不肖宮嶋(宮嶋茂樹)は渡部陽一を超える?「不肖宮嶋戦場でメシ喰う!」の内容とは?

2020年5月15日 更新

不肖宮嶋(宮嶋茂樹)は渡部陽一を超える?「不肖宮嶋戦場でメシ喰う!」の内容とは?

不肖宮嶋(宮嶋茂樹)と渡部陽一を比較!村上龍も認める実力とは?

不肖宮嶋(宮嶋茂樹)と渡部陽一とでは、どちらが戦場カメラマンとして相応しいかという議論が、ネットではたびたび見受けられます。不肖宮嶋は、収監中の浅原彰晃や、初めてロシア外遊中の金正日の撮影に成功した伝説のジャーナリスト。あのハマコー(浜田幸一)の刺青疑惑を晴らした半裸写真を撮影した際には、正面切って挑んでいるのですから、命知らずもいいところです。

不肖宮嶋は、戦地においても、本当の危険地帯での取材を展開する戦場カメラマンということで、自身でも戦争小説を手がける村上龍までもが、「あの人は本物」と発言しています。常に批判的な村上龍が、日本のジャーナリストを褒めるのは異例中の異例。安全最優先をモットーとする渡部陽一を、”戦地前線には赴かない”と批判する人々ならばなおさら、不肖宮嶋こそが真の戦場カメラマンとして映るのでしょう。

不肖宮嶋(宮嶋茂樹)「不肖宮嶋戦場でメシ喰う!」は単なるミリメシ本に非ず!

不肖宮嶋(宮嶋茂樹)が、2008年5月に出版した「不肖宮嶋戦場でメシ喰う!」は、イラク戦争や、人道復興支援など、自衛隊海外派遣活動の戦闘糧食の味をレポートした、いわゆる”ミリメシ本”です。この「不肖宮嶋戦場でメシ喰う!」が、他のミリメシグルメ本にはない強力なエネルギーを感じさせるのは、不肖宮嶋が実際に最前線の地で兵士とテーブルを囲み、兵士と同じ食を摂りながら行動してきた臨場感。

糧食を口にする兵士が、国家から何を与えられ、何を考えながらそこに身を置くのかという不出の本音が、不肖宮嶋の写真と文章で赤裸々に綴られています。不肖宮嶋の表現の本当の凄味は、戦場カメラマンという客観性を超えて、自らがミリメシを食す兵士の舌となり、目となり肉と化すところ。「不肖宮嶋戦場でメシ喰う!」は、”食”という普遍性に基軸を置くことで、より一般社会と戦地との隔たりを感じさせられる真実の1冊に仕上がっています。

不肖宮嶋(宮嶋茂樹)コラコラ記の勢いがスゴイ!”不肖”の使い方の意味は?

不肖宮嶋(宮嶋茂樹)コラコラ記は関西弁での批判論調が猛烈!

不肖宮嶋(宮嶋茂樹)が、産経新聞発行の夕刊フジで連載中の「コラコラ記」は、「コラコラもうあかんで!」「コラコラ、何やっとんじゃ!」と、関西弁全開でまくしたてる批判姿勢が猛烈。韓国中国批判、反日、左派勢力への批判を主とするもので、最近では、熊本地震の際に歓喜した一部の韓国人や、サッカーの試合でピッチにポイ捨てした同国の選手をあげ、「文化の違いやのうて、民度の違い!」との持論を展開した不肖宮嶋。

また、政治資金や公用車の公私混同問題で話題になっている舛添要一東京都知事を取り上げた時も、「おんどれの盟友、韓国のパク・クネ大統領と同様、仲良くレームダック状態やないか!」と、韓国に絡めて綴っています。ネットでは珍しい論調ではありませんが、戦地の死線をくぐってきた不肖宮嶋に関西弁でやられると、身が縮まらんばかりの迫力を覚えてしまうというものです。

不肖宮嶋(宮嶋茂樹)”不肖”の使い方の意味!勝谷誠彦が名付け親だった!

不肖宮嶋(宮嶋茂樹)の”不肖”とは、”取るに足らない未熟な”という自分をへりくだった意味を持ち、軍隊などで、上官への敬意を示すために用いられる言葉です。宮嶋茂樹が”不肖宮嶋”と呼ばれるのは、自衛隊に対する、単なる取材対象ではなく、心から敬愛する姿勢を表したものでもあります。宮嶋茂樹が”不肖宮嶋”となったのは、1996年以降。不肖宮嶋が個人的な交流をもつコラムニスト・勝谷誠彦が、週刊文春の記者だった時代に命名したそうです。

なお、不肖宮嶋の週刊文春における初期連載コーナーは、勝谷誠彦が文章を書いていたそうで、「ああ、堂々の自衛隊」「不肖宮嶋史上最低の作戦」「不肖宮嶋死んでもカメラを離しません」等の初期ルポタージュエッセイは、勝谷誠彦が構成を担当しています。

不肖宮嶋(宮嶋茂樹)カメラ小僧だった大人しい少年時代!出身校、経歴は?

不肖宮嶋(宮嶋茂樹)は、日本大学藝術学部写真学科卒業後、週刊誌「フライデー」専属カメラマンを経て、世界各地の危険な場所から、数々の衝撃的なスクープフィルムを持ち帰るフリーの戦場カメラマンとして活躍するようになりました。1961年5月、兵庫県明石市に生まれた不肖宮嶋。少年時代は何の取り柄もなく、父親から譲ってもらったコンパクトカメラで友人やSLを撮影する、大人しい子供だったそうです。

そんな不肖宮嶋でしたが、教育熱心な母親の勧めでチャレンジした中学受験で、毎年多くの東大・京大・国立医学部合格者を輩出する兵庫県の名門私立白陵中・高等学校に合格。入学後に父親に買ってもらった一眼レフカメラを手に、小遣いの全てを撮影費用にあてながら、同校の写真部で腕を磨くうちに、写真への自信が確信へと変わっていったといいます。当時のフォトコンテストで軒並み落選するたびに、”タチの悪い出来レース”を感じていたという不肖宮嶋。もしかすると、この経験が、彼の並々ならない追及姿勢の源泉なのかもしれません。

あの「コラコラ記」の不肖宮嶋をレギュラーコメンテーターに据える覚悟のある番組は多くなさそうですから、テレビの露出頻度では、不肖宮嶋の価値を図ることもできません。不肖宮嶋と、人の温もりを感じる写真を撮る渡部陽一を比べて、「どちらが戦場カメラマンに相応しい?」という見方自体、決して適切とはいえませんが、鬼気迫る報道姿勢においては、不肖宮嶋の右に出る者はそういない気がします。

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