井川慶 伝説・逸話エピソード集がトンデモない!
井川慶 伝説エピソード!マイペースさが伝説!
オリックス・バファローズ所属のピッチャー井川慶の伝説エピソードは多くあります。鬼監督として名高い星野監督が、阪神の監督として就任した際にエースであった井川慶は、恐れるチームメイトよそに、その星野監督の前でもゆうゆうと食事をしていたことは有名な話です。
また、外で遊びまわることもないため、「寮の優等生」と呼ばれたことを良いことに、自分の好きに生活できて3食用意されることから、寮生活を長い事し続け、2003年に退寮を言い渡され仕方なく出て行ったという話。当時2軍監督を務めていた岡田氏曰く、地元にもかかわらず梅田から寮まで1人で帰れないという話もありました。
またサインボールについても有名で、普通凝ったものが多い中、井川慶のサインは「井川」とだけ書かれたそっけないもの。そして、真似しやすい井川慶のサインボールが、実際に真似され、偽物としてネットオークションに出品されているのを、井川慶自身が見つけて通報するというユニークな伝説もあります。
パソコンやラジコン、ゲームが趣味で、給料のほとんどを趣味につぎ込む井川慶。年俸1億円の時代にも、キャンプなどには3万円しか持っていかず、移動も電車やバス。このように趣味には力を入れる半面、それ以外は節約家な井川慶。知れば知るほど、井川慶には野球以外の面白いエピソードが溢れています。
井川慶 逸話エピソード!アメリカでもマイペースを貫く!
井川慶の伝説エピソードからは、突き抜けたマイペースぶりがうかがえると思います。それを如実に表している逸話エピソードにも溢れています。阪神タイガースがリーグを制し、優勝祝勝会を催した際には、次の日の先発に備えたいと早退。翌日の広島戦で9回1失点完投勝利を上げキッチリ仕事をこなしたことで、井川慶を非難する声を封殺しました。
また、ニューヨークヤンキースが阪神タイガースから30億円で交渉権を落札という大ニュースで賑わったその時、井川慶自身は寝ていたという逸話。ニューヨークヤンキースへ移籍後、オープン戦で結果が出ないことに、世界でもトップクラスに厳しいニューヨークメディアに酷評された際も「自分、英語読めないんで。分からないっす」と答えるなど、マイペースの王様振りを発揮しています。
そして極めつけはニューヨークで“あっち向いてホイ”を大流行させたり、将棋に興味を持ったことから、アメリカで将棋を流行らそうとロッカールームでチームメイトに英語版の将棋ガイドブックを配ったり、1時間以上に渡って実地講習するなど、日本では1人で部屋にこもりがちだと周りからも心配されていたにも関わらず、外国で活動的になるという井川慶。これらの逸話からは、見ていて聞いていて飽きない人物と言っても過言ではないでしょう。
井川慶 年俸、成績推移は?身長、体重、性格は?
井川慶 年俸、成績推移は?メジャーリーグ移籍前の3年間が絶頂期か!?
井川慶の2015年の年俸は4800万円です。そして、井川慶の成績推移ですが、1997年にドラフト2位で阪神タイガースに契約金8000万円で入団。1998年は2軍で終わり年俸は600万円で、1999年5月2日の広島カープ戦に初登板を果たした後出場機会は少なく、7試合に登板し先発3、1勝1敗防御率6.46で年俸は600万円のまま終えます。
2000年も9試合に登板し先発5、1勝3敗防御率4.35で終え年俸は680万円と微増します。2001年には野村克也監督から先発ローテーションの一角に抜擢され、29試合に登板し先発で28回起用されましたが、打線の援護がなく9勝13敗と大きく負け越してしまいます。
しかし防御率は2.67でリーグ2位と片鱗を見せ年俸も900万円とアップします。2002年には監督が星野仙一監督に代わると、開幕投手に抜擢、巨人相手に完投しチームに12年振りの開幕勝利をもたらし、206奪三振を奪って最多奪三振タイトルを獲得。14勝9敗防御率2.49という成績で阪神の中心選手となり年俸も4倍弱の3800万円に増えました。
2003年のセ・リーグは井川慶の年と言っても過言ではない年で、20勝投手となり阪神を18年振りのリーグ優勝へ導き、日本シリーズでは福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)を後一歩まで追いつめるも、日本一を惜しくも逃してしまいました。29試合に先発し20勝5敗勝率8割で防御率も2.80という好成績をマークし、井川慶の年俸も1億円へ跳ね上がりました。
