大槻ケンヂは菅野美穂の初めての熱愛彼氏!?病気で結婚できない?

大槻ケンヂは菅野美穂の初めての熱愛彼氏!?病気で結婚できない?

大槻ケンヂは18歳の菅野美穂と熱愛関係に!?オーケンはバンドブームでモテモテだった!

大槻ケンヂといえば、”オーケン”の愛称で知られ、筋肉少女帯や、特撮などを率いているロックボーカリストであり、作家です。その大槻ケンヂの名前が、菅野美穂と堺雅人の結婚の際になぜか話題になったことがありました。大槻ケンヂは、菅野美穂の歴代彼氏のうちの1人であり、初めての熱愛彼氏だというのです。

大槻ケンヂと菅野美穂の接点は、1994~1995年に放送されていたバラエティ番組「ポイズンガルズ」の、5カ月間にわたる共演に限ります。噂では、これをきっかけに交際が始まったとされており、まだ菅野美穂が18歳くらいだったことから、「大槻ケンヂが初めての男」とされているようです。大槻ケンヂは、30歳手前だったと思われますが、時は90年代のバンドブーム。

特に、V系ロックバンドのボーカリストは人気があり、筋肉少女帯結成以前は全く女性とは無縁だった大槻ケンヂも、メジャーデビュー以降は、超モテ男に大変身しました。来るもの拒まずで、かなりの女性遍歴があるようですが、実際に”彼女”となったのは、人生でたった3人だけだとか。その中の1人が、10代の頃の菅野美穂だとしたら、かなり贅沢な話ですよね。

大槻ケンヂの病気はPTSDに強迫性障害!結婚できないのは女性へのトラウマか?

大槻ケンヂが、いつも違う女性を伴っているにも関わらず”彼女”を作らないのは、そのくくりが面倒だからだそうです。結婚には至らないのも同様の理由があるのかもしれませんが、大槻ケンヂが患ってきた病気も、少なからず影響を与えていそうな気がします。

大槻ケンヂは、26歳の時に、タイで食べたオムレツにマジックマッシュルームが入っていたことから、3年にわたってPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされています。また、何の脈絡もなく「これをすると悪いことが起きるのではないか?」と不安になってしまう、強迫性障害も患っているそうです。結婚しない直接的原因とはいえないものの、トラウマを抱えやすい性格であることは間違いありません。バンドブームに乗っかってモテ始めた頃、大槻ケンヂは、言い寄って来る女性ファンと、次々と関係を持ったそうです。

しかし後に、「バンドマンの恋人になる方法」なるエッセイを著し、彼女らを「自分だけは特別でありたいと願う自己顕示欲」と称していることからも、かなりの不信感がうかがえます。その時代のあれこれがトラウマになって、女性に夢を抱けなくなったのかもしれません。

大槻ケンヂのJASRACオーケン事件の真相は?歌詞の中毒性スゴイ!

大槻ケンヂもJASRACオーケン事件は寝耳に水!?真相を語る!

大槻ケンヂが、自分で作詞した筋肉少女帯の楽曲「高円寺心中」の歌詞をエッセイに引用したところ、JASRAC(日本音楽著作権協会)から使用料を徴収され、その金額が印税として還元されなかったという話があります。これを人々は”オーケン事件”と呼び、ネット上でJASRACの話題が持ち上がるたびに語られてきました。

この事件が発覚したのは、他でもない、大槻ケンヂ自身が、ライブやラジオで発言したためとされています。ところが、大槻ケンヂもまた、ネットで初めて”オーケン事件”なるものを知ったのだそうです。楽曲として世に出ている自作の詞を、大槻ケンヂ自身の著書に引用することはたびたびありました。

しかし、これまでにJASRACから使用料を徴収されたことはないそうです。大槻ケンヂの読みでは、何か別の発言が、伝聞されていくうちに肥大化していったのではないかとのこと。「都市伝説だと思う」としています。

大槻ケンヂの歌詞は普通の中二病じゃない!独自の文学センスに感動すら覚える!

大槻ケンヂの歌詞といえば、「蜘蛛の糸」のようなストーリー性を持つ作品や、「日本印度化計画」「踊るダメ人間」などのコミカルな作品など、それぞれに独特の言葉のセンスが光ります。そんじょそこらの中二病では片付けられない感性の持ち主ではありますが、文学的でありつつ、自虐と皮肉を交えた脱力感は、まさに気弱な文学青年。どんなに陰鬱で猟奇的な場面を描こうと、何とも愛らしく、滑稽な絵が浮かんでしまうのは、まさに”大槻ケンヂ”という1つのジャンルといっていいでしょう。

そんな大槻ケンヂが書いたラブソングといえば、筋肉少女帯の1994年の曲「香菜、頭をよくしてあげよう」。タイトルだけ見るとコミカルソングのようではありますが、”バカな彼女が、自分との恋を終えても1人で生きていけるように”と願う、美しき純愛が綴られており、なぜか胸が苦しくなってしまう作品です。誰も思いもしない妄想的な切り口なのに、一種の普遍性を覚えてしまうところも不思議です。

大槻ケンヂはサブカル界のカリスマ!中二病の感性は50歳を超えても失われることはなかった!

大槻ケンヂは、バンドブームの最中、1988年に、筋肉少女帯としてメジャーデビューしました。ひび割れメイクに特攻服。一見、色物のようではありましたが、明らかに流行のV系バンドとは様子が違いました。筋肉少女帯は、時代が敬遠しがちだったハードロック&ヘヴィメタルを主体とする、超絶技巧揃いのバカテクバンドです。

それにもかかわらず、大槻ケンヂのボーカルやリリックセンスは、実に素っ頓狂なもの。アンバランスが生むインパクトは強烈でした。このニッチな感覚を生んだのは、本人が自称する”気弱な文学青年”たる、中二病的な視点です。大槻ケンヂの歌詞については、「ジョジョ」「うしおととら」の作中に引用されるなど、崇拝するアーティストたちは数知れません。

また、ロックミュージシャンとしての創作活動の他にも、小説、コラム、エッセイなどを手掛けており、小説「ぐるぐる使い」「のの子の復讐ジグザグ」では、SF小説作品の文学賞・星雲賞を受賞しています。

幼い頃から、読書や映画鑑賞、格闘技、超常現象や特撮ものなどに熱中し、幅広い文化に造詣が深いことでも有名ですが、そこには常に、”数奇”を見つめる視点があったように思われます。1966年2月6日生まれの大槻ケンヂは、現在50歳。筋肉少女帯、特撮での活動も再開され、2016年9月16日には、歌って踊ってプロレスするエンタメユニット・夏の魔物との、アングラ感満載なコラボライブを展開しています。

5月には、声帯ポリープ除去手術という心配な報せもありましたが、「手術台に乗ると、宇宙人アブダクションを思い出してドキドキした」と、大槻ケンヂは今でも中二病をこじらせ中。オーケンワールドは、まだまだサブカルファンを虜にする求心力を失いそうにありません。

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