パティ・スミスに学ぶハンサムスタイル!パンクの女王の名言とは?
パティ・スミスに学ぶハンサムスタイル!メンズライクなTシャツの着こなし方がオシャレ過ぎる!
パンクの女王として知られるミュージシャン、パティ・スミスのファッションスタイルが、注目を集めています。特に、Tシャツを合わせたラフなスタイルは、こなれ感抜群で、有名ファッション誌でも特集が組まれるほどです。
幼少期から痩せ型の体型で、長年のコンプレックスだったというパティ・スミス。しかし今や、その体型が逆に個性となり、シンプルなTシャツを美少年のように着こなす姿がオシャレだと、ファッションアイコンとしても注目の的です。
パティ・スミスが得意とするのは、メンズライクなスタイル。あえてメンズの大きなアイテムを加えて全体のバランスをとる装いは、1970年代のレディースファッションとしては革命的でした。
ゆったりとした光沢のあるシャツにロングペンダントを重ね、千鳥格子柄のマニッシュなジャケットをさらりと羽織るパティ・スミスの姿はとても印象的です。インナーにTシャツ、あるいはシャツを着て、メンズのジャケットをはおり、ピンバッジや細いネクタイなどの小物を合わせ、ファッションにおいて独自の美学を築き上げています。
パティ・スミスは名言がたくさん!もはやパンクの詩人!?
「何にせよ、ファッションありきではなく、自分のあり方やスタイルが自然と反映されているという考え方が重要」という名言も光るパティ・スミス。もともと歌手ではなく詩人であったことから、独自の強い思想を持ち、数々の名言を残してきました。
現在まで名盤として愛されているパティ・スミスの1stアルバム「Horses」の1曲目「Gloria」では、冒頭に「イエスは誰かの罪のために死んだ。でも私の罪じゃない」と、メッセージを添えています。これは、自分の行動に責任を持つこと、そして、ロックンロールは無政府主義であるという深い意味が含められた、パティ・スミスの有名な名言のひとつです。
2013年には、単独公演としては10年ぶりに日本ツアーを行っていますが、その公演中にもパティ・スミスの名言は生まれました。「人生の最も美しい瞬間とは耐えた時。そして、その結果としてそこから出られた時」。
パティ・スミスがノーベル賞授賞式でまさかのハプニング!村上春樹と夢の競演!
パティ・スミスがノーベル賞授賞式でまさかのハプニング!緊張のあまり演奏中断!?
2016年12月10日、スウェーデンのストックホルムでノーベル賞授賞式が開催されました。文学賞を受賞したボブ・ディランに代わり、彼の曲である「A Hard Rain’s A-Gonna Fall」をパフォーマンスしたのは、パンクの女王パティ・スミスです。しかし、ここでまさかのハプニングが起こりました。
かねてよりノーベル賞授賞式でパフォーマンスする依頼を受けていたことから、自身の曲を歌おうと調整していたパティ・スミス。しかし、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したと発表された瞬間、自分の曲を歌うのはふさわしくないのではと思い始めました。
そこで、自身の思い入れも深いボブ・ディランの「A Hard Rain’s A-Gonna Fall」を猛練習しましたが、本番で歌い始めると、声が震えてしまいます。緊張を抑えることができないパティ・スミスは、ついに途中で歌詞に詰まってしまい、なんと演奏が中断。おずおずと、「ごめんなさい。凄く緊張しています」と詫びると、会場は温かな拍手に包まれました。パティ・スミスは、ニューヨーカー誌にて、ノーベル賞授賞式を「極度の緊張で落ち着くことができなかった」と、振り返っています。
パティ・スミスはハルキストだった!パンクの女王の詩の朗読と村上春樹の文章が夢の競演!
「海辺のカフカ」「1Q84」がベストセラーとなっている作家・村上春樹のファンは「ハルキスト」と言われていますが、パティ・スミスもまたハルキストだそうでdす。アメリカ版「ELLE」誌のインタビューでオススメの本を聞かれたパティ・スミスは、「古典文学は読むべき。あとは村上春樹の作品ね」とコメント。村上春樹がかなりお気に入りである様子でした。そして2016年6月、この2人が少し変わった形で共演する機会が訪れます。
パティ・スミスは、1950年代から10年間、世界的なアンダーグラウンド文化に大きな影響を与えた伝説の詩人アレン・ギンズバーグの影響を受けて育ちました。村上春樹もまた、アレン・ギンズバーグの影響を受けてきた一人です。パティ・スミスと現代音楽の巨匠フィリップ・グラスがタッグを組み、アレン・ギンズバーグに捧げる世界ツアーを行った際には、日本公演も開催されました。
その舞台の上演字幕を、パティ・スミスの熱烈なオファーにより村上春樹が担当。現代音楽の巨匠の演奏をバックに、伝説の詩人の詩をパンクの女王が朗読し、日本語字幕は村上春樹が務めるというこの上なく豪華な顔ぶれに、観客はとても濃密な時間を堪能しました。
パティ・スミスが故・サム・シェパードを追悼!パンクの女王のオシャレさの起源は!?
パティ・スミスが、かつての恋人で共同執筆のパートナーでもあった、ピューリッツァー賞受賞者で俳優のサム・シェパードの死去に際して追悼のコメントを発表しました。サム・シェパードの原稿を手伝った日々を、「私たちは話す必要はなかった。沈黙は気まずくない。歓迎すべき形の沈黙とは、会話の延長なのだから」とロマンティックに振り返っています。静かに、時に熱く創作活動に取り組む2人の様子が目に浮かぶようです。
ファッション業界で、1970~1980年代のファッションがリバイバルしている影響もあって、近年、パティ・スミスのオシャレなスタイルが改めて注目されています。とはいえ、そもそもパティ・スミスの「Tシャツをメンズライクに着こなす」、いわゆるトランスジェンダーなスタイルは、彼女の長年のコンプレックスであった痩せすぎ体型から生まれたものでした。
現在よりも、「女性は女性らしく」と唱えられていた時代において、女性らしい丸みを帯びない体つきは、年頃のパティ・スミスにとって辛かったことでしょう。しかし、本を読み漁り、アートの世界に目覚めていく中で、彼女は、「自分に合ったスタイル」を確立していきます。時代は、ベトナム戦争まっただ中。平和と自由な精神を謳うフラワーチルドレンたちが出現すると、パティ・スミスも彼らの仲間に加わりました。
そして、写真家ロバート・メイプルソープなど同性愛者とも親交を深める中、彼女のファッションにおける性別の垣根はどんどんなくなっていきます。その結果、一見美少年のようでいて芯の強い女性という、パティ・スミスだけのオリジナルスタイルが出来上がりました。音楽においても、詩においても、そしてファッションにおいても、固定概念に縛られることなく、柔軟な思想で世界を切り開くパティ・スミス。70歳を越えてなお創作活動を意欲的に行う姿は、これからも見る者聴く者の心を揺さぶり続けることでしょう。