小松政夫の珠玉の昭和ギャグ!伊東四朗とのコンビ芸で一世風靡した時代があった
小松政夫の「なが―い目でみてやってください」はこれぞ通好みの昭和ギャグ
小松政夫は、1942年生まれの74歳。ピンのベテランコメディアンです。50歳以上のおじさんが集まった居酒屋の座敷席を想像してみてください。
1人のおじさんが、酔っぱらったあげく、飲み仲間に注意されます。おじさんは、急に改まって、相手の両肩に手をおき、「どうかひとつ!」と懇願するや、間髪を入れず両手で目尻を伸ばして、「ながーい目でみてやってください」とふざけ顔。相手が怒って一発見舞うと、おじさんは、「もーイヤ、もーイヤこんな生活!」と、オカマチックに座敷にしなだれる。
……こんなおじさんがいたら、彼は小さい頃、小松政夫を絶対見ていたに違いありません。当時、小松政夫のギャグは、お笑い好きの子供たちの中でも、通好みのギャグとして大うけでした。
小松政夫と伊東四郎が目指した狂気のスラップスティック「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」
小松政夫は、1970年代の終わり、伊東四郎と出演した、NET(現テレビ朝日)バラエティ番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」で、「悪ガキ一家の鬼かあちゃん」のコントや、電線音頭で、一世を風靡します。伊東四郎は、「てんぷくトリオ」という人気コントグループのメンバーでしたが、メンバーの戸塚睦夫が早くに亡くなり、ピンのコメディアンとしても活躍していました。
小松政夫扮する小賢しい小学生が連発するギャグは抱腹絶倒。今でいうリズムものの走りである、「ニンドスハッカッカ、マー! ヒジリキホッキョッキョ! トーベトベトベガッチャマン〜、ガ〜ッチャマンニマケルナ、マケルナガッチャマン、ワ〜!」という意味不明な掛け声や、「悪りーね、悪りーね、ワリーネ・デイートリヒ」「上手だね、上手だね~」「そーでしょ? そーでしょ? そりゃそうだモン」といった、リフレインするギャグが特徴的でした。
また、電線音頭は、伊東四朗扮する「ベンジャミン伊東」と、小松政夫の「小松与太八左衛門」、そして電線マンが、「チュチュンガチュン、チュチュンガチュン。電線にスズメが三羽とまってさ。それを猟師が鉄砲で撃ってさ。煮てさ、焼いてさ 食ってさ。ヨイヨイヨイヨイ、オットットット!ヨイヨイヨイヨイ オットットット!」という音頭を、みんなでひたすら狂喜乱舞するだけなのですが、バブル期を予感してか、この音頭が日本中で狂ったように流行りました。
さらに小松政夫が、マペットを使って歌う、「しーらけ鳥飛んでいく、南の空に。みじめ、みじめ~」の「しらけ鳥音頭」も大ヒットしました。志村けんの「カラスの勝手でしょ」が登場するのは、このヒットから3年後のことです。
小松政夫の現在の活動は?生い立ちから芸能界デビューまで
小松政夫がオヤジと慕うコメディアンは「日本一の無責任男」植木等だった
小松政夫は、今でこそいぶし銀のコメディリリーフであり、名バイプレーヤーですが、そのキャリアは、偉大なコメディアンの付き人からスタートしています。小松政夫は、福岡県博多の出身です。高校を卒業して、兄を頼って横浜へ出た後は、いくつかの仕事を経て、横浜トヨペットのディラーとなった小松政夫は、なんと20歳の若さでトップセールスマンとなります。
小松政夫の自伝のタイトル「のぼせもんやけん」が示す通り、その熱中しやすい性格と、生まれながらの人を楽しませる能力が開花したのでしょう。そして小松政夫は、本来の夢であった役者を目指して東京へ出て、人気ギャグバンド・クレージーキャッツの中心メンバーで、「日本一の無責任男」植木等の付き人となります。
小松政夫が植木等伝説のギャグ「およびでない?こりゃまた失礼致しました!」をつくった?!
小松政夫の師匠であった植木等のギャグといえば、伝説のバラエティ番組「しゃぼん玉ホリデー」内で披露された「お呼びでない」です。小松政夫が、植木等の出番を間違えて知らせ、全く関係のないシーンに出てしまったという植木等。とっさに、「お呼びでない?お呼びでないっ、こりゃまた失礼いたしました!」とアドリブで叫び、これが大ウケして生まれたと伝えられています。
しかし小松政夫は、実はこれは、植木等が自分(小松政夫)を売り出すためにエピソードして語ってくれたことだと恐縮しています。植木等は、小松政夫が付き人となった時、小松政夫の父がすでに亡くなったことを聞き、これからは、俺を父と思ってがんばれと励ましました。以後、小松政夫は、植木等をオヤジさんと慕い、植木等が亡くなった時は、植木等を死装束に着替えさせたといいます。2人の間には、誰にも代えがたい師弟関係が築かれていたようです。
小松政夫は今や日本喜劇人協会会長に!亡き師匠に捧げる「親父の名字で生きてます」
小松政夫は、今や日本喜劇人協会会長ですが、36年ぶりに新曲を出しました。曲名はズバリ、「親父の名字で生きてます」。亡き師匠、植木等への想いを切々と歌った真面目な演歌です。また、年明けからは、「いつも心にシャボン玉」と題して、小松政夫芸能生活50周年記念公演を、東京、名古屋、大阪、福岡の4都市で公演します。植木等が所属していた伝説のコミックバンド「クレージーキャッツ」が得意とした、ビッグバンドとの共演による音楽コントや、旬の若手芸人とコラボした、小松政夫のキレのよいコントは必見です。
小松政夫の芸の神髄は、まさに受ける芸、ボケにあるのではないでしょうか。だからこそ、ツッコミが良ければ、変幻自在に変化する芸といえます。小松政夫は、伊東四郎だけでなく、同郷であるタモリとのコンビでも有名です。伊東四郎とのコンビが、狂気のスラップスティックならば、タモリとは、まさに宴会芸の極地ともいうべきものでした。
たとえば、「製材所」と呼ばれる芸は、製材所の口真似からはじまって、お互いが真似する物や人物までを、カッターで次々と切っていくという、シュールでハイブロウな芸。まさに小松政夫は、芸と祭りが大好きな、博多が生んだ偉大な「のぼせもん」です。ところで、小松政夫がブレイクしたのは、往年の映画評論家、淀川長治のモノマネでした。「まあ、すごかったですね、小松政夫。それではみなさん、またお会いしましょう。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」。