2022年10月11日 更新
成田童夢がスノーボード選手からオタクタレントに!妹・今井メロと名字が違う理由
成田童夢がスノーボード選手からオタクタレントに!
成田童夢(なりたどうむ)は、2006年のトリノオリンピックにも出場したスノーボード選手でしたが、近年は、痛すぎる変貌ぶりが話題となっています。
ビッグマウスで挑んだトリノオリンピックで予選敗退を喫し、大ブーイングの中、表舞台から忽然と姿を消してしまった成田童夢。2011年7月に現役引退した後、オタクタレントとして復活を遂げることとなろうとは、誰にも予想できない事態でした。「どうしてこうなった!?」という意見が相次ぎましたが、実のところ、成田童夢は、生来のアニメ・声優オタクだったそうです。その感性を生かし、”みんな妹”をコンセプトとしたアイドルグループをプロデュースしたり、自ら演じたオタ芸を動画配信したりする中で、声優になりたいという将来の展望も語っています。
そんな成田童夢がスノーボード選手となったのは、その道を勧める父親から、「スノーボードで知名度を上げてから転身したほうが早い」と言われたからだとか。どうにも軽薄さが拭えない成田童夢ですが、2012年には、端役ながら「ワンピース」で声優体験もしており、充実したオタクライフを満喫しているようです。
成田童夢と妹・今井メロは共に父親の指導下で一流選手に!なぜ名字が違う?
成田童夢の妹・今井メロは、現在、いわくつきのセクシータレントとして活動中の、元スノーボード選手です。2006年のトリノオリンピックにも出場しており、当時は、兄妹で名字が違う理由にも興味が注がれました。成田童夢と今井メロの父・成田隆史は、京都大学出身の元青年実業家。
2人は、幼少期から、父親の下で、さまざまなスポーツの指導を受け、高校には進学せずに、スノーボードに専念してきました。両親が離婚した後も、父親が運営するスノーボードクラブ「夢くらぶ」で技を磨いた2人。その結果、成田童夢は16歳でナショナルチームの日本強化選手に、今井メロは史上最年少の12歳でプロスノーボーダーとなります。
その頃の今井メロは、父方の姓である”成田”を名乗っていたのですが、オリンピック出場前の17歳の時に家出をし、母方の”今井”を名乗るようになりました。今井メロが父親から離れた理由は、厳しすぎる指導態度に、憎しみすら覚えるようになったから。また、父親の姓を名乗る成田童夢とは不仲が囁かれていましたが、2005年には、2人同時に「夢くらぶ」を離脱しており、今でも兄妹仲は良好だそうです。
成田童夢は国母和宏にいじめられていた?弟・成田緑夢の現在は?
成田童夢のオリンピック不振は国母和宏らの陰湿ないじめが原因か
成田童夢が出場した2006年のトリノオリンピックでは、男子スノーボードハーフパイプの選手4人全員が予選で敗退してしまいました。敗因は、チーム内の不仲が少なからず影響していたのではないかと言われています。メンバーのうち、2010年のバンクーバーオリンピックの際に、腰パン着崩し問題でも話題となった国母和宏(こくぼかずひろ)は、他の2人を率いて、成田童夢を小バカにしたり、無視したりしていたそうです。
後に、成田童夢自身がカミングアウトした内容は、オリンピック前のW杯で優勝した時には、テキーラの瓶で後頭部を殴られた……など、”いじめ”の度を越す衝撃的なものでした。成田童夢を除く当時の日本代表は、全員が北海道出身の”お仲間”だったそうです。
大阪出身の成田童夢が代表入りしたことで、他のお仲間が落選してしまった……そんな理由で、陰湿ないじめが行われていたなどとは考えたくありません。どこまでが事実かは不明ですが、いじめさえなければ、成田童夢がスノーボード選手として伸びていたかもしれないと思うと、許しがたい話です。
成田童夢を超える逸材だった弟・成田緑夢!現在は東京パラリンピックを目指す陸上選手に
成田童夢には、妹・今井メロの他に、成田緑夢(なりたぐりむ)という8歳下の弟がいます。成田緑夢もまた、父・成田隆史の下で鍛えられ、1998年の長野オリンピックでデモンストレーターを務めるなど、小学生の頃からスノーボードの国際舞台で活躍してきました。
高校時代には、トランポリン競技で全国に名を轟かせ、フリースタイルスキー選手としても、ハーフパイプの世界ジュニア選手権で優勝。成田童夢、今井メロ以上の逸材とも言われた成田緑夢は、2014年のソチオリンピック出場を期待された有望株でした。ところが、フリースタイルスキーのハーフパイプにて、初のシニア世界選手権を9位という好成績で終えた翌月の2013年4月。
大阪市内の自宅屋上のトランポリン施設で、両足首に5kgの重りを付けての強化練習を行っていた成田緑夢は、落下事故により、左足に麻痺が残る重傷を負ってしまいました。しかし、障害等級6級となりながらも、成田緑夢はアスリートへの夢を諦めることができず、障害者陸上の道へ活路を見出します。
未経験の走高跳に乗り出し、2016年5月の日本パラ陸上選手権では、リオパラリンピックの選考標準記録を超える1m74の大ジャンプを記録。リオには間に合いませんでしたが、4年後の東京パラリンピックを目指して、現在も記録を更新中です。
成田童夢「しくじり先生」に登壇!痛い言動は父親による抑圧の反動だった可能性が
成田童夢が、2016年12月12日放送の「しくじり先生 俺みたいになるな!!」に出演し、”自分のことばかり考えて周りの人から嫌われないための授業”を行いました。8歳でスノーボードを始めた成田童夢は、その後も順調にキャリアを重ね、20歳でトリノオリンピック出場を果たしています。
100以上のスポンサー契約のオファーが殺到し、年収1200万円以上を稼ぐようになっていた成田童夢には、当然のようにメダル獲得が期待されていました。しかし、本番でミスを連発して、予選敗退の大惨敗。今思えば、演技構成についての質問に対して、アニメ「ワンピース」のセリフを引用し、「童夢のフルコースを召し上がれです」などと発言したのも、生来のオタク気質から自然と出たものだったのでしょう。
しかし、こうした奇異な言動が”ビッグマウス”ととられ、帰国後は、誰からも相手にされない存在となってしまいました。やがてスノーボード選手としても落ちぶれていき、アルバイト先の友人に貯蓄を持ち逃げされるなどして、人間不信に陥った結果、引きこもり生活まで経験したという成田童夢。
自分自身の社会性のなさが招いたこととしていますが、世間では、同情する声もあがっているようです。成田童夢が「しくじり先生」で明かした、父・成田隆史の指導法は、「虐待では?」と疑いたくなるほどに凄まじいものでした。トランポリンに、モーグルスキー、スノーボードの他、乗馬や歌まで、父親は3兄弟に、ありとあらゆる教育を詰め込みました。
結果、3兄弟ともがスバ抜けた能力を身に着けたわけですが、そこには常に、「逆らえない」という恐怖の感情があったといいます。このような抑圧の反動が、成田童夢の痛い言動を生んだ可能性は少なからずありそうです。オタクタレントとなった成田童夢は、それらの呪縛から解き放たれ、本来の姿に回帰したのだと考えると、ちょっと応援したくなりますね。