大泉逸郎が病気(脳梗塞)から復帰!新曲「婿どの」の評判は?
大泉逸郎が病気(脳梗塞)から復帰!「仕事が一番の薬」!
メジャーデビュー曲「孫」が大ヒットを飛ばした歌手の大泉逸郎(おおいずみいつろう)には、脳梗塞になり、緊急入院しました。2011年1月18日に、自宅近くにある友人の家で頭痛を訴えた大泉逸郎が病院で診てもらったところ、下された診断名は脳梗塞。早期発見だったことが幸いして命に別状はなく、40日以上の入院を経て、無事に退院しました。
退院した3月下旬には早々と仕事復帰。「病院の先生からは仕事は控えるようにと言われたけど、自分にとっては仕事が一番の薬」と語っていたとか。この時、大泉逸郎は69歳。この仕事へのバイタリティには驚かされます。病気の後遺症については、2015年のインタビューで、「バランスの障害が残っている」「ステージに立った時に暗い階段の時は怖かった」と明かしている大泉逸郎。
一方で、「以前と同じように歌えてほっとしている」そうです。大泉逸郎が脳梗塞を患った2011年は、東日本大震災があった年。東北に住む大泉逸郎の家族も例外ではなく、大きな影響を受けました。大黒柱の病気に加え、次男家族が津波の被害に、妻の実家が原発の被害に遭うなど、なにかと大変な1年に。時間が経過し、大泉逸郎が今もコンスタントに新曲をリリースし続けている様子からは、家族が助け合って今に至っていることがうかがえます。
大泉逸郎の20曲目の新曲「婿どの」の評判は?75歳になっても現役演歌歌手
大泉逸郎の新曲が、2017年5月17日に発売されました。曲名は「婿どの」。娘を嫁がせる父親の心境を交えながら、婿に贈る言葉を歌詞にした曲となっています。大泉逸郎の新曲は、2年前となる2015年5月20日に発売された「爺の海(じーじのうみ)」以来。「爺の海」は、2011年の原発被害にあった方が作詞したものを、「曲を付けてほしい」と依頼されたもので、出来上がった歌が口コミで広がり、正式にリリースされました。
そして迎えた20作品目のリリースとなった「婿どの」は、オリコンチャートに登場すること2回、過去最高位が139位とまずまずの様子。「これぞ逸郎節!」という感想が見られる通り、大泉逸郎ファンにとって嬉しい1曲に仕上がっています。それにしても「婿どの」のジャケットに写っている大泉逸郎の姿は、とても75歳には見えない若々しさです。
大泉逸郎はさくらんぼ農家兼業の演歌歌手!代表曲「孫」の誕生秘話とは?
大泉逸郎はさくらんぼ農家兼業の演歌歌手!
大泉逸郎は、演歌歌手でありながら、さくらんぼ農家を営んでいる経営者という顔も持っています。どちらかというと、本業がさくらんぼ農家で、その合間に歌手活動をしているといったほうが正しいようです。1999年、57歳のときに、デビュー曲「孫」がヒットして、「57歳の新人歌手」として全国的に有名になりました。「孫」の大ヒットにより、2000年には「第51回NHK紅白歌合戦」に初出場し、歴代の白組歌手の最年長初出場記録を達成。
しかし、人気歌手となっても、ステージが終わると自宅に戻り、農家の仕事をこなすという日々を送っていました。そんなハードな生活が病気を招いてしまったのでしょうか。2011年には、脳梗塞で緊急入院することにもなりました。普段から、お酒も飲まない、たばこも吸わないという大泉逸郎のこと、退院後は、さらに健康に気を付けていることでしょう。このまま健康を維持して、2回目のNHK紅白歌合戦の出場も期待したいところですね。
大泉逸郎の代表曲「孫」の誕生秘話とは?作詞家の荒木良治と運命的な出会い
大泉逸郎は、山形県出身、1942年4月17日生まれで、2017年現在で75歳です。1977年、大泉逸郎が35歳の時に、「東北・北海道民謡大賞」を受賞したことをきっかけに、歌手活動を本格的に始めました。歌手としての初舞台は、山形にある刑務所だったとか。
その約10年後の1988年に、山形の民謡愛好家サークル「みちのく演歌連盟」で、作詞家の荒木良治と運命的な出会いを果たします。一緒に曲を作るようになり、作詞は荒木良治、作曲は大泉逸郎が担当。荒木良治の書く家族に向けたストレートな歌詞と、それにぴったりな大泉逸郎の曲調があいまってファンを増やしていきます。
大泉逸郎がメジャーデビューを果たした大ヒット曲の「孫」は、実はリリースすることを目指して作った曲ではありません。自身に孫が誕生した嬉しさのあまり、荒木良治に作詞を依頼したものでした。こうして1994年に完成した「孫」は、当初は自主製作で発売され、地元を中心にじわじわと人気を集めたことから、1999年にメジャーデビュー盤が発売されることに。
結果的には、累積売上240万枚以上のミリオンセラーを達成し、オリコン演歌チャートで26週連続1位という快挙を成し遂げています。普段は演歌に興味がない人でも、大泉逸郎の歌う「孫」を一度は聞いたことがあったはず。大ブームとなっただけあり、郵便の住所に「山形県 孫様」と書くと、大泉逸郎の自宅に届くという面白いエピソードも語られています。
大泉逸郎の「孫」は23歳に!次のヒット曲は「ひ孫」?!
大泉逸郎と長年タッグを組んでいた作詞家の荒木良治が、2017年7月2日に、老衰のため、養護老人ホームで亡くなりました。享年92歳でした。葬儀のBGMで、大ヒット曲「孫」が流れた時には、大泉逸郎にぐっと感情が押し寄せる場面も見られたそうです。
弔辞では、「荒木良治の詞は、たくさんの人の心の中でこれからも生き続ける。この声が続く限りこれからも歌い続けたい」と述べた大泉逸郎。物静かな性格で、夜中に歌詞を思いついては、枕元に置いたメモ帳代わりの新聞の広告の裏面に書き付けていたという故人のエピソードを語り、「最高のパートナー」だったと偲びました。大泉逸郎がこれまでにリリースしてきた曲の内、荒木良治が作詞した作品は9作。2010年発売の「いのち」が、2人の最後の作品となっています。
「孫」で世間に知られることとなった大泉逸郎ですが、この歌が誕生する元となった実の孫・大泉慎太郎も今(2017年現在)では23歳。東京の大学に進学したため、地元・山形を離れて一人暮らしをしていましたが、2017年3月に無事大学を卒業し、現在は、アナウンサーを目指して、地元・山形のテレビ局に就職活動中だと言います。
大泉逸郎は以前、「農家を継がなくてもいいから、自分の目の届くところ(山形)で就職してほしい」と語っていましたが、その願いは叶うかもしれませんね!今でも、年金から孫へお小遣いをあげるなど、溺愛ぶりは変わらずのようで、大泉慎太郎からは、将来子供が生まれたら「ひ孫」という曲を作ってほしいと言われているという微笑ましい逸話も。その頃には、大泉逸郎は80歳目前でしょうか。「ひ孫」のリリースを目指して、これからも活躍を続けていってほしいですね。