笠智衆の孫や息子、妻は?身長、体重、お墓はどこ?

笠智衆の孫や息子、妻は?身長、体重、お墓はどこ?

笠智衆の孫・笠健三も俳優に!「男はつらいよ」のような代表作に出会えるか?!

笠智衆は、往年の名匠・小津安二郎をはじめ、岡本喜八、山田洋二など名立たる映画監督の作品に数多く出演してきた昭和を代表する名優。名前は、「りゅう ちしゅう」と読みます。数ある名役どころの中でも記憶に新しいのは、フーテンの寅さんこと渥美清主演でロングセラーとなった『男はつらいよ』での柴又題経寺の住職役でしょう。

突拍子もない騒動を起こす寅さんを叱ったり諭したり。口八丁手八丁の寅さんも、笠智衆演じるご住職だけには頭が上がらなかったようです。明治37年生まれで熊本出身の笠智衆の実家は、浄土真宗系のお寺だったそうですから、ある意味、住職の役は天職だったともいえます。

笠智衆の孫である笠健三は祖父の影響を受けたのでしょうか。日本映画学校を卒業後に東映マネージメントに所属し、NHK大河ドラマ『利家とまつ』やテレビ朝日系の人気ドラマ『臨場』や『相棒8』などに出演。俳優として活躍しています。

笠智衆に息子はいるの?妻ってどんな人?身長、体重、お墓はどこに?

笠智衆は、映画俳優としての仕事を考慮してか、私生活はあまりオープンにしていなかったようですが、息子が2人いるようです。次男・鉄三の話によると、実生活の笠智衆は「自宅に居るのか居ないのか」分からないほど寡黙な父親。一方で、妻は活発な女性だったようで、家庭はかなりの「かかあ天下」だったとか。また、笠智衆は全くの下戸でしたが、妻は酒豪。教育熱心な妻に対して、笠智衆は息子たちには全くの放任主義と、かなり対照的な夫婦だったそうです。

笠智衆の孫・笠健三の身長は179センチあるそうですが。祖父である笠智衆も171センチと、明治生まれの男性としてはかなりの長身。笠智衆の体重は公表されていませんが、中年太りとは無縁で、生涯を通してスマートな体型でした。長男・徹の著書『春風想―父・笠智衆の思い出』によると、笠智衆は、北鎌倉駅前にある「光泉」のお持ち帰り専門の稲荷寿司に目がなかったそう。1993年に88歳で生涯を終え、神奈川県鎌倉市の成福寺にお墓があるそうです。

笠智衆の映画代表作品「東京物語」「秋刀魚の味」あらすじ感想見どころ!

笠智衆の代表作品である映画「東京物語」のあらすじと感想、見所とは!

笠智衆の代表作品であり、巨匠・小津安二郎監督の最高傑作と名高い『東京物語』(1953年)は、世界を代表する映画監督からも評価が高く、プロが選ぶ映画ランキングの1位に選ばれたことも。映画は、尾道に暮らす周吉(笠智衆)と妻とみ夫婦が、東京で暮らす子供たちを訪ねて上京するところから始まります。

最初こそ2人を歓迎していた長男長女夫妻でしたが、次第に自分たちの仕事や家庭の事情で周吉夫婦を疎ましく思うように。そんな中、2人を自宅に呼び、手料理を振る舞うなど、かいがいしくもてなしたのは、戦死した次男の妻である紀子(原節子)でした。周吉夫婦は、自分たちが歓迎されていないことに気が付きながらも満足した振りをして尾道に帰りますが、その後に妻とみが急逝するという不幸が周吉に襲い掛かります。

この『東京物語』は、同じく小津作品である『晩春』『麦秋』と共に、原節子が演じたヒロイン役が全て「紀子」だったことから、「紀子三部作」の1つとも呼ばれ、「小津調」と称される、カメラを固定して人物を撮るという演出技法で「家族という共同体」を丁寧に描いていることでも高く評価されている作品です。

笠智衆のいぶし銀の演技が光る「秋刀魚の味」のヒロインは若き日の岩下志麻!

笠智衆のもう1つの代表作品映画『秋刀魚の味』は、1962年度の作品ですが、翌年に小津安二郎監督が亡くなったため、遺作となった作品です。主演の笠智衆演じる、妻に先立たれた初老のサラリーマン平山周平と、婚期を迎えた娘・路子との交わりを、時にコミカルに時にシリアスに描いた秀作。注目すべきは、何といっても笠智衆の娘・路子を演じた岩下志麻でしょう。

2年前の小津作品『秋日和』に端役で出演した岩下志麻が、『秋刀魚の味』でヒロイン役に大抜擢!もちろん、若いこともありますが、後に『極道の妻』などで魅せる大胆不敵さとは対極で、初々しく可愛らしい娘を演じ切っています。笠智衆にしか出せない、娘を嫁がせた初老の父親の醸し出す「悲壮感」と「孤独感」も絶妙です。

笠智衆の演技が没した後も語り続けられている理由とは

笠智衆は、1993年に亡くなった後も、『キネマ旬報』の「20世紀映画スター・日本編」の男性俳優部門で5位に選ばれるなど、その演技力が今も語り継がれている昭和の名優です。しかし、その朴訥とした、いかにも不器用そうな所作に「演技がいつも同じ大根役者」となじられたこともありました。

中でも随筆家・山本夏彦は、熊本出身である笠智衆が熊本訛りで演技をすることに嫌悪感があったようで「笠智衆だいきらい!」とのコラムを書き、全国の笠智衆ファンから抗議の手紙が殺到したそうです。憎悪は愛情の裏返しとも言いますが、もしかすると、山本夏彦も、憎しみの裏側に笠智衆に対する思い入れがあったのかもしれません。

事実、デビューしたての頃は、この訛りが俳優としての障壁となり、なかなか仕事がもらえなかったそうですが、最後まで自らの演技を貫いた結果が、他の俳優には真似できない独特の存在感を漂わせる「名優・笠智衆」を生む結果となったのです。穏やかな性格で演出家と争うことはなかった笠智衆ですが、唯一こだわったのは、泣く演技はしないこと。

それは、「明治の男は泣かないものだ」という確固たる信念があったから。追悼番組が放送された時「まるで自分の祖父が亡くなったかのように寂しい」という手紙が、NHKに数多く寄せられたそうです。優しさと頑固さと朴訥さと……古き良き時代の日本の父親を演じてきた笠智衆は、老いてなお、そして、亡くなった後も「日本国民のお父さん、おじいさん」として皆の心にずっと生き続けているに違いありません。

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