黒川紀章が設計した「中銀カプセルタワービル」の未来はいかに?妻や子供の現在は?

黒川紀章の未来都市アスタナが凄い!銀座のカプセルタワービルはどうなる?

黒川紀章が設計した「中銀カプセルタワービル」の未来はいかに?

日本人建築家で、東京都知事選挙や参院選出馬でも話題を呼んだ黒川紀章(くろかわきしょう)。黒川紀章により設計された独創的な建築物が数多く存在しますが、中でも有名なのは、東京の銀座にある「中銀カプセルタワービル」です。

その名の通り、複数のカプセル状の部屋から構成されたビルで、11階建てと13階建ての2棟が建ち並びます。140ものカプセルがボルトで固定されていますが、そのカプセルは着脱可能という、個性的としか言いようのないデザイン。これは、黒川紀章らが提唱する建築理論「メタボリズム(新陳代謝を意味する言葉)」を象徴する建築物として、高い評価を受けています。

しかし、1972年に完成した「中銀カプセルタワービル」は、今年で築45年となり、確実に老朽化が進みました。故に、解体するべきか、はたまた保存するべきかが議論されるようになりました。これまでに大規模修繕は行われていないため、その危険性を指摘して、解体や建て替えを支持する意見もある一方で、建築物としての評価や価値を重視して、保存すべきという意見も多くある現在。

果たして、世界の黒川紀章の作品「中銀カプセルタワービル」の未来はいかに?その結論が出るのは、まだ少し先のようです。

黒川紀章が造り上げた近未来都市「アスタナ」とは!?

黒川紀章が設計したアスタナという、未来都市をご存じでしょうか?未来都市と聞くと、空想の世界を想像するかもしれませんが、カザフスタンに実在する都市で、現在も開発が続けられています。1997年に、アルマトイから遷都され首都となったアスタナの名前の意味は、カザフ語で「偉大な都市」。

カザフスタンは旧ソ連から独立した国家ですが、その存在を世界へアピールするために計画されたのが、最先端の都市建設でした。そんな近未来都市アスタナの建設に当たって行われた1998年の国際コンペで選ばれたのが、黒川紀章の都市計画。まるでSF映画のような建物や、アーティスティックなビルが建ち並び、完成予定は2030年です。

2007年に黒川紀章が亡くなってからも、彼の設計にそって建築が進められているとは、なんとも不思議な感じがします。

黒川紀章が妻・若尾文子と交わした最期の会話とは?!息子や娘の現在は?

黒川紀章の妻は女優の若尾文子!息子と娘の現在は?

2007年に逝去した黒川紀章の妻は、大女優の若尾文子です。2人は、1987年に入籍しますが、それまでも長年に渡り同棲を続けていました。お互いが50歳を迎える年を節目として入籍し、正式に夫婦となりました。結婚当時は2人ともバツイチで、若尾文子には子供はいませんでしたが、黒川紀章は前妻との間に1男1女を授かっていました。若尾文子との間には子供はいません。

偉大な父親の下に生まれた息子と娘は、黒川紀章の個人事務所である株式会社黒川紀章建築都市設計事務所の経営に携わっていたそうです。特に、長男の黒川未来夫は、会社の代表取締役社長に就任しましたが、黒川紀章の没後、2014年に、事務所は倒産。現在は新会社に事業譲渡されています。

黒川紀章と若尾文子が交わした最期の会話とは?

若尾文子は、妻として黒川紀章を支えながら、そして彼の逝去後も、女優として数々の映画やテレビドラマに出演してきました。少し前になりますが、ソフトバンクのCMに出演していた姿をご記憶の方も多いことでしょう。そんな若尾文子も事実だと認める、黒川紀章との最期の会話は有名です。

他界する直前、病室のベッドで、若尾文子の「あまりいい奥さんじゃなかったわね」という言葉に対し、黒川紀章は「そんなこと(ない)……本当に大好きだったんだから」と返事をしたそうです。本当にいい夫婦だったこと分かるエピソードですね。

黒川紀章のメタボリズムを語り継ぐ!建造物が登録有形文化財に次々と登録?!

文化審議会は、2017年7月21日、文部科学相に対して、黒川紀章が設計を担った山形県の寒河江市役所庁舎など、244件の建造物を登録有形文化財として新たに登録するよう答申しました。1967年に建設された黒川紀章の設計による寒河江市役所庁舎は、3~4階が前に飛び出したような、宙に浮いたような構造が特徴的な建物です。

これもまた、1960年代に黒川紀章らにより展開された、社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や、建築を提案する建築理論「メタボリズム」を反映したものだと言われています。このメタボリズムにおいて、「機械の時代から生命の時代へ」をテーマに掲げていた黒川紀章。寒河江市庁舎の吹き抜け部分も、そのテーマを体現するがごとく母親の胎内をイメージしたもの。他にも黒川紀章が設計した建築物の数々には、このメタボリズム思想が顕著に表現されています。

黒川紀章らによるメタボリズムという思想は、当時としてはかなり斬新で、構想で終わる計画も多いものでした。しかし、大事なのはその思想そのもの。その思想は決して色褪せることなく、これからの都市の在り方を考える上でも多くのヒントを与えてくれるでしょう。老朽化が進んだ建築物も、できることならば解体するのではなく、遺産として保存を進め、語り継いでいきたいものです。

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