パーマ大佐の「森のくまさん」に見る音楽の才能!家族や経歴が凄かった!
パーマ大佐は音楽の才能溢れる替え歌「森のくまさん」でブレイク中のピン芸人!
パーマ大佐は、童謡の替え歌ネタ「森のくまさん」でブレイクを果たしたピン芸人です。YouTubeから彗星の如く現れたピコ太郎に続くブームが期待され、2016年12月7日にはCDデビューまでしてしまったパーマ大佐。ピコ太郎とは違って、ウクレレの演奏技術や歌唱力もさることながら、既存の童謡を自然にマイナー転調させ、独自のシュールなネタにしてしまう編曲技術には、目を見張るものがあります。
パーマ大佐こと本名・國土郁音(こくどいくと)は、1993年8月26日生まれの埼玉県出身。地元の北本市立北本中学3年生の時から、アマチュアのピン芸人として活躍し、高校時代には、漫才コンビとして、キングオブコントやM-1グランプリへ出場しています。再びピン芸人となり、フィリップ漫才などを行っていたパーマ大佐を歌ネタに目覚めさせたのは、2015年の「歌ネタ王決定戦」でした。その音楽性で、ジワジワと話題をさらっていったパーマ大佐は、実は凄い血筋と経歴の持ち主でした。
パーマ大佐は音楽家の家族を持つエリートだった!芸人になったワケとは?
パーマ大佐は、父親が音楽評論家・國土潤一、母親はピアニスト・國土浩子という音楽エリートの血を受け継いでいます。姉・國土佳音も、現在は作詞家として活躍中。正真正銘の音楽一家で育ったパーマ大佐もまた、2歳からピアノの英才教育を受け、1日6時間の練習を義務付けられていたそうです。学生時代は卓球部の他、吹奏楽部にも所属していたといいますから、パーマ大佐自身も音楽が嫌いだったわけではなかったのでしょう。
そんなパーマ大佐が、音楽家ではなく、お笑い芸人を目指すようになったのは、お笑いコンビ・ブラックマヨネーズへの憧れからでした。進学した高校も、偏差値60前後の私立正智深谷高等学校ですが、特に音楽教育が行われている学校ではありません。
4台のピアノがあり、防音室が設置された実家で育ったパーマ大佐が、まさか芸人を目指すこととなろうとは、両親も思いもよらなかったでしょう。しかし、そこで培われた音楽の才能が、芸人・パーマ大佐の確かな武器となったことは、「森のくまさん」を聞けば明らかです。
パーマ大佐「森のくまさん」「お弁当箱の歌」の歌詞!芸人としてはつまらない?
パーマ大佐の手にかかると「森のくまさん」もこんな歌詞に!少女は素行不良で熊死亡!?
パーマ大佐の童謡替え歌ネタは、既存の曲から、陰鬱な歌詞とメロディに転じ、最終的に辻褄を合わせる形で、再び既存の曲に戻るというテクニックが駆使されています。「森のくまさん」は、通常ならば、森で遭遇した熊から逃げる女の子が、実は熊が女の子が落としたイヤリングを届けたくて後を追っていたと知る可愛らしい曲です。これがパーマ大佐の手にかかると、マイナー転調と共に、森で追われている女の子に、犯罪や借金に手を染めた後ろ暗い素性があったという歌詞になってしまいます。
既存の曲にもある、「お嬢さん、お逃げなさい」は、”警察から”の意となっており、振り向かず逃げる女の子の背後で、熊は銃撃によって絶命してしまいました。何でも、熊には、独りぼっちだった自分を女の子に救われた過去があったようで、双方の間には愛が存在した模様。その温もりと、熊が拾ってくれたイヤリングの思い出を胸に、女の子は強く生きていくという内容です。
パーマ大佐「お弁当箱の歌」の歌詞もダーク!才能アリだが、お笑い芸と言えるのか?
パーマ大佐は、誰もが幼い頃に一度は歌った「お弁当箱の歌」についても、「森のくまさん」と同じくらいダークな内容で返歌を作りました。パーマ大佐は、既存の「お弁当箱の歌」に登場する弁当の具材が、現代の幼稚園児には好まれそうにない、戦後並の古臭いメニューであることに着目。「お願いだよママ、おかずを変えてほしい」「見た目も味も栄養も、センスすらない」と散々ディスり、最終的には「ママの愛が入っているから食べる」と結んでいます。
編曲だけではなく、既存の作品を膨らませる創作技術や、着眼点には、確かに凡庸ではない才能を感じさせられるというもの。しかし、いずれの既存作品も、意表を突く形で物語仕立てにしただけで、笑えるかどうかと言えば、万人がそうではない様子です。「他人のふんどして相撲をとっているだけで、つまらない」「ウザイ」との声も、絶えることはありません。
パーマ大佐「森のくまさん」がますます笑えないネタに?著作権トラブルは円満解決したが……
パーマ大佐にとって、「森のくまさん」の替え歌は、ブレイクのきっかけとなった大事なネタです。しかし、CDを発売してしまったことによって、2017年1月18日に思わぬ騒動が勃発。もともとは外国民謡だった同曲に、日本語訳詞をつけた馬場祥弘が、著作者人格侵害を主張し、CD販売の差し止めと、慰謝料300万円を求めたのです。2007年に「おふくろさん」に独自のセリフを加えた森進一と、作詞家・川内康範の間でも同様の騒動が起こりましたが、勝手に改作したほうには弁解の余地はありません。
アンチ・パーマ大佐にはシメシメではありますが、イチオシネタを封印せざるを得なくなったとしたら、パーマ大佐にとっては死活問題です。メルヘンな世界観をブチ壊すような大改編ではあったものの、”僕なりの森のくまさん”として、原曲へのリスペクトは感じられるのでは?と、芸能界からは同情の声が相次ぎました。
近年、童謡離れが著しいものとなっているだけに、パーマ大佐の歌ネタは、古き良き時代を回顧するきっかけにもなりそうです。2017年2月に入ると、インターネット上の動画や、今後製造されるCDに、パーマ大佐の名を”歌詞の改編者”として記載することで、騒動は円満解決の形で収束しました。
しかし、一度いわくがついてしまうと、ネタを披露しにくくなってしまいそうなもの。お笑い界からは、「騒動の顛末を替え歌にしては?」などと邪悪な提案も、チラホラと上がっています。せっかく円満解決となったのに、馬場祥弘の神経を逆なでするようなことはできないかもしれませんが、この事態をうまく転がすことができれば、パーマ大佐の芸人としての価値も上がるはず。芸人としてつまらないという意見も、一蹴することができるでしょう。