2018年7月24日 更新
佐久間良子と平幹二朗の冷えた結婚生活!「私の履歴書」で明かした離婚真相
佐久間良子30年を経て明かされた平幹二朗との離婚理由
佐久間良子は、1939年生まれ、77歳の大女優です。佐久間良子が結婚したのは1970年。相手は、フジテレビ「三匹の侍」でニヒルな浪人役を演じてブレイクし、その後は、舞台俳優としても注目されていた平幹二朗でした。人気実力派俳優同士の結婚として、マスコミを賑わせた2人の結婚。1974年には、男女の双子を出産し、男の子は、今では中堅俳優となった平岳大です。
しかし、その10年後の1984年、佐久間良子と平幹二朗は離婚します。離婚の原因に関しては、2012年、日本経済新聞に掲載された「私の履歴書」の中で、夫について結婚して分かったことがあると著した佐久間良子。当時話題になっていた、平幹二朗の同性愛疑惑について、暗に肯定するかのような表現をしています。
自らもまた「私の履歴書」の中で、結婚前ではあるものの、俳優鶴田浩二と不倫関係にあったことを赤裸々に語った佐久間良子。鶴田浩二以外にも、複数のテレビディレクターとの交際が知られ、デビュー当時とは異なり、佐久間良子は、なかなか奔放な大物女優ぶりを見せています。
佐久間良子は戦後の東映を代表する美人女優
佐久間良子は、1957年、山城新伍や花園ひろみ、室田日出男などと共に、東映ニューフェイス4期生として、18歳で東映に入社。若くして東映の看板女優となります。東映というと、時代劇、任侠映画、実録やくざ路線、それが傾くと、エログロナンセンスと、東宝のような文芸路線のイメージがありませんが、60年代初頭には、文芸ものや恋愛映画なども撮っていました。
佐久間良子といえば、演じる役柄は、時代劇ならお姫様、現代劇ならばお嬢様ばかり。東映は、やはり男性スター中心の世界でした。そんな中、佐久間良子は、20代半ばになると、「人生劇場飛車角」シリーズや、「五番町夕霧楼」出演にあたって、大胆な濡れ場や汚れ役を演じ、女優として一皮むけます。
しかし、やくざとエロ路線を走る東映とは次第に一線を画すようになった佐久間良子。1967年には、活動の場をテレビに移し、NET、現テレビ朝日の「徳川の夫人たち」など、大奥もので一気に人気者となり、1981年には、NHK大河ドラマ「おんな太閤記」で、女性として堂々の主役を飾りました。
佐久間良子の息子・平岳大が結婚した相手は誰?娘の現在は?
佐久間良子の息子・平岳大は次世代を担う国際スター?!
佐久間良子と平幹二朗の子供、男女双子の子供たちは、今どうしているのでしょうか。平岳大は、今年のNHK大河ドラマ「真田丸」で、悲劇の武将武田勝頼を気高く演じ、中堅俳優として、その存在感を深めています。また、この7月には、かねてより交際していた、出版業界で働く一般女性との結婚を発表。公私ともに充実した日々を送っているようです。平岳大は現在42歳。
名門仰星学園で小学校から高校途中までを過ごし、単身渡米して、アメリカモーゼス・ブラウンスクールを卒業。そのままアメリカで進学し、名門ブラウン大学理学部応用数学科を卒業すると、コロンビア大学院修士課程を中退。外資系の会社に勤めた後、なんと27歳で俳優を目指したという、超エリートで遅咲きという異色の俳優。多様な経験からは、英語、スペイン語も話せるという平岳大。身長183cmで体格もよいことから、渡辺謙のように、国際的スターの可能性も秘めています。
佐久間良子の娘は海外で暮らすバリバリのキャリアウーマン
佐久間良子と平幹二朗との間に生まれた双子の一方、一般人として育った双子の妹もまた、女優になってもおかしくない美貌の持主といわれています。しかし、早くに海外に出て、バリバリのキャリアウーマンとして仕事をこなし、すでに結婚もしているようです。両親は離婚してしまいましたが、子供2人は、両親それぞれの優れた遺伝子を引き継いだようです。
佐久間良子は戦後No.1のエロティズム女優
佐久間良子は、戦後を代表する美人女優ですが、他にもさまざまなタイプの美人女優がいました。例えば岸恵子や司葉子、久我美子などは、清楚で知的なタイプ。このタイプの女優は東宝に多いようで、後の酒井和歌子や沢口靖子へと続きますが、総じて色気はあまり感じられません。日活は、北原三枝、芦川いづみ、浅丘ルリ子、そして吉永小百合と、いかにも戦後の女性美の多様性を感じさせます。
そんな中で、エロティズムを感じさせたのが、大映の若尾文子であり、東映の佐久間良子です。純情可憐、触れなば落ちんといった風情ながら、内に秘めた女性の激情や魔性を感じさせるエロティズムは、両者ともに、年齢を重ねるごとに増していきました。そして若尾文子の系譜は、関根恵子、現高橋恵子へ。佐久間良子の系譜は、松坂慶子へとつながっていきました。
佐久間恵子が、「人生劇場飛車角」や「五番町夕霧楼」で魅せたエロティズムは、決してヌードを披露したわけではありません。その長じゅばんからのぞく襟足や、裾の足首の艶めかしさが、当時大いに話題になったのです。松坂慶子は、佐久間良子の出世作の再映画化で、「五番町夕霧楼」の夕子を1980年に、そして「人生劇場」のおとよを1983年に演じています。
この時は、松坂慶子が惜しげもなくヌードを披露したのは時代というものでしょう。現代では、脱がなくても、匂い立つようなエロティシズムを感じさせる女優さんが、なかなかいません。世の男性が本当に望むのは、過激なエロより、そこはかとないエロティズムなのですが。