2015年7月6日 更新
村田諒太 イケメンボクサー、母や父、嫁や子供は?元ヤンキーがボクサーを目指したワケ
村田諒太 イケメンボクサー、母や父、嫁や子供は?複雑な環境からようやく幸せに!
村田諒太は1986年1月12日生まれの29歳で、奈良県奈良市出身。
3人兄弟の末っ子で、小学6年生の時、村田諒太の母と父は離婚しました。しかし離婚後も村田諒太の母と父は同居しており、その当時のことを振り返った村田諒太は、母と父が離婚しているにもかかわらず同居しているという、崩壊した家庭環境が嫌でたまらなかったと語っています。
村田諒太の嫁は、当時東洋大学に職員として勤務していた4歳年上の一般女性で、佳子さんと言います。2010年5月に村田諒太と佳子さんは結婚し、2011年の5月に村田諒太の子供が生まれました。2012年に出場したロンドンオリンピックの準々決勝前に、村田諒太は長男の映像を携帯で見て気持ちを落ち着かせたといいます。この長男の映像が、村田諒太の心の支えになり、金メダル獲得へと導いたのです。
2014年には村田諒太と嫁の間に長女が生まれ、村田諒太は四人家族の主に。今の村田諒太はイケメンボクサーとしても大注目。女性人気も高くて強いという非の打ちどころがないボクサーです。
村田諒太 担任をきっかけに、元ヤンキーがボクサーを目指したワケとその後
イケメンボクサー村田諒太は過去に複雑な環境で育っています。先にご紹介したように、村田諒太の母と父による家庭崩壊により、中学の頃から性格が歪んでしまい、喧嘩をよくするヤンキー時代がありました。今のイケメンボクサー村田諒太からは想像がつかない、頭はボウズで眉はほぼ無いというもの凄いヤンキー時代の写真がネット上で上がっています。
そんな村田諒太がボクサーを目指したのは、奈良市立伏見中学時代、学校に金髪で登校した時に担任の北出忠徳先生に呼び出され、何かやりたい事はないのかと問われ、ボクシングならやると答えた事がきっかけ。そこから担任の北田忠徳先生の手配で、地元の奈良工業高等学校のボクシング部が主催する、週末ボクシング教室に通い始めます。
しかしボクサーを目指す人には12ラウンド戦える体力が必要。そのための走り込みをやるのですが、村田諒太は二度逃げ出したそうです。辛かったことと、陸上で怪我をして気不味くなったことがその理由でした。その後、中学3年の時から進光ボクシングジムでトレーニングを始めます。学校の授業にはほとんど出ていなかったようですが、南京都高等学校に進学し、高校時代に選抜2回、総体2回、国体1回を制し、5冠を達成。高校卒業後、東洋大学経営学部経営学科へ進学して、迷わずボクシング部に所属。そして2004年に全日本選手権初優勝を果たしました!
アテネオリンピックでは、ミドル級に出場し、銀メダルを獲得。2007年に世界選手権に出場するも2回戦敗退。全日本選手権では二度目の優勝をしましたが、2008年1月のオリンピックのアジア1次予選で準決勝敗退。3月に行われたオリンピックアジア二次予選でも初戦敗退し、北京オリンピックを逃す結果に。2008年3月に東洋大学を卒業し、そのまま東洋大学に就職して大学職員兼ボクシング部コーチとして勤務。
海外ではなかなか戦績を残せていなかった村田諒太ですが、2012年のロンドンオリンピックでは、金メダルを獲得し、2013年に名門、帝拳ジムに所属。プロテストの合格を経て、アマチュアからプロボクサーになりました。
村田諒太 スゴすぎる筋肉のトレーニング方法や次戦、世界ランキングは?
