美輪明宏がヨイトマケを紅白で歌ったワケ!放送禁止からの復活

2015年12月27日 更新

美輪明宏が友の亡き母に捧ぐ「ヨイトマケの唄」

美輪明宏が「ヨイトマケの唄」を作った理由(わけ)

美輪明宏の「ヨイトマケの唄」が世に出た1966年、当時は歌手自ら作詞作曲するという前例はなく、日本初のシンガーソング・ライターとなった美輪明宏は世間から「生意気だ」とのバッシングを受けました。

それでも美輪明宏がこの歌にこだわった理由は、興行主の手違いで行った炭鉱町でのコンサートでした。自分の安い賃金をつぎ込んでコンサートに足を運び、会場を埋め尽くした大勢の炭鉱労働者の姿に心打たれた美輪明宏は、労働者を歌った労働者のための楽曲を作ろうと決意したのです。

美輪明宏が「ヨイトマケの唄」に込めた意味と想い

美輪明宏の「ヨイトマケの唄」は、幼馴染の母を回顧する歌。歌の中の主人公は愛する母親が日雇い労働者という理由でみんなからイジメを受け、屈辱を味わいます。美輪明宏はこの歌を披露する時に「いじめる側の人間は劣等感のかたまりで頭が悪くて、それをごまかすために暴力を振るっていじめるのです。そんな卑しい心根に気づかないでいる。そのことを教えるために、なるべく嫌な顔をして歌っています」と語っています。

美輪明宏が紅白で歌った「ヨイトマケの唄」の反響 衣装と髪型は?

美輪明宏の「ヨイトマケの唄」の歌詞が放送禁止に

美輪明宏が30歳の時にワイドショーで披露したことで、主人公が亡き母のことを歌った「ヨイトマケの唄」は全国的に知られ大ヒットします。しかし、歌詞の中で肉体労働者が重い丸太を持ち上げる時の掛け声を音で表現した「ヨイトマケ」や「土方(どかた)」「ヤクザ」などが差別用語として扱われ、放送禁止になってしまいます。(現在では解除)ただ、民放連に加入していないNHKでは自粛されず、他の歌手によるカバーで歌われたこともありました。そして2012年、美輪明宏は『第63回NHK紅白歌合戦』にこの「ヨイトマケの唄」で初出場を果たします。デビュー60周年での初出場、そして77歳での初出場は、共に紅白史上最年長の記録でした。美輪明宏は普段の金髪にハデハデの衣装を全て封印し、ショートヘアーの黒髪に黒い衣装の落ち着いた雰囲気で登場しました。「歌だけで勝負出来るから余計な照明はいらない」と黒髪にピンスポットだけの演出を本人が希望。まるで舞台を観ているかのような見事な演技力、類まれな歌唱力は全国で大反響を呼びました。

美輪明宏の「ヨイトマケの唄」をカバーしたミュージシャンは?

放送禁止歌に認定されていた「ヨイトマケの唄」でしたが、1883年に制度が廃止。しかしながら、自主規制という形で民法では長い間封印されていました。そんな「ヨイトマケの唄」が再び脚光を浴びたのは1988年。村上“ポンタ”秀一のアルバム『Welcome To My Life』に収録され、泉谷しげるが歌ったものがフジ系『ニュースJAPAN』で流れたこと。更に二年後の2000年に桑田圭祐が自身のフジ系番組『桑田圭祐の音楽寅さん~MUSIC TIGER~』で自ら歌ったことから、後に米良美一、なぎら健壱、大竹しのぶら多くの歌手が歌うきっかけとなりました。

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