中田英寿の衰えぬ肉体と筋トレ法!中村俊輔とは不仲だった?

中田英寿の衰えぬ肉体と筋トレ法!中村俊輔とは不仲だった?

中田英寿の衰えない肉体!その筋トレ法が知りたい

中田英寿は、1977年1月22日生まれ、現在39歳の元サッカー日本代表選手です。国内のみならず、海外チームでも大活躍した名選手。その肉体美の凄さでも有名で、まるでギリシャ彫刻のような身体をしている中田英寿の体脂肪率は4%だとか。

ひたすらマッチョに鍛え上げているのではなく、上半身と下半身のバランスがとても良いのが特徴です。40歳近くになっても今なお衰えぬ肉体を維持し続けている中田英寿の筋トレ法は、アスリートでなくてもぜひ知りたいところ。中田英寿の場合、上半身はベンチプレスを中心に鍛えているといいます。100kgでも持ち上げられるといいますから、そのパワーには驚かされますね。

中田英寿の見事に割れている腹筋は、暇さえあれば腹筋をして鍛えているそうです。下半身は、スクワットを中心に鍛え上げ、仕上げに、トレッドミルというランニングマシンで90分間走り続けます。外側の筋力だけでなく、体幹も重視している中田英寿は、さらにバランスボールで体幹トレーニングを行い、バランスが取れる身体に仕上げているのです。

中田英寿と中村俊輔とは不仲だった?

中田英寿と同じように、日本サッカー界で大きな期待を集め続けてきた選手に、1つ年下の中村俊輔がいます。同年代で、仲間として日本代表チームで一緒に戦ってきた中田英寿と中村俊輔。共に高い実力が認められた選手だっただけに、マスコミが、「どちらの実力が上か?」と騒ぐことも少なからずありました。

中村俊輔にスター性が増してきた頃には、「中田英寿は中村俊輔のことを『あいつはダメだ』と言った」とマスコミが騒ぎ立てたことも。しかしこれは、中田英寿の言葉の一部を意地悪くピックアップした結果であり、中田英寿は、マスコミに仲間の悪口をわざわざ言うような性格ではありません。

「ヒデさん(中田英寿)は本当に飛びぬけていた」と語っている中村俊輔にとって、中田英寿は尊敬する先輩です。もちろん、選手として競い合う気持ちはあったでしょうが、2人が不仲だったというのは適切ではないと思われます。

中田英寿のセリエA移籍金が凄かった!現役時代の海外評価は?

中田英寿の高額!驚きのセリエA移籍金!!

中田英寿には、今でも語り草となっているエピソードがたくさんありますが、破格の移籍金額もその1つです。Jリーグでの大成功を引っ提げて、イタリアのACペルージャでも活躍していた中田英寿は、同じくイタリアのサッカーチームASローマに移籍する際、当時の日本人選手としては破格の移籍金を記録しました。

その額は、29億7000万円ともいわれています。多くの選手が海外に渡っている今とは違い、日本人選手が海外トップレベルのチームにいること自体にもインパクトがあった時代のことですから、中田英寿の存在は、とにかくセンセーショナルでした。「海外で自分の力を試したい」「自分が活躍できる場所でサッカーをしたい」という想い1つで、海外への道を切り開いていった中田英寿。

ASローマでは、日本人初となるセリエA優勝を経験し、高額の移籍金も納得の活躍を見せました。中田英寿の海外評価が最も高まったのは、ASローマからACパルマへ移籍した時でしょう。このときの移籍金は、35億1000万円ともいわれています。

中田英寿の現役時代の海外での評価は?

中田英寿は、日本で過小評価されているという指摘も多い選手ですが、海外での評価はどうだったのでしょうか?ASローマ時代、名門ユヴェントス相手にゴールを決めた中田英寿は、目の肥えたローマサポーターや、チームメイトであったトッティから、「アジア人一の選手」だと褒め称えられました。

スピーディな動きで、ピッチ上のどこにでも現れる中田英寿は、まさに神出鬼没。美しいパスも高く評価されていますが、特にロングボールは「(イギリスサッカー界で完璧なボールコントロールが高評価を得た)ポール・スコールズのようだ」と絶賛されたものです。体格では劣るものの、引っ張られても、何をされても倒れない強靭な中田英寿の肉体に与えられた称号は「フィジカルモンスター」。監督からも評価された肉体バランスは、アジア人としては珍しいとまで言われました。

中田英寿が現役引退した理由!サッカーを辞めても年収が下がらない秘密とは?

中田英寿は、29歳で電撃引退しました。サッカー選手で29歳といえば、体力的にも問題なく動け、経験も積み上がり、TOPで活躍する選手が多い年齢です。それは中田英寿も同様で、引退理由は、故障や病気といった体力的な問題でも、技術的な問題でもありませんでした。中田英寿自身が後に語ったところによると、電撃引退の理由は、「サッカーが楽しめなくなったから」。

サッカー人生にきっぱりと区切りをつけた中田英寿は、自ら旅人と称し、実際に世界各国を回りながら、起業家として再スタートを切りました。高年収の得られるサッカー選手の座を捨て、旅人を名乗る中田英寿の行く末を心配する声も少なくありませんでした。ですが、FIFA親善大使や、株式会社東ハト執行役員に就任した引退後の中田英寿の年収は1200万円と言われています。

これまでに得た年棒を勘案すれば、十分な収入と言えるでしょう。現在も起業家として活動中ですが、近年は、「財団法人TAKE ACTION」を設立し、サッカー協会のイベントを開催するなど、サッカー普及活動にも力を注ぎ始めているようです。選手として輝かしい功績を残してきた中田英寿には、監督やコーチとしての復活を望む声も絶えず見られます。しかし、中田英寿本人は、「サッカーは自分でやるもの。見るスポーツでもなければ教えるスポーツでもない」という考えなので、指導者の道に進むことは当面なさそうです。

そんな中田英寿が現在取り組んでいるのは、世界に日本酒の素晴らしさを広める活動。250の酒蔵を巡りながら、基礎から酒造りを学び、その知識を深めているそうです。何事にも真摯に取り組む姿勢は現役時代のまま。このようなところに、中田英寿の成功の秘訣があるのかもしれません。

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