夏樹静子作品「Wの悲劇」原作のあらすじ結末!夫や家族の現在は?

2020年2月27日 更新

夏樹静子作品「Wの悲劇」原作のあらすじ結末!夫や家族の現在は?

夏樹静子作品で映画化もされた「Wの悲劇」原作のあらすじ結末!

夏樹静子の代表作といえば、薬師丸ひろ子主演で映画化もされた小説「Wの悲劇」です。映画「Wの悲劇」は、原作を、舞台で上演される劇中劇とした意外なアレンジで話題になりました。肝心の夏樹静子原作「Wの悲劇」は、本格ミステリー。あらすじは、女子大生・和辻摩子が、大伯父の和辻製薬の会長・和辻与兵衛に強姦されそうになり、殺してしまいます。和辻家の名誉と摩子を守るため、和辻家の人々は、与兵衛が外部の者に殺されたように偽装することに。

しかし、摩子の証言は実は嘘で、和辻家の財産を独り占めしようと狙った、摩子の継父・道彦の犯行でした。事実を知った道彦の父で摩子の母・淑枝が、道彦を刺し殺すという衝撃の結末を迎えます。

夏樹静子の夫はあの「海賊と呼ばれた男」の甥!家族の現在は?

夏樹静子は、多くの作品を世に送りだし、ヒットさせてきた人気小説家でした。多作で知られる夏樹は、どこか独身のイメージがありますが、結婚しています。夏樹静子の夫は、九州地方でガソリンスタンドを運営する新出光の会長・出光芳秀です。実は、百田尚樹の大ベストセラー小説「海賊と呼ばれた男」主人公のモデルとなった出光佐三の甥にあたります。

そして、夏樹静子の息子の出光秀一郎は、一時期俳優として活躍していましたが、すでに引退し、現在は、新出光に勤務。夏樹静子の娘の出光淑子は、博報堂に入社し、現在は赤坂本社にいるようです。さらに夏樹静子の実兄は、ビジネスマンとして活躍する傍ら、作家・五十嵐均としてもデビューしているそうですから、すごい家族ばかりです。

夏樹静子著書「椅子がこわい」の内容とは?腰痛の原因が意外だった!

夏樹静子を襲った原因不明の激痛!著書「椅子がこわい」の内容とは?

夏樹静子は、女流推理小説家の草分け的存在として、活躍してきましたが、1997年に刊行した「腰痛放浪記 椅子がこわい」では、自身の腰痛経験について克明につづり、話題になりました。気になる「椅子がこわい」の内容ですが、夏樹静子は、1993年から3年間、椅子に座っていることもできないほどの激しい腰痛に襲われます。

しかも原因は不明。あらゆる治療法を試しますが、まるで効果が出ず、困り果てた夏樹静子は、死にたいと思いつめるほどに。その後も、さまざまな病院をわたり歩いた夏樹静子が、ついに腰痛を完治させるまでを記しています。

夏樹静子の腰痛の原因が意外すぎて信じられない!?

夏樹静子は、3年間にわたる腰痛治療の果て、ついに腰痛を完治させることができました。しかし、夏樹静子の頑固な腰痛を解消させた治療法は、意外すぎるものでした。なんと、夏樹静子の腰痛は心因性のもの。「心因性疼痛(とうつう)障害=心身症」だったというのです。当時の夏樹静子は、かなりのストレスが身体にのしかかっており、それが腰痛をひきおこしていました。

しかし、自身がストレスを抱えていることに気づかず、腰痛を器質的疾患=肉体的な問題だと考えていたため、どんなに治療にはげんでも治らなかったのです。夏樹静子の腰痛治療は、心療内科を受診して、腰痛症状が心因性であることを認め、一時的に執筆活動を辞め、ストレスを取り除くことで解消しました。

夏樹静子は一度は捨てた作家の道に主婦からカムバックしていた!

夏樹静子は、デビューから40年以上、日本のミステリー界のトップを走り続けてきました。今年2016年3月、心不全のため亡くなりましたが、300本以上もある作品は今も残り、「Wの悲劇」をはじめ、数々の作品が映像化され、新なファンをつかんでいます。テレビでは「検事 霞夕子」や、「弁護士 朝吹里矢子」がドラマ化され、楽しみにしている方も多いのではないでしょうか。

そんな夏樹静子ですが、一度は小説家の道を離れ、主婦として家庭に入っていたことがあります。
1938年に東京で生まれ、ミステリー好きの兄の影響をうけていた夏樹静子は、慶応大学英文学科在学中に推理小説を執筆。その「すれ違った死」が、ミステリー作家の登竜門である江戸川乱歩賞の候補となります。ちなみにこの時のペンネームは、本名の五十嵐静子でした。

ノミネートがきっかけとなり、NHKの推理クイズ番組「私だけが知っている」のシナリオライターになった夏樹静子は、30本以上を手掛けます。1962年には、ペンネームを、夏樹しのぶとし、何本かの短編を雑誌に掲載。仁木悦子、戸川昌子らが結成した女流推理小説作家の会「霧の会」にも参加し、いよいよ本格的に小説家として活躍していくのかと思われた矢先、大学卒業とともに結婚し、作家としての道を離れてしまいます。

結婚して、九州に移り住んだ夏樹静子は、主婦業にはげみ、小説のことなど忘れたような日々を送っていたそうです。夫は、出光グループの創業者・出光佐三の甥ですから、大企業の親族となり、気苦労も多かったことは想像に難くありません。1967年には、長女を出産した夏樹静子。

しかし、長女を抱いて過ごしていた時に、社会人経験のない自分が、唯一濃密に体験した「母子関係」をモチーフにして書いてみたいという衝動にかられ、執筆を決意します。このとき執筆した「天使が消えていく」は、江戸川乱歩賞の最終候補となり、夏樹静子は、再び推理小説家として表舞台に躍り出ます。そんな中、1969年には長男を出産。それでも小説家として再び筆を取り始め、1973年には「蒸発」で、日本推理作家協会賞を受賞。その後は、順調に執筆を続け、数々のヒット作を連発しました。

夏樹静子は、ミステリーファンの心をつかむ一方で、ノンフィクションにも挑戦。1984年には、妻からの離婚が増加する現状をリポートした、ノンフィクション「妻たちの反乱」を世に送り出します。「妻たちの反乱」はベストセラーになり、続編も手掛けました。また、1992年には、アルツハイマーを患った男を主人公に、老いや生への執着を描いた「白愁のとき」で、夏樹静子は新境地を開きます。
社会問題にも関心が高く、福岡地方裁判所委員会や最高裁判所の下級裁判所裁判官指名諮問委員会の委員を務めて、その経験もあますところなく作品に反映させてきた夏樹静子。

一度は、小説家の道を捨てたとは思えないほど、夏樹静子の作家としての生涯は、旺盛で充実したものでした。結婚を機に作家の道を離れた女性が、出産して子供を持ったことをきっかけに、その道へカムバックをはたしたというめぐり合わせは、運命のようです。やはり夏樹静子はなるべくして、作家になった人だったのでしょう。

関連記事

ページ上部へ戻る