北川智子はハーバード大学のスゴイ日本史教師!高校や大学は?
北川智子はハーバード大学を熱狂されたスゴイ日本史教師!
ハーバード大学は、アメリカ国内だけでなく、世界でもトップの学力を誇る名門大学。北川智子は、そのハーバード大学で、若干29歳で教鞭をとったというスゴイ日本史教師です。しかも、彼女の講義は、未来のエリートであるハーバード大学の学生たちに熱狂的に受け入れられました。
初年度には16人だった受講生は、3年目には251人にまで膨れ上がり、学生たちが選ぶ「ティーチングアワード賞」を3年連続で受賞。卒業アルバムに掲載される、思い出に残る先生「フェイバリット・プロフェッサー」にも選出されたほどです。
北川智子は実は日本史教師なのに理系女子!高校や大学は?
世界有数のトップエリートを生み出すハーバード大学で、学生たちから熱狂的な支持を得た北川智子。現在は、日本史教師ですが、実は、もともとは理系女子でした。福岡の名門進学校である福岡県立明善高等学校を卒業後、カナダのブリティッシュコロンビア大学に進学し、幾何代数や生命科学を学んでいます。
そんなバリバリの理系だった北川智子が、日本史へと進路変更をはかったきっかけは、大学時代のアルバイトにありました。日本史の教授のアシスタントとして史料の下調べをしたことをきっかけに、歴史研究に興味を持ち、教授のすすめもあって、ブリティッシュコロンビア大学大学院へ進学。続いてプリンストン大学大学院へ進み、歴史研究を深めていきます。
北川智子の著書「世界基準で夢をかなえる私の勉強法」「ハーバード白熱日本史教室」ネタバレ感想
北川智子の話題の著書「世界基準で夢をかなえる私の勉強法」ネタバレ感想
理系女子から歴史学者へという異色の経歴をたどった北川智子が、そのキャリアを綴ったのが、著書「世界基準で夢をかなえる私の勉強法」です。カナダ留学で言葉の壁にぶつかった時にどのようにして乗り越えたのかといったことや、優秀な人材が世界中から集まるグローバルな環境の中で、自分らしくキャリアを形成するために考え、実践したことが語られています。
著書では、大学時代の勉強のタイムスケジュール等も公開。ネタバレすると、ノートを取らずにメモだけを取る勉強法といった、常人では真似しにくいところもありますが、モチベーションを保つ努力を怠らず、「カジュアルに、エンドレスに勉強する」という姿勢には頭が下がります。
北川智子の著書「ハーバード白熱日本史教室」ネタバレ感想
北川智子は、アメリカの大学ではあまり人気ではなかった日本史の講義を、わずか3年で人気講義へと押し上げました。彼女のハーバード大学での日本史講義「LADY SAMURAI」と「KYOTO」がいかにして生み出されたのかが書かれたのが「ハーバード白熱日本史教室」です。この本を読むと、学んだ内容を2分間のラジオ番組にまとめさせたりする等、かなり斬新な講義内容で、学生たちの興味をひきつけたことが分かります。
ネタバレすると、学生時代に受けた日本史の短期集中講義「SAMURAI」で、女性が登場しない日本史に違和感を覚えたという北川智子。自らの視点でそれを編みなおしたいと思ったのが、「LADY SAMURAI」という講義誕生のきっかけだそうです。
北川智子が日本史教師としてアメリカで成功したわけ
北川智子は、世界最高学府といわれるハーバード大学で、学生たちたちを魅了し続けました。実際にハーバード大学で教鞭をとったのは、2009年から3年間で、現在は、ハーバード大学を退職しています。2016年2月からは、カリフォルニア大学バークレー校の客員研究員として活動し、講演活動や研究を行う多忙な日々を送っているそうです。
2017年4月25日に放送されたフジテレビのドキュメンタリー番組「セブンルール」では、その多忙な日々に密着しています。ホワイトボードに書かれた数式を見て「美しい!」と感嘆する元理系女子な顔や、多忙な中でも息抜きに大好きな動物園に行く姿等も紹介されました。
北川智子は、キャリアアップするきっかけをわずか3年でつかみましたが、そのきっかけとなったハーバード大学での講義は、学生たちに積極的に発表させ、講義をつくりあげさせるアクティブラーニングスタイルでした。アクティブラーニングといえば、同じくハーバード大学のマイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」が有名です。しかし、北川智子の講義はそれとも一味違います。
学生とディスカッションを行う形で講義を進めるマイケル・サンデル教授に対し、北川智子の場合はさらに個性的。たとえば、「KYOTO」の講義では、中世の京都について学びますが、学んだ内容をあらゆるメディアを使用して学生たちに発表させます。そのプレゼンテーションのスタイルは多彩で、ラジオ番組にさせてみたり、短編映画を製作させてみたり、時にはラップにのせて発表させました。
北川智子がこういった思いきった取り組みをしたのには、大きなわけがあります。すでに優秀な講師陣が多くおり、魅力的な講義がいくらでも受けられるハーバード大学。そんな中で、キャリアも浅く大きな実績もない自分が、先輩の講師陣を踏襲しても、学生たちの興味をひくことはできません。
また、日本史というアメリカの大学ではある意味で非常にニッチなジャンルに学生を呼び込むことは、そもそも非常に難しいことです。そこで、自分の若さや、ITを使いこなすのが得意といった強みを最大限にいかした授業を作りあげることに。時には授業で着物を着たこともあったといいますから、その姿勢は徹底しています。それが功を奏したのか、学内で選出されるベスト・ドレッサー賞も受賞した北川智子。今後も、日本史を海外に積極的に発信するような活動を続けていくようです。
自身のスタイルについて、「日本の歴史を海外の人に伝えるとしたら、(細かい正誤よりも)もっと大きなストーリーで、全体像を伝えたほうが理解できる」と語る北川智子のイメージは、「細部の一つ一つが正確な細密画より、全体の印象を強く伝える印象派の絵画みたいに」。たしかに、予備知識や興味のない人々を振り返らせて、面白そうだと思ってもらうには、このくらいの思いきったスタイルが必要なのかもしれません。それが、日本ではなく、アメリカで成功したゆえんなのでしょう。