長山洋子のアメリカ人夫が凄い人だった!結婚馴れ初めや子供は?
長山洋子は元アイドルの演歌歌手!アメリカ人夫は年商20億会社を経営する超セレブだった!
長山洋子は、「蜩-ひぐらし-」や、”でもねポーズ”でおなじみの「捨てられて」などのヒット曲で知られる演歌歌手です。元アイドル歌手という異色経歴や、津軽三味線を勇ましく立ち弾きする姿など、タダモノではない匂いが漂う長山洋子。彼女が夫に選んだ男性も、やはりタダモノではありませんでした。
長山洋子が2009年4月6日、41歳のときに結婚した夫は、マーク・スミスという名のアメリカ人実業家です。ニューヨークを拠点とするIT企業の社員として1994年に来日したマーク・スミスは、2004年に独立し、「スキルハウス・スタッフィング・ソリューションズ(株)」を設立しました。
同社は、エンジニアから事務関連職まで、ITに関わる人材に、転職やキャリアアップを提案するIT分野専門の人材派遣会社。資本金1億2000万円、500名以上の社員を抱えており、年商は20億円とも言われています。41歳にして、これほどの玉の輿に乗ることができるとは、長山洋子はなかなかのヤリ手ですね。
長山洋子は夫の熱烈アタックで玉の輿結婚へ!高齢妊娠・出産の子供の名前は?
長山洋子と夫マーク・スミスの出会いは、2006年9月に放送されたバラエティ番組「世界バリバリバリュー」での共演でした。自らカラオケで歌うほど、大の演歌好きだったマーク・スミスは、女性芸能人が独身社長を取材する企画コーナーで、長山洋子をリポーターに指名。長山洋子のデュエット曲「絆」を共に歌った夢のような時間が忘れられず、番組放送後に、長山洋子へ熱いラブレターを送りました。
長山洋子は、その真剣過ぎるほどの情熱に心を打たれたそうです。約2年半の交際を経て結婚した2人には、2010年8月16日に子供が誕生しています。長山洋子は、出産するには高齢の域に達していたため、不妊治療を行っている病院のサポートを受けながら、妊娠に成功しました。
予定日より早く、陣痛促進剤を用いての出産となりましたが、42歳の初産にして自然分娩を遂げています。第1子は、体重2750gの女の子で、名前はスミス・まこ・サンシャイン。高齢出産となると、生後の発育を心配する声がつきものですが、長山洋子のブログにアップされた娘の画像を見る限りでは、すくすくと元気に育っている様子です。
長山洋子のプロフィール!津軽三味線でロックフェスに参戦!?
長山洋子のプロフィール!アイドルから演歌歌手に転身した理由とは?
長山洋子は、1968年1月13日生まれで、東京都大田区出身。堀越高校時代の1984年に、アイドル歌手としてデビューしています。その後、黛ジュンの「雲にのりたい」や、洋楽の「ヴィーナス」といったカヴァー曲が大ヒットし、80年代後半を代表するアイドルとなっていきました。アイドルとしての楽曲発表は1990年までとなっていますが、並行して行っていた女優活動も順調だった1993年。演歌歌手として、突然再デビューした長山洋子には、「なぜ演歌?」と疑問の声が相次ぎました。
長山洋子は、父親の影響で4歳から民謡教室に通い、10歳から津軽三味線を習い始めています。アイドルデビュー前には、ビクター少年民謡会に所属し、アニメの挿入歌や、ドリフターズの人気番組に出演しており、もともとは演歌歌手としてデビューする方向だったそうです。
しかし、事務所内で、「16歳の長山洋子に演歌は早い」との意見が相次いだため、アイドル路線へ変更することになったのだとか。確かに、当時のセクシーかつ健康的な水着グラビアは、アイドル性抜群でしたから、和服に落ち着かせるのを渋る気持ちも分かります。
長山洋子ならではの津軽三味線ビート!「じょんがら女節」がロックフェスで大盛り上がり!
長山洋子のアイドル時代は、ビートのきいたパンチのある曲が多かっただけに、実は民謡出身だったとは意外です。2003年に発売された「じょんがら女節」は、そんな長山洋子にしか表現できない、ビート演歌というべきでしょう。「じょんがら女節」は、ロックのエレキギターさながらに、長山洋子が津軽三味線ソロを弾きまくることで話題となった名曲中の名曲。
津軽三味線をストラップで肩から下げ、スタンドマイクに斜に構えながら、あれほど着物の裾をはだけさせる演歌歌手は、いまだかつて観たことがありません。まさに異質の演歌歌手ともいうべき長山洋子。2015年には、千葉県幕張メッセで行われたロックフェス「ビクターロック祭り」でも、和服に特大サングラス、ハイヒール姿で、奇抜なステージを展開し、ロックファンに大喝采を浴びています。前年に開催された同フェスに刺激され、自ら出演交渉を行ってしまう姿勢も、かなりロックです。
長山洋子はクールジャパンそのもの!演歌歌手初のカーネギーホール公演も!
長山洋子の「じょんがら女節」は、ビートやリズムに耳の肥えたロックファンをも、津軽三味線や演歌といった日本文化で魅了しました。その音色、演歌独特の短調のメロディ、「ヨッ!」と威勢のいい掛け声や、艶やかな着物姿は、ロックのステージでは、かなり斬新に映ります。
古い演歌ファンは、長山洋子のステージにギョッとしてしまうかもしれませんが、外国人なども好みそうな趣向です。長山洋子は、ロックフェス「ビクターロック祭り」の2年前、2013年1月に、ニューヨークにある音楽の殿堂カーネギーホールで単独公演を行っています。
日本人アーティストとしては、高橋真梨子や森山良子、加山雄三、YOSHIKIらが同ホールで公演を行っていますが、演歌歌手は長山洋子が初めてでした。近年の日本では、聴衆の演歌離れが憂慮されていますが、長山洋子は、演歌歌手として新しい領域、唯一無二の地位を築き上げたといっても過言ではありません。
今では、すっかりその顔が馴染みとなりましたが、2012年のデビュー30周年記念コンサートでは、約20年ぶりに、アイドル時代の代表曲「ヴィーナス」を解禁しています。2016年には、国際映画賞を受賞したスペイン映画「マジカル・ガール」の主題歌に、長山洋子のデビュー曲「春はSA-RA-SA-RA」が起用されており、アイドル時代にも再び注目が集まりました。長山洋子は、世界に誇るクールジャパンとしての存在価値もきわめて高いような気がします。