美木良介がロングブレスを発案するまでの経歴を振り返る!

美木良介は野球歴も凄かった!歌手もこなすマルチな俳優

美木良介はプロ野球を目指していた!その凄い野球歴とは?

俳優として活躍しながら、最近は独自に考案したダイエット法である、ロングブレスを紹介するフィットネスインストラクターとしても知られている美木良介。見事に引き締まった体をご覧になった方も多いことでしょう。そんな美木良介が、プロ野球選手を志していたことをご存じでしょうか?

県立岡山東商業高校時代は、もちろん野球部に所属していた美木良介。17歳だった1974年、その実力を買われてサードレギュラーとなり、春の選抜と夏の全国高等学校野球選手権大会に出場します。その後、法政大学社会学部へ進学し、2歳上の先輩にかの江川卓がいるという強豪チームで、野球選手として順調に成長を続けていきました。その結果、美木良介は、なんと西武ライオンズへの入団を打診されるまでになります。しかし、肘の故障があったため、プロ野球選手への道は断念しました。

美木良介は俳優も歌手もこなす!代表作や経歴は?

プロ野球選手への道を断念した美木良介は、法政大学を卒業した後、レコード会社が開催したオーディションへ挑み、ハスキーボイスが認められて歌手デビューすることになりました。しかし、レコードのジャケット撮影のために訪れた東宝撮影所にて、監督や演出家として有名な土屋統吾郎にスカウトされ、1980年放映のドラマ「ただいま放課後」にて先に俳優デビュー。

1981年には「涙きれいだね」のレコードを出し、歌手としても予定通りデビューしました。1984年には、終戦後の淡路島を舞台に描かれた「瀬戸内少年野球団」にて映画デビューを飾るとともに、NHKの連続テレビ小説「心はいつもラムネ色」にも出演。以後現在に至るまで、時代劇や任侠もの、サスペンスなど、多数のジャンルで幅広く活躍する俳優です。

美木良介の実家は姫路市で一番の有名店だった!結婚した妻はどんな人?

美木良介の実家は姫路市で一番の有名店だった!……でも閉店してしまった?

美木良介の実家は、兵庫県姫路市で一番との呼び名も高い有名な寿司店だったそうです。元プロ野球選手にしてチーム監督も務めた王貞治や、阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)の投手で、アンダスローで知られる山田久志も来店していたと言います。お盆などの繁忙期はとにかく忙しかったため、自らも店を手伝い、寿司を握っていたという美木良介は、寿司の握りには自信があるとか。しかし、美木良介の父親が亡くなったことをきっかけに、残念ながら閉店しています。

美木良介が結婚した妻は外資系OLでファンだった?

長年独身を通してきた美木良介でしたが、2001年、44歳のときに、10歳年下の外資系OLとの結婚しました。妻は、仕事で海外を飛び回るようなキャリアウーマンで、美木良介の熱烈なファンでもありました。美木良介が実家の寿司屋に帰ることを知った彼女は、彼が握る寿司を食べに向かったとか。彼女を見た美木良介も、「素敵な子だと思った」そうです。翌日には、姫路市の有名スポットである姫路城でデートをして親交を深めたと言いますから、運命の出会いだったのかもしれません。結婚した翌2002年には、女児にも恵まれました。

美木良介はひどい腰痛持ちだった!ロングブレスダイエットの誕生秘話とは!

少し前までは、落ち着きのある声で渋い役柄を演じる俳優というイメージが強かった美木良介ですが、今では、ロングブレスダイエットの考案者としても有名です。そんなロングブレスダイエットの誕生には、美木良介の抱えていた病気が関わっていたと言います。

30歳の頃からひどい腰痛を患っていたという美木良介。若い頃は、それでも筋力によってカバーできていた腰痛も、年齢を重ねて筋力が低下していくとともにひどくなっていき、50歳前には、歩くことも立つこともできないほど悪化しました。医者からは手術を勧められましたが、完治する確率は低いということで、自ら学んでたどり着いたのが呼吸法です。

美木良介は、独自のやり方でインナーマッスルを鍛えることで、開始して半月後には走れるまでに腰痛が回復。同時に無理なく痩せた経験をしたことから、ロングブレスダイエットが誕生しました。効果にはもちろん個人差があるでしょうが、いつ・どこででも行うことができる比較的手軽なダイエット法なので、注目を集めているのもうなずけます。何よりも、もうじき還暦を迎えるというのに、いまだに引き締まった身体を維持している美木良介の存在こそが、ロングブレスダイエットの効果を証明していると言えますね。

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