坂田おさむは我が子と共演した唯一のうたのおにいさん!娘がいるのにオネエ疑惑が!?
坂田おさむは我が子と共演した唯一のうたのおにいさん!今では考えられない経歴とは?
坂田おさむは、NHK「おかあさんといっしょ」の第7代目のうたのおにいさん。もともとフォークロックバンドのギタリストとして1975年にデビューし、ソロ活動や、なぎら健壱とのフォークユニットで活動していました。
作曲能力も高かったことから、1984年に「おかあさんといっしょ」に楽曲を売り込みに行ったことがきっかけで、うたのおにいさんのオーディションを受け、みごと合格。1985年4月の放送開始時、坂田おさむはすでに32歳の既婚者で、3歳の娘(坂田めぐみ)がいました。
そのため、“父親がうたのおにいさんを務める「おかあさんといっしょ」に、一般の子に混じって娘が収録参加”という親子共演もあったとか。子役として活動していた娘とは、親子という事実を伏せて、1990年にもステージで共演を果たしています。番組卒業が大きな話題になるほどうたのおにいさんの人気が凄まじい今では、とても考えられないようなエピソードです。
坂田おさむには娘がいるのにオネエ疑惑が!?整形を疑う声も?
坂田おさむには子役デビューしている娘・坂田めぐみがおり、現在では、2人で子供向けのコンサートに登場することもあります。しかし、坂田おさむを独身のオネエだと思う視聴者も少なくない様子。理由は、外見がおばさんのように見えるから……。たしかに、坂田おさむのつややかな肌や唇、整えられた眉毛やカールしたまつ毛、首に巻かれたストールなどは、60代中盤のおじさんには見えません。
とはいえ、坂田おさむは、うたのおにいさんとして若さと体型を維持するためにジム通いをしていることなどを明かしていることから、肌のお手入れもその一環として行われているのでしょう。その甲斐あってか、しわ取りや目の周りの美容整形手術を疑う声もあるほどの若々しい姿で、現在も美声を披露し続けています。
坂田おさむ「ありがとうの花」など代表曲をおさらい!ツイッターを辞めた理由は?
坂田おさむ「ありがとうの花」など代表曲は名曲揃い!実はあの曲もおさむお兄さんがつくっていた!?
坂田おさむは、シンガーソングライターとして、「おかあさんといっしょ」を中心に、たくさんの名曲も提供しています。「ありがとうの花」や「虹の向こうに」など、たくみお姉さんやだいすけお兄さんが卒業した時に歌われた名曲は、どちらも坂田おさむの作詞作曲です。ほかにも、「どんないろがすき」や「ぼくらのロコモーション」「公園にいきましょう!」「ヤッホ・ホー」「ぴぴ・ハピー」などなど、小さい子供を育てている・育てていたお母さんならば、一度は絶対に聞いたことがあるはず。
NHKの「みんなのうた」で2002年に放送されて人気となった「ママの結婚」は、母子家庭の母親の再婚を、娘の目線から描いた歌で、「シングルマザーを応援してほしい」というファンレターをもとに制作された名曲。坂田おさむは、作曲はもちろん作詞の才能にも秀でており、「みんなだれかがすきになる」や「キッチンオーケストラ」などは作詞のみを担当しています。
坂田おさむがひっそりとツイッターを辞めていた!その理由とは?
坂田おさむはツイッターやフェイスブックのアカウントを持っていましたが、2017年4月にひっそりと辞めたことを、オフィシャルページ内にあるブログ「このごろ日記」で明かしています。理由は、SNSならではの「安易なやりとり」や「早いレスポンス」が、自称「のんびりタイプでもともと超アナログ」の坂田おさむには合わなかったから。「つぶやきや日々の近況報告といった一過性の発信なら、ブログで十分」という結論に達したためだそうです。
自らを「おさむおにいさん」と記すことも、ツイッターやフェイスブックでは、「いい年こいて誰がお兄さんじゃ!」と非難されそうだ、と冗談めかして書いています。今後は、ブログ「このごろ日記」で、のびのびと近況を報告していくとのことです。
坂田おさむは60代でもまだまだ現役!だいすけお兄さんとのエピソードは?
坂田おさむは、1993年まで8年間もの間、7代目のうたのおにいさんを務め、1987年にコンビを組んだうたのおねえさん神崎ゆうことは6年共演していました。この在任8年、コンビ6年という期間は、「おかあさんといっしょ」史上最長記録として長らく讃えられていましたが、それを塗り替えたのが11代目のうたのおにいさん横山だいすけでした。
そんな在任9年、コンビ8年という新記録を打ち立てた、横山だいすけと坂田おさむは深い親交があるようです。横山だいすけ最後となった「おかあさんといっしょ」のスタジオ収録にも駆けつけ、現場で見守っていたという坂田おさむ。そこには、寂しさ以上に、“9年間を無事に成し遂げた安堵”のような感情が漂っていたと言います。
そして、歌や踊りを覚え、子供たちやカメラ割りや進行に気を配り、コンサートや撮影をこなし、体調管理に気を付け続けるという苦労を9年間も頑張っただいすけお兄さんを、経験者として心から労っていました。番組卒業後の横山だいすけが、民放局のテレビ番組に初出演する際には、前日に、「(坂田おさむが作った)『虹の向こうに』を歌わせていただきます」という丁寧なメールが届いたそうで、とても嬉しかったとも明かしています。
坂田おさむのコンサートは、30年前に子供だった世代が、今ちょうど子育て中の親世代になっていることもあり、当時おさむお兄さんを見ていた親子と孫の3世代が楽しめると評判です。60代になっても表舞台でバリバリ現役の坂田おさむ。これからもたくさんの名曲を作り、いつまでも若々しく、素敵な歌声を聞かせ続けてほしいですね。