小林千絵はオーディションで河合奈保子に敗れ準優勝!現在、結婚して一児の母親に

小林千絵はオーディションで河合奈保子に敗れ準優勝!現在、結婚して一児の母親に

小林千絵は「西城秀樹の弟・妹募集オーディション」で河合奈保子に敗れて準優勝

1983年にアイドルとして歌手デビューした小林千絵。実は13歳の頃からオーディションを受けていて、「オーディション荒らしの千絵ちゃん」とまで言われていました。1980年に出場した「西城秀樹の弟・妹募集オーディション」では、最終選考まで残ったものの、優勝したのは河合奈保子でした。

小林千絵は、残念ながら準優勝にとどまっています。実はこの時、アイドルデビューの話も出たと言いますが、準優勝では満足できなかったのか、それを断ったという小林千絵。その後、ヤマハボーカルオーディション「ザ・デビュー」で優勝し、スカウトを受けたポニーキャニオンから「いつも片想い」で歌手デビューしました。

小林千絵は現在、結婚して一児の母親に!

小林千絵は、ロサンゼルスのテレビ番組制作会社で働いていた8歳年下の男性に運命を感じ、猛烈にアタックしたそうです。そして2002年、38歳の時に結婚し、翌年には長男が生まれています。子育ても一段落した現在は、テレビでの映画評論といった仕事をしながら歌手活動も少しずつ再開。高校生になった長男は難しいお年頃のようですが、家庭は円満で、幸せな生活を送っています。

小林千絵はパチンコ好きで有名だった!美川憲一ともパチンコのラジオ番組で共演

小林千絵はパチンコ好きで有名だった!「パチンコ千絵」という本まで出版!

小林千絵は、パチンコ好きなことでも知られています。1995年には、小林千絵をモチーフにしたパチンコ台まで登場し、フィーバー時には本人の歌声が流れました。小林千絵のパチンコ好きがどれほどのものなのかは、1996年に「パチンコ千絵」という本まで出していることでも分かるでしょう。

また、中部日本放送のパチンコ番組「パチンコNOW2」では、1998年4月~2002年6月までの間、司会を担当。パチンコにのめりこむあまり、隣の台に座っていた人から「こんなところで運使ってるから売れないんだよ」と言われたこともあるそうです。

小林千絵が美川憲一と共演していた番組はパチンコのラジオ番組!?

小林千絵は、1992年のTBSラジオの「まんなかラジメント・美川と千絵の白昼堂々」で、美川憲一と共演しています。「まんなかラジメント」は、リスナー参加型パチンコ大会の模様を伝える特別企画番組です。小林千絵は、美川憲一と共に大会の司会進行役を担当。美川憲一の強烈なコメントを小林千絵がうまく受け止めるトークが面白いと評判になりました。あまりにも息がぴったりなコンビだったため、交際の噂が出たこともあったそうです。

小林千絵は不作の83年組アイドル!関西ではバラドルとしても大活躍

小林千絵は、1982年にデビューしてヒットを連発した中森明菜や早見優たちに比べ、「不作の83年組アイドル」と言われていました。同じ「不作の83年組」には、松本明子や森尾由美、大沢逸美、桑田靖子などがいます。

小林千絵自身、たしかにヒット曲は少なかったですが、出身地・大阪を中心とする関西の番組では活躍していました。大阪MBSラジオの番組「MBSヤングタウン」では、大阪弁丸出しでしゃべる西川のりおとの面白いトークが人気に。ヤンタンがきっかけとなり、関西を中心にバラエティ番組に出演する機会が多くなり、バラドルとして注目を浴びるようになりました。

そんな小林千絵は、1983年にデビューした「83年組」アイドルたちとともに、「お神セブン」というグループを結成し、2018年11月19~20日の2日間限定ライブを開催します。バラエティ番組で共演したことはあったものの、同期のメンバーが揃うことはなかなかなかったそうですが、大沢逸美がテレビ番組の企画で「同期に会いたい」と言ったことがきっかけで、35年ぶりのランチが実現。「35周年イベント☆83年組アイドル~不作と言われた私たち『お神セブン』と申します~」を行うことになりました。

不作と言われてはいたものの、小林千絵や松本明子、森尾由美といった顔ぶれを見ると、「83年組」がバラドルというカテゴリーを生み出したと言っても過言ではありません。このたび結成した「お神セブン」のライブも、「83年組」の持ち味を生かした楽しいものになることを期待しています。

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