砂川啓介(俳優)が妻・大山のぶ代の認知症介護を告白!出版会見のなげやり発言とは?

砂川啓介(俳優)が妻・大山のぶ代の認知症介護を告白!出版会見のなげやり発言とは?

砂川啓介(俳優)の妻・大山のぶ代は認知症!ドラえもん声優を襲った病

砂川啓介(さがわけいすけ、俳優)は、ドラえもんの声を務めたことで有名な大山のぶ代の夫です。そして、2015年の5月に、大山のぶ代の認知症を告白し、自ら介護をしていることを明かして話題になりました。

砂川啓介は、26年という長期にわたりドラえもんの声を務めてきた大山のぶ代のイメージを崩したくないという思いから、それまで事実を公にすることはありませんでした。しかし、砂川啓介の告白に、同じように認知症患者の家族を介護する人々から、反響の声が続出。その声に応えて、砂川啓介は、大山のぶ代との日々を綴った告白本も出版しました。

砂川啓介(俳優)が認知症介護を告白本発売!会見で投げやり発言を連発

砂川啓介(俳優)が出版した「娘になった妻、のぶ代へ~大山のぶ代『認知症』介護日記~」は、発売と同時に話題になり、10万部をこえるヒットになりました。社会問題となっている認知症や老老介護の問題を取り扱った本なだけに、出版会見にも、マスコミが殺到。

しかし、当の砂川啓介はといえば、あまりの反響の大きさに戸惑ったのか、「認知症を公表してから妻が愛おしくなりました……と言うしかないですね」「(本で告白した浮気について)今はしていない。妻だけです。だってそう言うしかないでしょう」と、記者たちが固まるような投げやり発言を連発。夫婦愛や絆といった綺麗ごとだけでは片付けられない問題だけに、砂川啓介自身もジレンマを抱え、その結果、投げやり発言連発会見となったのではないでしょうか。

砂川啓介(俳優)は体操のお兄さんだった!子供はいる?過去の病気とは?

砂川啓介(俳優)は初代体操のお兄さん!おしどり夫婦で有名!

砂川啓介(俳優)は、大山のぶ代の夫としての姿がクローズアップされがちですが、なんと、NHK幼児向け番組「うたのえほん(後のおかあさんといっしょ)」の初代体操のお兄さんだったことはご存じでしょうか。砂川啓介の体操のお兄さんは好評で、1961年から8年間も務めることに。

その頃、大山のぶ代と番組共演で出会い、1964年に結婚します。また、1980年には、日本テレビ「お昼のワイドショー」のMCに抜擢され、こちらも6年間にわたり活躍する等しており、同年代の人間にとっては、かなり馴染み深い存在ともいえます。また、大山のぶ代とのおしどり夫婦ぶりもよく知られており、夫婦で番組出演することもしばしばありました。

砂川啓介(俳優)と大山のぶ代に子供はいる?過去に体験した病気は?

砂川啓介(俳優)は、大山のぶ代との仲良し夫婦ぶりがよく知られていますが、2人の間に子供はいたのでしょうか。実は、夫婦の間には、1965年に長女が、1971年に次女が産まれています。しかし、長女は死産。次女は、先天性心臓疾患のため、わずか3カ月で亡くなっています。

2度の不幸に、砂川啓介・大山のぶ代夫婦は、セックスレスに陥り、その後、子供をもうけることはありませんでした。また、砂川啓介自身も病気を経験しています。2013年には、胃癌で手術し、2016年には尿道癌が見つかり、手術のため入院します。自身の病気のため、自ら介護し続けてきた妻の大山のぶ代を、老人ホームに入所させるという苦渋の決断をしました。

砂川啓介が体験した老老介護の現実

砂川啓介は、現在79歳で、妻の大山のぶ代は、83歳。2016年5月の砂川啓介の病気をきっかけに、大山のぶ代を老人ホームに入所するまでは、いわゆる「老老介護」を続けていました。そもそも、大山のぶ代は、2008年に認知症を発症する前に、心筋梗塞と脳梗塞で倒れて入院しています。

投薬治療で回復して退院するも、当初は会話もできず、身体も思うように動かせない状態でしたが、自宅で療養とリハビリを続け、仕事にも復帰しました。その際には、夫婦そろって「徹子の部屋」に出演し、笑顔で歓談していました。

しかし、生活の中で、「あれ?」と思うようなことが、徐々に起き始めたといいます。実は、認知症の症状と脳梗塞の後遺症は非常に似ていることから、周囲も、しばらくは後遺症だと思っていたそうです。しかし、2013年に、砂山啓介が胃癌のため手術を受け入院したことがきっかけで、砂川啓介は、大山のぶ代が認知症ではないかと感じはじめます。もともとは非常に記憶力がよく、てきぱきと物事をこなす妻が認知症になってしまったことは、なかなか受け入れ難いことでした。

しかし、胃癌の手術の際に、大山のぶ代が見せた態度に、認めざるを得ないと思ったといいます。手術は7時間におよびましたが、その際に、大山のぶ代が、「長すぎる!」と激怒。それは、夫が大手術を終えた後とはとうてい思えない、以前の大山のぶ代ならばありえない態度でした。その後、大山のぶ代は、実際に認知症と診断されます。その後も病気は進行し、現在では2分前のことも覚えていません。

また、料理上手で料理研究家としても活躍していた大山のぶ代が、料理の仕方が分からなくなってしまい、食事の支度は、すべて砂川啓介の役目となりました。トイレや入浴に至るまで目が離せず、砂川啓介の肩にのしかかる負担はかなりのものだったといえます。

それまで、妻のことを思ってとはいえ、夫婦ともに親交を深めてきた友人たちに、この事実をひた隠しにして介護を続ける日々にも辛さを感じていたそうです。事実を公表したことで、精神的な負担もかなりやわらいだという砂川啓介。また、大山のぶ代の体調がいい時は、友人と食事をともにすることもできるように。「徹子の部屋」出演時には、古くからの友人である黒柳徹子とも食事をともにしたと明かしています。

2016年、砂川啓介の病気のため、この老老介護は突然終わりを迎えました。急に決まった入院日に対し、砂川啓介は、病身を抱えながら、大山のぶ代の預け先を探しました。たまたま、入所先が見つかったのは幸運でしたが、見つからなったとしたらどうなっていたのでしょうか。危ういバランスで支えられている老老介護の現実が、そこにあります。

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