草村礼子はベテラン舞台女優!ボランティア活動の「夢のダンス」とは?
草村礼子はベテラン舞台女優!劇団東京小劇場で幹部女優として活躍
1940年生まれで東京都出身の草村礼子は、舞台や映画、テレビドラマで活躍するベテラン女優です。中学2年生の頃に、文化祭の劇で友だちの代役を果たし、芝居の魅力を知った草村礼子。東京都立国立高等学校を中退して、劇団炎座に半ば押し掛ける形で研修生になりました。
その後、国芸へ活動拠点を移し、劇団女優として頭角を現した草村礼子は、さらなる飛躍を目指して劇団東京小劇場へ移籍。退団するまでの16年間、幹部女優として舞台に立ち続けました。
草村礼子のボランティア活動「夢のダンス」とは?
長い間、女優として活躍してきた草村礼子は、2005年から「ダンス」というボランティア活動も行っています。それは、社交ダンスがテーマの映画「Shall we ダンス?」のダンス講師役で知名度を高め、以後も社交ダンスを続けている草村礼子ならではのユニークな活動です。
草村礼子が行っている「夢のダンス」の狙いは、病や加齢のために車いす生活を余儀なくされている人々の心身を、ダンスを通して活性化させること。アレンジした懐メロに合わせて、車いすの方と手を取り合って踊ります。車いすをグルグル回すようなものではなく、ダンスボランティアの巧みな体重移動の誘導により、車いすに座っていながらも社交ダンスのスイングを感じられるところが魅力だそうです。
草村礼子の夫は舞台監督!ホームページで活動を精力的に発信
草村礼子の夫は舞台監督!テレビ番組では夫婦共演も
草村礼子は1966年頃に、舞台監督の夫と結婚したと伝えられています。もともと舞台ファンの間で知られる存在で、結婚当初は世間的な知名度はそれほど高くなかっただけに、夫や子供についてのプライベート情報はあまり知られていません。しかし、2010年1月に放送されたテレビ東京の「お得で豪華な冬の旅 素泊まり歓迎の名旅館」では、夫と共演。静岡県の南伊豆にある蓮台寺温泉を訪れた草村礼子と夫は、終始仲睦まじい様子でした。
草村礼子はホームページで活動を精力的に発信
まもなく80代になる草村礼子は、公式ホームページを通じて精力的に情報を発信し続けています。「Shall we…?」と題されたホームページには、過去のスナップ写真なども多数掲載されている他、「おまけ」コーナーでは、お肌のお手入れ方法も公開。
その中でも、告知に力を入れているのが一人芝居です。草村礼子と、彼女のライブ活動をサポートする俳優やスタッフからなるヒーロー&レイ企画は、1981年より「いのちと愛」をテーマにした一人芝居を披露してきました。劇場に限らず、喫茶店や結婚式場の大広間など、会場を限定せずに開催してきたこの活動は、多大な功績が認められ、1990年には文化庁芸術祭賞を受賞しています。
草村礼子が1人で何役も演じ分ける!?世界的なSF小説「華氏451度」が脚色を加えて舞台化!
世界的に有名な作家かつ詩人であるレイ・ブッラドベリが、1953年に書いたSF小説「華氏451度」の舞台作品に、草村礼子が出演することが発表されました。小説のタイトル「華氏451度」は、本の素材である紙が燃え始めるとされる温度。そんな不思議なタイトルを持つ「華氏451度」の舞台となるのは、読書や本を所持することが禁じられているという架空の近未来で、主人公のガイ・モンターグは、本の所持を取り締まるファイヤマンです。
舞台「華氏451度」で主人公のモンターグを演じるのは吉沢悠。その他出演者は、草村礼子をはじめ、美波や吹越満、土井ケイトら個性的な実力者揃い。長塚圭史が脚本、白井晃が演出を務め、新たな脚色もされるという舞台版では、ユニークなことに、主人公を演じる吉沢悠以外の俳優は、それぞれが2~4役を演じ分ける演出になっているそうです。近年は「上品なおばあちゃま」というイメージの強い草村礼子が、舞台では一体どのような顔を見せてくれるのでしょうか?
高校を中退して女優の道へ飛び込んでから約60年。世間の知名度が一気に上がったのが、1996年公開の映画「Shall we ダンス?」。草村礼子は、おおよそ40年間地道に女優活動を続けてきたことになります。10代~50代半ばまでは、華やかなスポットライトは当たらなくとも演じ続けてきた草村礼子の歩みからは、「芝居が好き」との一念が伝わってきます。
2012年に公開された映画「レンタネコ」出演時のインタビューでは、「家事をして、仕事をして、その合間にボランティアをしているので、寂しがっている暇がない」と、充実した毎日を送っていると明かした草村礼子。今後も、彼女にしか演じられない役で、名脇役として活躍を続けていくに違いありません。