おりも政夫がミスチル「デルモ」の歌詞に!元祖ジャニーズアイドルだった!

おりも政夫がミスチル「デルモ」の歌詞に!元祖ジャニーズアイドルだった!

おりも政夫は、水泳大会の司会でミスチルの歌詞にもなった

おりも政夫は、1953年生まれの63歳。フジテレビと縁が深く、役者として、時代劇「八丁堀の七人」の同心役や、「君こそスターだ!」の司会、そして人気の当時は、「オールスター紅白水泳大会」「オールスター寒中水泳大会」など、季節ごとに制作されたアイドルが総出演する水泳大会の司会を長く務めました。

1970年代や1980年代のアイドル世代のテレビ視聴者には、水泳大会の司会者イコールおりも政夫のイメージが強いようです。後年には、バブリーな昭和の時代をシニカルに歌った、Mr.Childrenの楽曲「デルモ」の歌詞に、「水泳大会のおりも政夫」というフレーズがあったことで話題になっています。

おりも政夫は、ジャニーズ2番目のグループ「フォーリーブス」のメンバーだった

おりも政夫と聞いて、アイドルの水泳大会を思い出す世代は、まさに昭和のテレビっ子です。1967年、ジャニ―喜多川が初めてプロデュースして大人気となった「ジャニーズ」のバックダンサーとして、「フォーリーブス」というグループが結成されました。メンバーは、「ジャニーズ」の付き人だった北高次、人気子役だった江木俊夫、児童劇団に所属していた永田英二とおりも政夫の4人でしたが、永田英二がまだ小学生だったため脱退。

渡辺プロダクションのタレント養成所「スクールメイツ」出身の青山孝史が加入しています。翌年には、早くも日本テレビ「プラチナゴールデンショー」に出演したフォーリーブスは、またたく間に、男性トップアイドルグループに。しかし、アイドルとしての活動は意外と短く、1978年にフォーリーブスは解散。メンバーはその後、紆余曲折の人生を歩むことになります。おりも政夫は、決して派手ではないものの、単独での芸能活動が一番うまくいったようです。

おりも政夫の娘・おりもりおとは?フォーリーブスメンバーの現在は?

おりも政夫の娘、おりもりおは2016年度ミス日本ファイナリスト

おりも政夫が、最近意外なところで話題になりました。それは、ミス日本2016ファイナリストに残った織茂璃穏(おりもりお)が、実はおりも政夫の娘だと判明したというニュースでした。残念ながら、ミス日本グランプリには、これも有名人、民進党の松野頼久衆議院議員の娘である松野未佳が選ばれました。娘をミス日本のファイナリストに送り出したおりも政夫本人は、フォーリーブス解散後も、俳優や司会をしながら芸能活動を続け、今では昭和歌謡の「うたごえ時代」コンサートのプロデュースも行うなど、堅実な暮らしぶりです。

おりも政夫が、フォーリーブスで唯一の成功者?!

おりも政夫の参加していたフォーリーブスの他のメンバーはどうでしょうか。おりも政夫と仲が良かった青山孝史は、若干57歳で、肝がんで逝去。もともと売れっ子子役だった江木俊夫は、自分でプロダクションを起こし羽振りもよかったようですが、1999年、覚醒剤使用で逮捕され、執行猶予の判決を受けています。その後も芸能活動は続けていますが、往年の勢いはありません。メンバーの中で、一番厳しい後半生を送ったのが北公次です。

他のメンバーが一般家庭に育ち、はじめからタレントしてスカウトされたのに対して、北公次は中学卒業後、「ジャニーズ」の付き人から、フォーリーブスに入った苦労人。絶頂期には一番人気を誇った北公次ですが、グループの人気に陰りが見え始めた頃から、覚せい剤に手を出し、解散の翌年、覚醒剤取締法で逮捕されます。そして1988年、芸能界を揺るがす「光GENJIへ」という半生記を出版。

今や芸能界のタブーとなっている、ジャニ―喜多川の少年愛疑惑について、赤裸に語って以後、北公次とジャニーズ事務所との確執は、2012年、彼が肝臓がんでなくなるまで続きました。北公次は、結局、ジャニーズ事務所の闇の部分を背負ったまま、二度と芸能界でスポットライトを浴びることはありませんでした。

おりも政夫がこれまで芸能界を生き抜いた、ジャニ―喜多川の教え

おりも政夫は、フォーリーブスでは一番影が薄かった感もありますが、今もこうして生き残っているとは、芸能界とは皮肉でままならない世界といえます。ジャニーズの光と闇を垣間見た北公次にとっては、トラウマ的存在であったジャニ―喜多川も、おりも政夫にとっては、人生の師でした。

おりも政夫は、ジャニ―喜多川に教わったことを、今も人生のよりどころとしています。フォーリーブスが人気絶頂期の頃、おりも政夫が出待ちのファンに手を振らないでいると、ジャニ―喜多川は、ファンは自分のかけがけのない財産であり、ファンを大切にするためには、常に自己演出しなければならないこと。

そして、まずは仕事で輝くことと、仕事を離れたときも輝くこと。表も裏も大事にしないといけないと、教わったそうです。おりも政夫は、フォーリーブスが解散しても、41歳までジャニーズ事務所に残っていました。普通の人にはない絶対的なオーラを放っているスターやアイドルたち。

しかし、芸能界という実際の仕事場では、その才能や輝きも、普通の人と同じく、人間関係やチャンスが大きくものをいいます。おりも政夫は、アイドルとしては凡庸でしたが、常にファンやスタッフを大切し、生真面目にアイドルを演じ続けてきたからこそ、この歳まで芸能界で生き残ることができているのかもしれません。

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