東条英機が絞首刑に処された理由!海外評価が変わりつつある?

東条英機が絞首刑に処された理由!海外評価が変わりつつある?

東条英機が東京裁判で絞首刑に処された罪状とは?

東条英機は、太平洋戦争開戦時に第40代内閣総理大臣を務めていた政治家です。敗戦後の1948年11月に行われた東京裁判で、絞首刑が言い渡され、12月23日に刑が執行されています。このとき、東条英機は64歳でした。

東京裁判の正式名称は「極東国際軍事裁判」といいますが、これは、第二次世界大戦の戦勝国が、敗戦国となった日本の指導者たちを裁くために行われた裁判です。そこでは、東条英機をはじめ、A級戦犯とされる7名に絞首刑が言い渡されました。東条英機の罪状は、「真珠湾を不法攻撃し、アメリカ軍人と一般人を殺害した罪」です。

裁判の判事全てが戦勝国から派遣され、最初から日本の指導者たちが有罪になるのが既定路線だったともいわれている東京裁判。しかし、終戦から長い時を経た今、「人が戦争を裁けるか」という根源的な問いがあらためて検証され始めています。

東条英機の海外評価が変わりつつある?第二次世界大戦の真実とは

東条英機は、開戦当時、軍人でありながら、内閣総理大臣に就任していたため、A級戦犯として処刑されました。戦後は、「開戦と敗戦の張本人」「憲兵を使って監視社会を作った」「己に権力を集中させ独裁的に振る舞った」などと、東条英機を極悪人とする見方が横行していました。

しかし、日本がなぜ第二次世界大戦で戦わざるを得なかったのかについてなど、真実が見直されつつある今、東条英機に対する海外評価も変わってきています。当時の資料によると、東条英機は、アメリカとの戦争を回避しようと尽力したものの、抑えることができなかったことが分かってきました。

しかし、生真面目な性分も影響したのか、宣戦布告したからには絶対に勝たねばならないと思い、本気で戦うことを決意したと考えられています。極悪人に仕立て上げられた東京裁判では、天皇陛下が戦犯ではないことを訴え続け、国民を守るためにA級戦犯として処刑されました。

現在では、東条英機は、日米双方にとって都合のよいスケープゴートであったとの見方すらあります。第二次世界大戦の真実が明かされるのは、これからなのかもしれません。

東条英機の遺書と名言!ビートたけし主演ドラマの再現度が凄かった

東条英機の遺書と名言!そこにあるのは愛国心だけ

東条英機は、戦争責任者として死刑は免れないと思っていたのか、遺書をいくつも残しています。連合国への降伏文書に調印した翌日には、まず家族に宛てた遺書を書きました。逮捕前には、「英米諸国人に告ぐ」「日本同胞国民諸君」「日本青年諸君に告ぐ」の3通を遺しています。

「日本青年諸君に告ぐ」の中にあるのは、「この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。私は諸君が隠忍自重し、どのような努力をも怠らずに気を養い、胆を練り、現在の状況に対処することを祈ってやまない」という言葉。これは、この国の繁栄を願って、未来ある若者たちに託した思いなのでしょう。

東条英機が、判決を受けてから刑が執行されるまでの間に残した遺書には、「開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある」という文章から始まるものもあります。続けて、国際的な犯罪としてはどこまでも無罪を主張するが、国内的な責任は自らが負うとも書かれているそうです。

さらに、天皇や国民に対しては深くお詫びするとも記されていました。東条英機の遺書を読む限り、そこにあるのは愛国心だけのようにも感じられます。

東条英機を演じたビートたけしの再現度が凄かった!TBSドラマ「あの戦争は何だったのか 日米開戦と東條英機」

東条英機は、陸軍の暴発を抑圧するために、天皇から首相に任命されました。天皇の思いを汲み取った東条英機は、戦争を回避しようと努力します。その背景を探った特番として、「シリーズ激動の昭和」が、2008年3月10日にTBSで放送されました。番組は2部構成で、安住伸一が司会を務めるドキュメンタリー「あの戦争は何だったのか」の後に、ドラマ「日米開戦と東條英機」が放送されています。

ドラマの中で東条英機を演じたのは、ビートたけし。実在した人物に似せるのはなかなか大変だと聞きますが、メガネにちょび髭をたくわえたビートたけしの風貌は、東条英機にそっくりでした。ビートたけしは、さまざまな思惑に揺れる戦時下のリーダーの姿を繊細に演じ、まさに適役だったと絶賛されています。ドラマ「日米開戦と東條英機」は、政府大本営連絡会議の様子など、場面構成の再現度がかなり高かったことでも評価されました。

東条英機の開戦決断について田原総一朗と猪瀬直樹が語る!

「東条英機が先頭に立つことで日本は戦争に突入していった」と思っている方もいるかもしれませんが、実は、「戦争をしたくない」という昭和天皇の思いを一番重んじていたのは東条英機だったそうです。12月8日に行われた映画「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」の公開記念トークショーで、ジャーナリスト・田原総一朗と元東京都知事・猪瀬直樹が、その時の東条英機について語りました。

東条英機の開戦決断について、田原総一朗は、その時代の空気が後押ししたと言っています。なかなか宣戦布告しない東条英機に対し、国民は、「早く開戦しろ」「意気地なし」「卑怯者」などという声を上げていたといいます。また、猪瀬直樹は、日本が3年半~4年で敗戦することはシミュレーションによって分かっていたのに、作戦があるから戦わざるを得ないという流れに乗ってしまったのだと話しました。

時局から開戦を決断せざるを得なくなった東条英機は、1941年12月8日、日本軍によるハワイの真珠湾攻撃を開始。ここに日米戦争がはじまりました。これまでは、攻撃が始まった数時間後にアメリカに宣戦布告が届いたことから、日本がアメリカをだまし討ちしたといわれてきた真珠湾攻撃。しかし近年になって、これはルーズベルト大統領の陰謀だったということが明らかになりつつあります。

そこには、世界やアメリカ国民に、「日本はずるい国」ということを印象づけることで、アメリカ国民に戦意を持たせようという狙いがあったとか。第二次世界大戦の真実が改めて検証されている今、安倍晋三首相が、ハワイの真珠湾を12月26日に訪問することが発表されました。

東条英機が本意としなかった開戦や、それでも戦犯として絞首刑に甘んじた東京裁判……安倍晋三首相が、真珠湾を訪問して、どのような言葉を述べるのか注目が集まります。今年は戦後75年。私たち日本人は、正しい歴史を知ることで、これからの世界平和について考えていかなければなりません。

関連記事

ページ上部へ戻る