2004年にはプロ野球史上71人目となるノーヒットノーランを10月4日の対広島戦で達成。前年と同じ29試合に先発しましたが、井川慶への対策が各球団キッチリしてきたことと、本人の調子が落ちたこともあり14勝1敗防御率3.73と、前年より低い結果に。
しかし、エースの面目を保つ活躍をして年俸は2億1000万円と2倍増しています。2005年には年俸2億2000万で、13勝9敗防御率3.86、2006年は年俸2億3000万円で14勝9敗防御率2.97。そして最多奪三振のタイトルを獲得し、ポスティングシステムを利用して2007年からニューヨークヤンキースへ移籍します。
5年約26億円の年俸で契約しますが、2007年に14試合で先発12、2勝3敗防御率1.67、2008年には2試合に出場し先発1回防御率3.25でメジャーリーグの成績は終わってしまいます。メジャー時代の野球以外のエピソードは賑やかなのですが、この後、井川慶はマイナーリーグで過ごし、2012年に日本に帰国。オリックスバファローズと2年約2億円で契約し入団します。
しかし成績が上向くことはなく、2012年2勝7敗防御率4.65、2013年3勝3敗防御率2.59で終えています。2014年は6000万円の年俸で2勝2敗防御率1.48で終えており、2015年の年俸は激減。いまだに一軍登板がないという寂しい状態になっています。ファンとしては一軍で投げる姿をみたいですし、私生活でのエピソードをもっともっと聞いてみたいです。
井川慶 身長、体重、性格は?趣味に才能を発揮する!
井川慶の身長は186cmで、井川慶の体重は93kg、井川慶の性格は、数多くの伝説や逸話エピソードにあるように、自由気ままにマイペース。ところが、趣味となると行動的で饒舌になる性格です。野球に関しては非常に真面目に取り組んでいましたが、井川慶のプロ当初からの問題である制球力不足や被本塁打率の高さが弊害となり、メジャー時代にはそれが仇となって一軍での機会に恵まれなかったとジョー・トーリ監督が語っていました。
野村克也監督時代に受けたアドバイスで「ダーツの的に当てるイメージで投げろ」と言われ取り組むも、その方面でなぜか才能を発揮してしまい、ダーツ世界大会優勝者を負かしてしまうレベルになってしまった井川慶。……どうやら井川慶は趣味になると強い?!という、ファンとしては、嬉しいやら悲しいやらという状態ですね。制球力さえあれば、今もメジャーリーグで活躍していたのではないかと思うと残念でなりません。
井川慶の今後は!? 全盛期を目指すのではなく、老練なピッチングを!
井川慶は、9月22日に行われたウエスタン・リーグに出場し、6回から4番手として登板し、1イニングを10球で抑えて見せました。そして「去年は万全じゃなかったけど、今は体も元気です。鍛え直して真っ直ぐも戻ってきた。最後まで準備をしておきます」とコメントしていました。
井川慶の今後は、引き際を見極めるべき時が来ていると思います。1軍登板は2014年の5月以来なく、2015年も2軍で0勝4敗防御率も14.10と散々足るもの。全盛期の井川慶のストレートは、スピードだけではありません。気迫と威力があり、制球力のなさに焦点を当てさせないほどの迫力をもっていました。
現在の井川慶の投球フォームは、残念ながら全盛期にはほど遠く、老練なピッチングワークも感じられません。制球難という課題をそのままにしてしまったという失敗が、ここにきて大きな影を落としています。福岡ソフトバンクホークスの工藤公康監督がとても良い例ですが、40歳を超えてなおもプロのローテーション投手として2桁勝利を挙げられたのは、どうしたらいいか考え、野球を続けることに集中し、独自の投球術を作り上げてきたからです。
2015年9月28日に引退を表明した山本昌投手も、趣味に重きを置いていましたが、趣味が野球に影響を及ぼせば、あっさり趣味を切り捨てられる職業野球選手の鏡でした。井川慶も何とかストレート主体で且つ老練なピッチングを考案し、スピードが出せなくても抑えられる方法を見つけて復活して欲しいです。
登板数をみても、怪我の状況を見ても、井川慶はまだまだいける投手だと思います。井川慶の全盛期のピッチングは、マイペースさが生き、飄々としつつ、ビシッと抑える、しびれるピッチングを見せてくれました。願わくば、もう一度、井川慶のあの姿を見てみたいですね。