佐藤弘道の”体操のお兄さん”時代が超絶人気すぎた!医学部出身って本当?
佐藤弘道の”体操のお兄さん”時代が超絶人気すぎた!CMに問い合わせ殺到
佐藤弘道は、NHK Eテレの看板番組「おかあさんといっしょ」の元体操のお兄さんです。高い人気で12年に渡り在任したため、歴代3位を誇る記録の持ち主となりました。爽やかなルックスとキレのある動きで、ママのハートもがっちりつかんだ佐藤弘道。子供人気も実にすさまじく、「おかあさんといっしょ」で弘道お兄さんの体操が始まると、子供がテレビに夢中になるので、ママは家事にとりかかれるといわれたほどでした。
体操のお兄さん卒業直後の2005年に出演したアート引越センターのCMは大反響を巻き起こし、放映スケジュールの問い合わせが相次いだほどの超絶人気ぶりだったそうです。
佐藤弘道が医学部出身って本当?医学博士号を取得していた!
子供だけでなく、主婦層からの人気も高かった佐藤弘道。体操のお兄さん卒業後は、その人気を活かしてバラエティ番組等にも出演し、タレント活動もすっかり板についた感じがありました。しかし、佐藤弘道は、忙しいタレント活動のかたわら、なんと2010年に、国立弘前大学大学院の医学研究科に社会人枠で入学し、2015年に卒業して、医学博士号を取得しています。
資格的には、いわゆる医師とは違いますが、体操が体に与える影響を、科学的・医学的な視点から研究したそうです。親子体操を研究テーマに調査を行うなど、その研究内容は本格的。体操のお兄さんとして培ってきたノウハウをさらに深め、現在は、弘前大学医学部の講師も務めています。
佐藤弘道の結婚した妻や息子!実はモラハラ性格だった!?
佐藤弘道が結婚した妻や息子の存在を隠し続けたわけ
全国の子育てママから熱い支持を得ていた佐藤弘道は、実は体操のお兄さん在任中に結婚していました。お相手は、同じ日本体育大学の同級生の佐藤久美子。妻も、NHK「テレビ体操」に出演したこともあるスポーツウーマンです。2人が入籍したのは、体操のお兄さんに就任して2年目でしたが、体操のお兄さんはプライベートを公にできないため、妻の存在をひた隠しにしたと言います。
その後は2人の息子にも恵まれましたが、こちらも秘密の存在として隠していました。体操のお兄さん卒業後は家族の存在もオープンにし、家族でバラエティ番組に出演したこともあります。2017年6月には、自身のTwitterで、長男が20歳になったことを報告しています。
佐藤弘道はモラハラ性格!?家事にダメ出ししていた!
実は結婚して、子持ちのパパだった体操のお兄さん・佐藤弘道。こうしたエピソードを知ると、家庭的で優しい夫像を想像してしまいますが、モラハラな性格なのではないかという疑惑が……。どうやら、佐藤弘道がかなり潔癖症で几帳面な性格だということから出た疑惑のようです。日ごろから、テレビを見ながらでも手を動かして掃除しているという佐藤弘道。
妻が料理をしているところにダメ出しをして自ら見本を見せたり、洗濯物のたたみ方が気に入らないと「汚い」と言ってたたみ直したりすると言います。たしかに、家事に一々ダメ出しされるのはイライラしそうです。とはいえ、罵倒して妻を従わせたりするわけではなく、料理も掃除も自らやってくれる様子は、モラハラとまではいかないものと思われます。
佐藤弘道のすごさのわけ!実は挫折と困難の連続だった!
体操のお兄さんとしてテレビの世界に登場し、その存在がすっかりお茶の間に浸透している佐藤弘道。2005年に体操のお兄さんを卒業してからすでに10年以上の月日が流れていますが、芸能界から消えることなく生き残っているのは、タレントとして活躍するだけの実力があったからでしょう。
とはいえ、もともとはタレントを目指していたわけではありません。子供の頃に抱いた夢は、ずばりオリンピック選手!モントリオールオリンピックで体操を観たことをきっかけに、「オリンピックに出場できるような選手になりたい!」と体操を始めたといいます。
佐藤弘道は、多くのアスリートを輩出した名門校である日本体育大学荏原高等学校に進みますが、吊り輪の着地で失敗し、頸椎を損傷。その怪我がもとで、アスリートとしての将来は閉ざされてしまいました。大きな挫折を味わいながらも、なんとか立ち直った佐藤弘道は、スポーツに携わる仕事をしたいと考え、体育の先生を目指して日本体育大学へ進学。
しかし、運命は残酷で、再び抱いた夢も閉ざされてしまいます。焼き鳥屋を営む父にガンが発覚したことから、大学卒業後は、教員の夢も諦めて実家の店を手伝う日々が2年ほど続きました。そんな佐藤弘道の「本当はスポーツに携わる仕事がしたい」という秘めた想いに気づいていた存在が、後に妻となる佐藤久美子です。
「おかあさんといっしょ」の体操のお兄さんのオーディションがあることを知ると、佐藤弘道に受けることを勧めてくれたと言います。そうして迎えた初めての収録の日に、なんと、闘病中だった父が他界してしまいます。深い悲しみと、初めてのテレビ収録の緊張がないまぜになって、佐藤弘道がその日のことはあまり覚えていないそうです。
それでも、一番大変な想いを最初に味わったことで、その後は仕事で辛いことがあっても大変だと思うことはなくなりました。爽やかな笑顔の裏で、度重なる挫折や困難を乗り越えてきた佐藤弘道は、その強さがあったからこそ、現在の姿があるのかもしれません。
先日は、舞台「ライブ・インパクト『進撃の巨人』」のアクロバット演出担当で、会場での点検作業中に転落事故で亡くなった吉野和剛を悼み、「日本の宝が一人いなくなるなんて」とコメントした佐藤弘道。自身も落下事故の経験があるだけに、後輩が事故死したことにやりきれない思いを抱いたことでしょう。数多の挫折や困難を乗り越えてきた佐藤弘道ですから、志半ばで逝った後輩の分もさらなる活躍をし、後進を育てていってほしいですね。