村田諒太 スゴすぎる筋肉のトレーニング方法。ストイックすぎる内容とは。
村田諒太のスゴすぎる筋肉は、体脂肪が低く、余計な肉をそぎ落とした戦う男の理想形です。この筋肉をつくるトレーニング方法は、ストレッチと腹筋に20分、1時間のジムワーク後に筋トレを30分を行う他に朝ロードワークを10kmとダッシュ、自転車系トレーニングなど、有酸素運動を主に取り入れているようです。
また食事療法にも気を付けており、食物繊維から蛋白質、炭水化物の順に食べるなど、急に血糖値を上げないように気を配っています。また以前は初動負荷運動を取り入れていたようで、これは野球選手のイチローも行っていたトレーニングとしても有名。専用の機械と専門のトレーナーの指導の元でしか行えないトレーニングですが、怪我しにくく老化を抑制し、さらに若返るものだそう。
村田諒太のスゴすぎる筋肉のトレーニング方法は、結局のところ、ストイックに取り組んでいるということに尽きます。ここまでストイックに取り組んだからこそ、7戦全勝という結果があるのです。
最近では、相撲の玉ノ井部屋へ出稽古にも出向いています!ちょっと迷走気味でしょうか?!
村田諒太 次戦、世界ランキングは?年齢との戦いもある今後
村田諒太の世界ランキングは2015年5月1日に大田区総合体育館で行われた、WBO世界ミドル級が14位。WBOラテン・ミドル級の王者でもあるダグラス・ダミアオ・アタイデと対戦し5RTKO勝ちを収めた、IBF世界ミドル級では9位。WBO世界ミドル級11位、WBCでは6位にランクしています。
戦績は2013年8月24日にプロデビュー戦で、柴田明雄を2RTKOで破ったのを皮切りに、2013年12月6日には8RTKOでデイブ・ピーターソンを撃破。2014年2月22日にはカルロス・ナシメントを4RTKOで下し、2014年5月22日にはヘスス・アンヘル・ネリオを4RでKO勝ちを収めました。その後2014年9月5日にアドリアン・ルナと10R戦い判定で辛くも勝ちを広い、2014年12月30日にはジェシー・ニックロウとの対戦でも10R戦い、判定勝ちを収めました。
そして2015年5月1日の対戦で久しぶりにTKO勝ちを収めた村田諒太。次戦は5月1日に戦ったばかりですので、残念ながら未定です。
村田諒太の今後は!?世界チャンピオンへまっしぐら!
村田諒太は7月からNHKの「サンデースポーツ」夜10時放送の月替わりキャスターを務めることになりました。これまで星野仙一などが起用されているこの番組で、村田諒太は番組の進行やレポートを担当するそうです。
そんな村田諒太の今後は、世界チャンピオンへまっしぐらと言うのが既定路線だと思います。29歳という年齢から、一直線でチャンピオンに行かなければ、体力的にとても厳しい状況だからです。
幸いにも、今IBFのチャンピオンと2位は空位になっています。隙があるとすれば、まさに今しかありません。いずれ空位をIBF1位のハッサン・ヌジカムと3位のビリー・ジョー・ソーンダースが争うことになるでしょう。その間に村田諒太は世界チャンピオンに相応しい実力を身につけなくてはならないのです。アマチュアからプロの世界王者になった選手は、神の子の異名を持つアンドレ・ウォードを初めとして多くいます。
またWBCチャンピオンのゲンナジー・ゴロフキンも、アテネオリンピックミドル級で銀メダルを取った後、プロに転向して31戦全勝28KOという凄まじい戦果を挙げています。はっきり言ってしまうと、アマからプロへの対応途中と見えてしまう今の村田諒太の動きでは、ゲンナジーとの対戦には厳しいものがあります。戦歴を見ても分かる通り、ゲンナジーは序盤から強打と連打を仕掛けていきKOを勝ち取っている完成されたボクサーです。もしゲンナジーに勝とうと思うなら、ボクシングに全てを捧げなければ……いや、それでも足りないくらい強い相手といえます。
村田諒太が世界チャンピオンになれるかどうか。当然、本人の鍛錬次第ではありますが、帝拳ジムの対策との相乗効果でぜひ勝ち取って欲しいものです。これから完全にプロレベルに対応し、上位ランカー相手にKOを取ることができれば、チャンピオンは夢ではないでしょう!
金メダリストだからこそ可能性がより大きく、期待も大きい村田諒太。世界チャンピオンになった姿をぜひ見せて欲しいです!