敢行し、そのエネルギッシュな音楽で世界中にファンを増やし続けているJAM Project。最近は、声優がアニソンを歌うことも増えましたが、それによってアニソンシンガーの活躍の場が減るわけではないと影山ヒロノブは考えているようです。

「自分が得意とする部分を一番の武器にして、その中でクオリティの高い者が生き残っていくのだろう」と話す影山ヒロノブの言葉からは、誰にも負けない武器を持っている揺るぎない自信がうかがわれます。そんな影山ヒロノブは、2017年にデビュー40周年を迎えました。

記念アルバム「A.O.R」を発売した際には、「自分の人生の一番太いところをズバッと決めてくれたアニソンの世界と、応援してくれたみんなには感謝しています」とコメント。今後についても「できるところまでやりたい」と語っています。その力強い言葉通り、影山ヒロノブは今後もアニソン界をリードする第一人者として輝き続け、音楽とアニメの素晴らしさを国内外に届け続けてくれるに違いありません。

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