北島三郎の八王子の家が豪邸どころじゃない!入院の理由は?
北島三郎が所有する八王子の家は1500坪で豪邸どころではない豪華さだった!
北島三郎は、日本を代表する演歌歌手です。収入ももちろん凄いでしょうが、八王子に所有する家が豪邸どころではないと評判になっています。北島三郎の豪邸は、八王子市にある都立小宮公園のすぐ近くにあります。敷地面積は1500坪で、部屋数が36部屋!ちなみのこの36部屋とは、三郎の語呂合わせで36なのだそうです。
敷地内にはテニスコートもあるほか、ゴルフができそうな広い庭も。高台にあるため、八王子市街の夜景に加え、富士山もきれいに見えるそうです。家族だけで住むにはもったいない話ですが、実は、北島三郎の大豪邸には、家族だけでなく、弟子たちも住んでいるといいます。ネット上には、まるでホテルの入り口かと見紛うような北島三郎宅の立派な門構えの写真が上がっていますので、探せばすぐに見つかりそうですが、当然、セキュリティも万全。不審者が現れれば、セコムが出動します。
北島三郎が入院した理由とは?今も万全ではない?
北島三郎が入院したことが話題に上ったのは2016年9月のことでした。8月に自宅で転倒し、医師による診断の結果、頸椎症性脊髄症であることが判明し、加療のため入院していることが、北島三郎の55周年コンサート2公演の延期とともに発表されています。頸椎症性脊髄症とは、簡単にいえば、首や脊椎の骨の間隔が狭くなって神経に影響する症状があります。
このときに頸椎の手術を行った北島三郎は、リハビリを経て、再び歩けるようになりました。しかし、その後も完全な復調とはいかなかったのか、10月に行われた「芸道55周年記念パーティー」の直後に倒れ、病院に搬送されたとの報道も。パーティー翌日には、ファンの集いに姿を見せるも、予定されていた歌唱はなしとなった北島三郎。
通院しながらリハビリを続けていたといいますが、2017年1月18日に開かれた「船村徹氏の受章を祝う会」に参加した際には、まだ少しフラつくことがあると、自身の体調について語っています。
北島三郎ベストアルバム「魂の歌」人気曲は?紅白卒業理由の真相は?
北島三郎の芸道50周年記念ベストアルバム「魂の歌」人気曲は?
北島三郎は、2016年に芸道55周年を迎えました。5年前の2011年には、芸道50周年を記念したベストアルバムをリリースしています。芸道50周年記念ベストアルバムのタイトルは、「魂の歌」。ボリュームも十分に全50曲が収録されており、3枚組で、221分の収録時間となっています。中でも人気の曲は、ディスク2に収録されている「まつり」です。
北島三郎といえば、やはりこの曲でしょう!自身にとっても大切な祝い唄のようで、所有する愛馬「キタサンブラック」がジャパンカップで優勝した際には、インタビューの途中で「まつり」を歌っているほどです。また、ディスク1に収録されている「兄弟仁義」も外せません。「北島三郎の原点である」とするファンも多く、長く愛されてきた人気の曲です。
北島三郎が紅白を卒業した理由の真相とは?
北島三郎は、NHK紅白歌合戦に、史上最多の50回出場しています。通算のトリ回数や大トリ回数とも堂々の歴代1位で、これまでに、数々のヒット曲を歌いあげてきました。1962年にデビューした北島三郎は、翌1963年の第14回紅白歌合戦に、「ギター仁義」で初出場しています。
その後も演歌界の第一線で活躍し続けた北島三郎は、紅白歌合戦の常連に。最後の出場となった2013年の第64回では、「究極の大トリ」として、紅白6回目となる「まつり」を披露し、有終の美を飾りました。北島三郎の紅白卒業が発表されたときには、その理由について、さまざまな憶測が流れましたが、北島三郎自身は、「後進に道を譲りたい」とコメントしています。
また、紅白歌合戦は、「少しずつ変わらなきゃダメ」とも語っていました。一方で、フジテレビ系のバラエティ番組「ダウンタウンなう」に出演した際には、「踊らされるのがイヤだった」と告白。……北島三郎が紅白を卒業した真意は分かりませんが、そこに「紅白で自分がやるべきことはやり切った」という想いがあるのは確かでしょう。
北島三郎の「キタサンブラック」が大活躍!「キタサン」と名付けた理由は?
北島三郎は、多くの競走馬を所有してきた馬主としても有名ですが、現在の愛馬「キタサンブラック」がにわかに注目を浴びています。北島三郎は、1963年に、最初の愛馬「リュウ」と出会っています。「リュウ」という名前は、息子の名前でもあります。さまざまなレースで活躍した「リュウ」でしたが、引退の時が訪れ、別れるつらさを味わった北島三郎は、以降、所有する馬に身内の名前を付けるのをやめました。
それほどまで大切に思い、北島三郎が所有してきた馬は、ざっと500頭以上になるとか。ここまでいると、馬の名前もたくさん覚えなければなりません。実際、北島三郎には、「うちの馬が勝った」と父親に伝えたところ、「馬の名前が分からない」と言われた経験も。このことから、所有する馬の名前には、北島のキタと三郎のサンをとって「キタサン」の冠を付けるようになりました。
1995年に所有していた「キタサンサイレンス」は、初めてG1に出場し、さらに日本ダービーにも出場しています。そして念願のG1制覇を果たしたのが、現在の愛馬「キタサンブラック」で、2016年に菊花賞を獲得。同年、頚椎症性脊髄症の治療やリハビリに励んでいた北島三郎は、「『キタサンブラック』から元気をもらった」とコメントしました。
2016年度の年度代表馬にも選ばれた「キタサンブラック」の魅力の1つはタフさでしょう。愛馬よろしく、オーナーの北島三郎にも、体調には十分気を付けながら、そのタフな歌声を変わらず聞かせ続けてほしいものです。