マハトマ・ガンジーの人生に響く名言集!7つの社会的罪とは?

マハトマ・ガンジーの人生に響く名言集!7つの社会的罪とは?

マハトマ・ガンジーの人生に響く名言集!前向きに生きるためのヒント

マハトマ・ガンジーは、「インド独立の父」と言われる人物です。その名前を知らない人はいないでしょう。イギリスからインドを独立させるために、「非暴力、不服従」を貫いたことで有名ですが、この平和主義的思想は、世界中に影響を与えました。

そんなマハトマ・ガンジーの、徹底した信念をもって行動していたことがよく分かる名言はこれです。「非暴力には敗北などない。これに対して、暴力の果ては必ず敗北である」。マハトマ・ガンジーの名言は他にも数多く残っていて、生きる上でヒントになるものもあります。「あなたの夢は何か、あなたが目的とするものは何か、それさえしっかり持っているならば、必ずや道は開かれるだろう」。どんな小さなことでも、夢や目標がある人は、それを達成せんがために前向きに生きることができると語ります。

そして、達成するためにいろいろ試行錯誤する過程についての名言が「ゴールへ到達しようとの試みにこそ、栄光はある」。夢が実現していないとしても、行動し続けることに自信が持てる名言と言えるでしょう。それでも、なかなか実現しない夢や目標に、途中でくじけそうになるかもしれません。

そんな時は、マハトマ・ガンジーのこの言葉を思い出してください。「多くの犠牲と苦労を経験しなければ、成功とは何かを決して知ることはできない」「重要なのは行為そのものであって、結果ではない」「正しいと信ずることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ」。あきらめずに、とにかく進んでいきましょう。

マハトマ・ガンジー7つの社会的罪とは?

マハトマ・ガンジーは、1925年10月22日、「Young India」という雑誌に、「理念なき政治」「労働なき富」「良心なき快楽」「人格なき学識」「道徳なき商業」「人間性なき化学」「献身なき信仰」を「7つの社会的罪」として指摘しました。じっくり見ると、今の日本社会に当てはまることが少なからず含まれていることが分かります。たとえば、「道徳なき商業」とは、粗悪な物でも売れるならそれでいい、お金になるなら何をしてもいいという考え方です。これは、行き過ぎた資本主義が示す負の側面といえるかもしれません。

「人間性なき化学」、技術が著しい進歩を続ける現代社会において、人間性が置き去りにされつつあることを危惧する声は高まるばかりです。宗教家でもあることから、道徳的な真理を追究し続けてきたマハトマ・ガンジー。この「7つの社会的罪」は、それが個人であろうと、国家であろうと、道徳心を失い、利己的な欲心のみが大きくなることによって起こりうる事柄について指摘しているのではないかと思われます。

マハトマ・ガンジーの生い立ちと人生!悲しすぎる最期とは?

マハトマ・ガンジーの生い立ちと人生!「非暴力、不服従」の思想を貫く

マハトマ・ガンジーは、1869年10月2日、当時イギリス領だったインド帝国のポールバンダルで生まれました。幼い頃は融通のきかない性格で、成績はあまりよくなかったようです。12歳の時にアルフレッドハイスクールに入学し、13歳でカストゥルバと結婚します。当時のインドには幼児婚の習慣があったため、この年で結婚することはめずらしいことではありませんでした。

18歳になったマハトマ・ガンジーは、法廷弁護士になるために、イギリスのロンドンにあるインナー・テンプル法曹院に入学します。卒業後は、イギリス領アフリカ連邦で弁護士になりました。かの地では白人による人種差別がひどく、インド系移民の権利起伏運動などの活動を行っていたマハトマ・ガンジー。時に逮捕されたり、投獄されたりもしましたが、最終的には法廷にて勝利を収めています。

1915年になると、インドに帰国。アフリカでの経験をもとに、イギリスから独立するための活動を指揮するようになりました。これが、「非暴力、不服従」という思想のもとで行われた独立運動です。独立運動は、第二次世界大戦が終結するまでずっと続けられ、ここにイギリスは、ようやくインドの独立を受け入れました。

マハトマ・ガンジーの悲しすぎる最期!同胞に暗殺される!!

マハトマ・ガンジーの「非暴力、不服従」という思想は、暴動などといった暴力的な運動はしない、理不尽な支配に対して服従もしないという精神です。これは宗教的に見ると、ヒンズー教、イスラム教、仏教、キリスト教などにも共通する考え方でした。

このことから、マハトマ・ガンジーは、インド各地に広がっていた様々な宗教グループそれぞれに賛同と協調を求めていきました。マハトマ・ガンジーが願い続けていたのは、インド全体の独立です。そのため、あらゆる宗教の人々に、自身の信奉するヒンズー教の教徒と同じように接しました。

しかし結果的には、仏教徒が多いセイロン島、イスラム教徒が多数を占めるパキスタンなどは、それぞれが分離して独立。「宗教融合のインド」というマハトマ・ガンジーの思いは、叶いませんでした。しかも、同胞のヒンズー教徒からは、「イスラム教徒に対して譲歩しすぎる」などと敵対視されるように。

そのため、インドが独立を成し遂げた翌年の1948年1月30日、マハトマ・ガンジーは、同じヒンズー教徒である政治活動家ナートゥーラーム・ゴードセーに暗殺されました。

マハトマ・ガンジーの「獄中からの手紙」に注目!「非暴力」の本当の意味とは?

マハトマ・ガンジーは、不服従運動や、イギリス製品の不買運動などを行ったことで、何度も投獄されています。1930年に、ヤラヴァーダー中央刑務所に収監されたときには、弟子たちに宛てた手紙を、一週間ごとに送っていました。「獄中からの手紙」は、それらをまとめた書籍で、NHKの「100分でde名著」という番組では、2月の名著として取り上げられていました。

マハトマ・ガンジーの「獄中からの手紙」の放映回は、「生きる」ということについて、深く考えさせられる内容となっています。マハトマ・ガンジーの「非暴力」の思想は、ただ暴力を振るわないということではありません。ここには、怒り、敵対心を超えた「赦し」という深い意味が込められています。「赦すことができない」という怒りの感情は暴力である、と言うマハトマ・ガンジー。その感情がある限り、解決されることは何もなく、本当の平和は自分自身の心の平和から始まるのだ、と説いています。

マハトマ・ガンジーはまた、理不尽なイギリスの塩税法に対して、「塩の行進」を行いました。粗末な格好をして、炎天下をただ歩き続けるマハトマ・ガンジー。その姿を見た人々が、次々行動に移していったことで、数千人の大行進に発展していきました。このあと、マハトマ・ガンジーは逮捕されますが、宗教家としての思想を、自らが行動で示すというところに偉大さを覚えずにはいられません。

マハトマ・ガンジーの誕生日である10月2日は、国際非暴力デーとなっています。「非暴力、不服従」は、言葉にすると簡単に聞こえますが、マハトマ・ガンジーの思想を知れば知るほど、奥が深いことが分かります。「獄中からの手紙」は、自身を見つめ直すためのバイブルとしても、一度目を通してみる価値があるでしょう。

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