相島一之は三谷幸喜作品の常連俳優!音楽活動ではブルースバンドを結成

相島一之は三谷幸喜作品の常連俳優!患った病気とは?

相島一之は三谷幸喜作品の常連俳優!

演技派俳優の相島一之(あいじまかずゆき)は、クセのある役を多く演じている名脇役としても有名です。大人気ドラマ「ショムニ」で、櫻井淳子が演じた魔性のOL佳奈の虜になるサラリーマン役を演じたイメージも強い相島一之は、1987年に、三谷幸喜を中心に旗揚げされた劇団「東京サンシャインボーイズ」に入団。舞台で活躍するようになり、三谷幸喜作品の常連俳優と言われるようになりました。

そんな相島一之が出演した三谷幸喜の主な作品は、NHK大河ドラマ「新撰組」や日本テレビの「竜馬におまかせ!」。映画では、「THE有頂天ホテル」や「ステキな金縛り」などがあります。三谷幸喜作品以外でも、代表作の1つと言える「ショムニ」シリーズのほか、NHKの朝ドラ「春よ、来い」や「花子とアン」、TBSの「JIN~仁~」など、数えきれないほどの話題作に出演。「大岡越前」や「伝七捕物帳」といった時代劇にも多く出演しています。

相島一之が患った病気とは?病名はGIST(消化管間質腫瘍)

そのため、コンスタントに活躍を続けていましたが、2008年には病気で休業していた時期があります。当時は「がんを患っている」という噂が広がったものですが、実は、非常に珍しい病気に罹っていました。ブログで明かしたところによると、相島一之が患ったのはGIST(ジスト)という病気です。

日本名は消化管間質腫瘍と言い、排便が困難になり病院で診察を受けたところ、直腸内に、野球ボール大の腫瘍が見つかったそうです。悪性の腫瘍には違いありませんが、いわゆるがんと異なるのは、消化器の筋肉層にできるため転移しにくく、特効薬があること。

骨盤内全摘出のケースもあると説明されましたが、4カ月ほど服用を続けた特効薬が効いたことで、腫瘍がピンポン玉くらいの大きさになったタイミングで腹腔鏡手術により摘出。油断はできないものの、予後も順調だと明かしています。

相島一之の妻や子供は?独自スタイルで落語に挑戦

相島一之の妻や子供は?10歳年下の女性と5年の交際を経て結婚!

相島一之は45歳の時に結婚しています。妻は10歳年下で、相島一之が活躍していた劇団「東京サンシャインボーイズ」で制作を担当していた女性です。2人は、劇団が充電期間に入った後に再会し、5年の交際を経て結婚しました。結婚してから5年が経った2011年には、子供も誕生しています。第一子は男の子で、2014年に生まれた第二子は女の子です。第一子が生まれた時、相島一之は49歳でしたが、「これから頑張って父になろうと思います」と強い決意のほどをブログに綴っています。

相島一之が独自スタイルで落語に挑戦!

相島一之は、2012年7月から、立川志らくと一緒に赤坂寄席で落語に挑戦しています。きっかけは、「一人語り」がしたいと考えていた相島一之が、「落語はどう?」と誘われたことでした。もともと落語が好きだったという相島一之は、俳優は落語家にはなれないけれど、役者にしかできない落語があると思ったと言います。

そのため、本家の落語家に敬意を表し、あえて洋装で椅子に座り、出囃子で登場するのではなく、自分でハーモニカを吹いてから始めるなど、相島流の独自スタイルで行う落語を考案しました。そんな斬新な演出はなかなか好評だったようですが、2016年11月に開催された寄席を最後に行われていません。今後のスケジュールも気になるところです。

相島一之は俳優業だけではなく音楽活動も!ブルースバンドを結成

相島一之は、2010年3月に、相島一之&THE BLUES JUMPERSというブルースバンドを結成しました。バンドを作るきっかけになったのは、2000年に出演したドラマで音楽監督をしていたYASSとの出会いです。ブルース好きという共通点があった2人は以後も交流を続け、とうとうバンドを結成することになりました。

相島一之は、ボーカルのほか、ブルーハープや作詞などを担当。YASSは、ギターとボーカル担当です。2人の他に、ベース担当のYAN-Gと、ドラム担当の高橋裕子がいます。2011年にはファーストアルバム「ポケットいっぱいのブルース」を、2013年にはセカンドアルバム「My Stories」をリリース。定期的にライブ活動を行うなど、相島一之はミュージシャンとしても本格的に活動しています。

相島一之が音楽活動を行うようになった原点は、高校時代にあるようです。埼玉県立熊谷高校に在学していた相島一之は、2年生の時に、仲間5人でロック研究会を作りました。ロックについてマニアックな話をしたり、お互いにレコードを貸し合ったり、文化祭ではレコードコンサートも開いていたとか。

その頃の相島一之が好きだったのは、1960年代後半から1970年代中頃まで流行っていたブルースロック。成績が落ち込み苦しい思いをしていた高校時代の心の支えになっていたのがロック音楽でした。立教大学に進学した後は演劇に興味を持つようになり、そのまま俳優の道に進みましたが、今音楽に熱くなれるのは、本気で向き合っていた高校時代があったからだと語っています。

お芝居に落語、さらに音楽と、多才な相島一之。ブログでは子供たちと過ごす様子も明かすなど、公私ともにますます充実しているようです。次はどのようなパフォーマンスで楽しませてくれるのか、わくわくが止まりません。

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