2015年7月10日 更新
佐渡裕 痩せた理由は病気?心配される病名、身長、体重は?
佐渡裕 人気音楽番組降板の理由は?
佐渡裕がテレビ番組を降板しました。ギネスにも認定されているほどの長寿番組である「題名のない音楽会」。毎週欠かさず見ている人も多く、吹奏楽関係の方や、クラシックファンの方に支持されています。放送開始から2014年で50周年を迎えており、その人気はまったく衰えることを知りません。日曜日の朝に放送していることもあり、家族団欒で楽しめる番組にもなっています。
佐渡裕自身も子供の頃から題名のない音楽会のファンであり、楽しんでいたそうです。幼少期を番組を見ながらクラシックの世界へと、踏み入れていく方も多いようですね。50周年を迎えたばかりで、盛り上がっている番組を、佐渡裕は今なぜ降板したのでしょうか。実は、世界への挑戦ということがその理由のようです。
佐渡裕はこれまでいくつものオーケストラで客演をしてきました。2011年には誰しも耳にしたことがあるフィルハーモニー管弦楽団での客演も果たしたほど。元々、ヨーロッパなどで活躍をしている佐渡裕は、多忙ということが理由で、毎週放映される番組への起用を躊躇していたくらいです。そして今年、名門中の名門である、オーストリアのトーンキュンスラー管弦楽団へ音楽監督として就くことになりました。そのため、スケジュール的にいよいよ限界に達したということでしょうか。佐渡裕自身、寂しさも感じながらの降板決定となりました。
佐渡裕 見映えのする身長や体重はどのくらい?痩せたのは病気のせい?
佐渡裕は身長187cm、体重82といった恵まれた体格の持ち主。そんな大柄な体格が持ち味でもあった佐渡裕ですが、最近随分と痩せたと噂になっています。歳を重ねて音楽家生活はさらに充実していると思われますが、体はやはり悲鳴をあげていたのでしょうか。「題名のない音楽会」の降板も発表されたので「やっぱり病気?」「佐渡裕の病名は?」と、ファンではなくても、テレビで見る佐渡裕の痩せた姿に心配をしている方も多かったようです。
しかし、実は痩せた理由はトレーニングの日々を送っていたと判明。専用のトレーナーをつけ、毎食のバランスもコントロール。食事の内容を写真に撮り、その都度トレーナーへ送るという厳しいトレーニングです。食事だけではなく、運動もしながらということですので、本気で取り組んでいるのでしょう。しっかりとしたトレーニングの成果は、10kg痩せたという見事な結果を出しました。年齢を考えてみても、相当な努力が必要だったと思われます。ダイエットを成功してもそのまま維持をしていくことのほうが大変ですので、佐渡裕が努力家であることが分かりますね。
佐渡裕 結婚、再婚、妻や子供、家族は?
佐渡裕 結婚から再婚へ、指揮者の結婚生活
佐渡裕は、かつて一般人と結婚をしていました。新婚当時ウィーンで暮らしており、その頃の佐渡裕は自分が見えなくなっているほど、不安定になっていたそうです。たしかに音楽一本で生活をしていくのも簡単ではないのでしょう。1993年には、その一般女性と離婚。指揮者として世界から認められている佐渡裕ですが、離婚を決意した当時はいろいろな壁にぶつかっていたのでしょう。ちょっと変わった言葉で、奥さんに離婚を切り出しています。佐渡裕が「わがままにもっと生きたい」ようなことを伝えると、妻は「好きなように生きることが裕にはできる」と返事。その後「離婚してくれへんか」と離婚を告げるわけです。この会話には、妻の佐渡裕に対する愛情がとても詰まっており、このような夫婦の形もあるのだと感心さえしてしまいます。佐渡裕の音楽へ対する気持ちは本物であり、その後は文句のつけようのない、大物指揮者として活躍ぶり。離婚した妻の存在も大きく影響したことでしょう。
佐渡裕 再婚した妻や子供、家族は?
指揮者、佐渡裕の現在の家族はどのような状況なのでしょうか。「徹子の部屋」に出演した際に、一般の方と再婚したことを佐渡裕自ら語っています。2014年に放映された徹子の部屋で、4歳になる子供がいることも打ち明けていますので、2010年頃には再婚していた計算になるでしょうか。子供は女の子です。一度は、佐渡裕自身のわがままという形で離婚をしているので、再婚には批判もあります。ファンから見れば何かを言いたくなる気持ちも分かります。けれども、佐渡裕自身も相当な葛藤はあったはず。結局、結婚した2人、離婚をした2人にしか分からないことなので、周囲がとやかく言っても仕方のないことでしょう。以前と現在とでは、環境や心のゆとりが違うでしょうから、再婚した妻と娘さんとで、一家団欒の素敵な生活をしていることを願いたいですね。
佐渡裕 日本が誇れる指揮者
佐渡裕は、世界の小澤征爾が恩師。そして、今の成長ぶりは、小澤征爾にも認められています。佐渡裕の華々しいキャリアの起点は1989年。ブサンソン・コンクールという指揮者の部門で、優勝を果たしています。ここからプロの道へ。輝かしい成績があったとしても、その実、苦難の道を歩き続けてきたという佐渡裕。たしかに、そう簡単に音楽で大成できるわけではありません。現在までの軌跡には、常人では計り知れないものがあることでしょう。日本や海外を股にかけて活躍をしており、1999年には最早有名になった、サントリー1万人の第九も始まりました。兵庫県立芸術文化センターで、音楽の芸術監督にも就いており、若者たちなどの後進の育成にも力を入れてきました。そして今年、「題名のない音楽会」の降板を経て、満を持してオーストリアにある、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の指揮者に就きます。歴史のある、管弦楽団での主席指揮者での待遇は、日本が世界に誇れること。歴史のある楽団の監督になったとしても、佐渡裕本人の独創性を失うことなく、タクトを振ってもらいたいものです。テレビ番組でも披露してくれた、京都生まれというユーモアも備わっており、日本が生んだ佐渡裕というセンスを世界で見せつけてくれることを期待します。「音楽はビタミン」という佐渡裕の言葉は、日本でも、そして海外でも夢を見せてくれそうです。佐渡裕の音楽が、私たちの心を癒してくれたり、元気にさせてくれることを心待ちにしていましょう。海外での食生活は、日本食とは違うので、心配されている病気にならないように体をしっかり保ってもらいたいですね。