2020年5月15日 更新
清武弘嗣の日本、海外での反応評価は?年俸推移は?
清武弘嗣の日本、海外での反応評価は?怪我さえなければ……
清武弘嗣は、1989年生まれの11月12日生まれの26歳。大分県大分市出身のミッドフィルダーです。早い時期から頭角をあらわした清武弘嗣は、大分トリニータのU-15からU-18を経てトップチームに昇格するとその機会をモノにし、2009年にはレギュラーに定着します。清武弘嗣自身はチームに貢献し続けたものの、その後、大分トリニータはJ2降格の憂き目に。そのため、清武弘嗣は、J1セレッソ大阪に出場機会を求めて移籍しました。
序盤は怪我に泣いた清武弘嗣でしたが、香川真司のドイツ移籍に伴いレギュラーとして定着すると、2012年にはセレッソ大阪の伝統のエースナンバー8を継承します。しかし7月1日付けでドイツブンデスリーガへの完全移籍を発表した清武弘嗣。ニュルンベルクへ移籍した清武弘嗣は、即スタメンを獲得し、シーズンを通して、レギュラーとしてポジションを守り、リーグ4位の10アシストを記録するなど順調な滑り出しでした。
ですが203-2014シーズンは、チームが振るわず、2部降格。清武弘嗣は、ハノーファー96へ移籍になります。ハノーファーでもレギュラーを獲得した清武弘嗣でしたが、チームはまたもや1部残留争いに。そのため、清武弘嗣、またしても移籍かと思われましたが、チームは何とか踏みとどまります。そして今シーズンからは、清武弘嗣がエースナンバーである10を背負うことが発表され、それに応えるプレーをしていたのですが、日本代表合宿にて右足中足骨を骨折してしまった清武弘嗣。
9月12日に復帰するも、11月16日に行われた日本代表公式練習中にまたしても骨折。ハノーファーは、また残留争いをしているだけに清武弘嗣の骨折は痛手で、現地のサポーターやチームスタッフは苦しい状況を嘆いています。このように、清武弘嗣の日本と海外での反応評価は「怪我さえなければ」「チームにさえ恵まれていれば」の2点に集約されるのです。ユーティリティプレイヤーとして、どこでもプレー可能な希少な選手である清武弘嗣。精度の高いセットプレーは、ドイツでもワールドクラスだと称賛されています。
また、清武弘嗣は、トラップが非常に巧く、たびたびトラップからチャンスを作り出しています。本当に「怪我さえなければ」「チームにさえ恵まれていれば」もっと凄い選手になっているでしょうし、もっと高い評価を受けて名門と呼ばれるチームへ移籍していたと思います。
清武弘嗣の年俸の推移は?海外で順調に伸ばすも、またしてもアクシデント発生!
清武弘嗣は、2008年の19歳の時に360万円、2009年に450万円、2010年に800万円の年俸を得ています。2011年にはセレッソ大阪で看板選手となり、清武弘嗣の年俸は1500万円にアップ。2012年には3000万まで跳ね上がり、2013年は1億円。2014年の清武弘嗣の年俸は1.9億円と言われています。
日本では、怪我やチームが残念なことになり年俸は低かったですが、ドイツへ移籍した後は、年俸も順調に増えています。しかし今回の怪我は痛いものになってしまいました。今季絶望といわれいる清武弘嗣、怪我さえなければもっと上を狙える選手なのですが。
清武弘嗣の褒め殺し、寂しがり、弱気伝説エピソード集!
清武弘嗣の褒め殺し、寂しがり伝説エピソード!一人ではいられない!
清武弘嗣は、褒め殺しとも思える発言をたびたびすることでも有名です。ユース時代の後輩である東慶悟と対戦する際には「ミスがないプレイヤーだら対面したくない」と、自分のほうが評価を得ていて実績もあるのに相手を褒め殺し。また、同じチームの山口蛍を「1対1が強くて味方で良かった」、ブログでは、浦和レッズの山田直輝を「浦和の至宝」と紹介、柏レイソルの酒井宏樹に対しては「巧いし、弱点がなく、試合で酒井宏樹の守るサイドに行きたくない」とコメントしたりしています。
相手を油断させる策略かと思いきや、清武弘嗣本人は真面目に言っている様子。また、清武弘嗣の寂しがりエピソードも知られたところです。大分トリニータのユースチームから2010年にセレッソ大阪に移籍した清武弘嗣は、新しい環境に慣れずに、大分ユースの仲間に連絡を取り続け、大分に帰りたいと嘆いていたのだとか。
また、セレッソ大阪の環境に馴染み始めると、今度は、セレッソ大阪の選手の部屋に入り浸る、寮を出ても、山口蛍の部屋に居座るなどなど……どうやら、清武弘嗣は一人でいるのがとても苦手なようなのです。さらに、香川真司がドルトムントへ移籍する際に、後釜として挙げられ「無理っす」と答えた清武弘嗣。プレッシャーのあまり吐いてしまったという話もありました。寂しがりで、弱気な一面をのぞかせることもありますが、それが、繊細で緻密な清武弘嗣のプレイの元となっているのかもしれないと考えると興味深いものではあります。
清武弘嗣の弱気伝説エピソード!結婚し子供を得たことで終幕か!?
清武弘嗣はセレッソ大阪時代、大阪のあまりの人だかりを怖がり、寮と練習場の往復のみに徹する、初代表の際には、誰にも会わないように、起きたらすぐに一人で朝ご飯を食べて逃げる、五輪キャンプで怪我をしてポジションを奪われ泣き言を言い始めるも、控えでもくじけない先輩の播戸竜二を見て立ち直るなど、人間らしいエピソードに事欠きません。
しかし、小学校時代の一つ上の先輩と結婚し、その美人ぶりが話題となった奥さんと子供を得た今、清武弘嗣の弱気や寂しがり伝説は終幕を迎えています。残念なような喜ばしいような……ファンとしては、ネタとして面白かっただけに少しだけ残念な気がします。
清武弘嗣の今後は!?怪我に関して何か対策を立てないと後が無い!
清武弘嗣は、日本代表の練習で骨折し、今季絶望と言われています。所属するチーム、ハノーファーも、清武弘嗣ありきの戦術のため、降格ギリギリの今、微妙な情勢です。清武弘嗣は、またしてもチーム移籍となってしまうのでしょうか。清武弘嗣は、やはり怪我に関して何らかの対策を立てないと後がないと思います。
中村俊輔も、怪我が多い選手として有名だったため、日本代表で思うような活躍をできず海外のビッグクラブでの活躍には至れませんでした。才能だけなら中田英寿を凌駕する可能性を秘めていただけに、体が才能に追いつけなかったのが悔やまれる選手なのです。清武弘嗣も、怪我が非常に目立ち、代表で思うような結果を残せていないのは同様。監督としても、怪我が多い選手をそうそう使えません。
ですから、清武弘嗣が今後活躍し飛躍するためには、怪我をしない動きや、体調の管理が不可欠な要素となってくることでしょう。これができなければ、せっかくのダイヤも、原石のまま土に還ることになってしまいます。今回の骨折も、着地に失敗したためで、難しい場面だったのかもしれませんが、防げる怪我のようにも思えます。
清武弘嗣には、ぜひ怪我を克服し、チームを救い、これまでの流れを変えてほしいと思います。まだ26ですのでチャンスはあります。ヒントは転がっているのですから、体裁を気にせず拾いに行くべきです。清武弘嗣は悲運のエースなのかどうか……今後の活躍を見守りましょう。