桂歌丸に死去説まで飛び出した、病気病状とは?体重激減?桂歌丸一門が頭を抱える今後の寄せスケジュール

2017年4月18日 更新

桂歌丸 死去説まで飛び出した病気病状とは?体重激減?

桂歌丸 死去説、気になる病状は腸閉塞?

日本テレビ系・演芸バラエティ番組『笑点』の司会でお馴染みの人気落語家・桂歌丸さんが先月14日より体調不良のために神奈川県内の病院に入院しました。

気になる病名は腸閉塞。何でもやせ過ぎが原因で血管が腸を圧迫してしまったとのこと。腸の動きがスムーズでないため、消化液や食べたものが途中で詰まってしまう状態になったようです。

桂歌丸さんは一日に褥瘡(床ずれ)の手術で背中にたまった膿を取り、9日に退院したばかりでした。褥瘡が背中に出来るのは寝床で寝返りが打てない老齢で寝たきりの方が多いのですが、治療を受けたとなると、桂歌丸さんは睡眠中に思うように体が動かせなかったのかもしれませんね。

褥瘡の手術の前は帯状疱疹で入院するなど、ここ三年間で六度目の入院になる桂歌丸師匠。落語芸術協会の担当者によると「本人は病室でスタッフと打ち合わせをしている。大事には至っていない」と説明してはいますが、今のところ退院の目途は立っていないそうです。

桂歌丸の体重が激減している 死亡説はイジリ?

入院中の桂歌丸師匠の目下の体重は35~36㎏。これは小学6年生男子の平均よりも軽い体重です。現在もアメをなめる程度で口からまともに食事がとれないため、鼻からチューブを通して高カロリー栄養剤を摂取しているそうです。

本人は「おかげで入院してから400g増えた」と無邪気に喜んでいるとか。何度も入退院を繰り返し「今回こそは危ないかも」との危機説をことごとく打破してきた桂歌丸師匠。

日本テレビ系人気番組『笑点』では、番組名『笑点』をもじって『昇天』と書いた机に天使の羽をつけた桂歌丸師匠を座らせ、他の大喜利のメンバーたちが「脈が止まると書いて歌丸」「それでは皆様、横浜の港に灰を巻きましょう~あっぱれ、あっぱれ!はい、歌丸の納骨終わり!」と歌丸死亡ネタを連発。

自分の死亡説さえネタにしてお笑いをとってしまうのですから、これはもう桂歌丸師匠の「噺家としての人徳」としか言いようがありませんね。

桂歌丸 桂歌丸一門が頭を抱える今後の寄席スケジュール

桂歌丸  桂歌丸一門が頭を抱える今後

桂歌丸師匠の門弟子には、桂歌春、桂歌助、桂歌若、桂歌蔵、三代目・桂枝太郎の五人がいます。根っからのハマッ子である桂歌丸師匠は今も横浜市に住み、横浜の師匠といえば「桂歌丸」と言われるほどです。

自宅近くにある三吉演芸場で始めた独演会は、四十年近くも続けており『桂歌丸一門会』として広く知られています。

国民的人気番組『笑点』の看板を背負う桂歌丸師匠。普通であれば、鞄持ちは弟子の大切な仕事ですが、「タレント性にどっぷり浸かりたくない」との師匠の配慮で、落語に専念させるために自分の弟子には寄席の鞄持ちはさせても、『笑点』の楽屋の鞄持ちはさせない徹底ぶり。

各地で開かれる寄席や落語会は師匠が出てこその一門会であり、今回の長引く入院は弟子たちとっても大きな痛手です。

桂歌丸  今後のスケジュールは?八月の寄席はプラチナチケット

先月14日に腸閉塞で入院した桂歌丸師匠。まだ退院の目途が立たず、今月中の仕事復帰は今のところ白紙状態なため、8月開催の国立演芸場の高座も中止になると報道されました。

ところが、桂歌丸師匠は「あたしは命を削ってでも出る」と強気の発言。体調面から考えたら休演するのが当然ですが、実はこの国立演芸場の「8月中席」のトリは1982年から30年以上、桂歌丸師匠が務めており、師匠にとって特別な高座なのです。演芸場の営業担当者によると「今のところは出演する予定です」とのこと。

チケットも売れ行きも団体客を中心に好調で「これが歌丸師匠最後の高座になるのでは」との噂から、早くもプラチナチケット化しているそうです。

桂歌丸  死去説がお笑いになるほど愛される理由

桂歌丸師匠は1936年8月14日生まれ。神奈川県横浜市出身です。ハマッ子であることを誇りとしており、古典落語特有の江戸言葉は多用せず、美しい日本語で語ることを持論としています。

戦後ラジオで聞いていた落語に影響を受け、落語家になることを決心したそうですが、その才能は早くから開花し、小学校四年生の頃には隣のクラスの先生から「ウチのクラスでも落語を演じて欲しい」とリクエストを受けるほどの腕前だったとか。

中学三年生の時に古今亭今輔に入門。今輔門下に入り「古今亭今児」を名乗りますが、若手が寄席の舞台に上がれないことに不満を抱き、師匠と衝突。破門になってしまいます。

21歳で結婚した歌丸師匠。食べるために化粧品のセールスやメッキ工場で働きますが、長くは続かず生活はどん底に。この窮地を救ってくれたのが後の師匠となる桂米丸でした。

桂歌丸と今輔の間を取り持ってくれ、25歳にして桂米丸の弟子として落語界に戻ることが出来たのです。そして、28歳の時に大きな転機が訪れます。それは国民的テレビ番組『笑点』への出演でした。

ここで人気は一気に全国区に。しかし、テレビの仕事が増えたために本業の落語が疎かになっていきます。「このままでは終われない」歌丸師匠は奮起し、江戸時代の古典落語を現代版にするという難題に決死の覚悟で取り組みます。

この試みは評価され、2005年に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。また、人気の出た歌丸師匠は老人ホームへの慰問を始めました。自分がドン底に落ちた時に桂米丸を始め、数々の人々から受けた情け。その恩に報いたかった。

少しでも恩返しをしたかったのだと歌丸師匠は語ります。死亡説さえ笑いになり、広い世代から支持を受ける愛されキャラの歌丸師匠。少々お痩せにはなりましたが、師匠の屋台骨には「義理と人情」がぎっしりと詰まっています。

長引く入院が心配ですが、お元気になって8月の演芸会ではぜひ、オオトリを務めて頂きたい!切に願ってやみません。

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