瀬川瑛子と夫・清水武の結婚エピソード!韓国人って本当?

瀬川瑛子と夫・清水武の結婚エピソード!韓国人って本当?

瀬川瑛子とドラマーの夫・清水武との結婚エピソードとは!?

瀬川瑛子が、6歳年下のドラマー清水武と結婚したのは、1999年51歳の時です。実は、瀬川瑛子には離婚経験があるので、再婚ということになります。夫・清水武は、瀬川瑛子のバックバンドでドラムを叩いていました。共通の音楽がきっかけで付き合うようになった2人は、3年間の交際を経て結婚。瀬川瑛子は、結婚式で、ミニのウエディングドレスを着ました。それがかねてからの夢だったようですが、もともとスタイルには自信があった瀬川瑛子。それもそのはずで、若い頃は、演歌歌手でありながら、グラビア写真なども撮っていたそうです。

瀬川瑛子は、独特の天然キャラでも有名ですね。瀬川瑛子の夫・清水武は、あのまったりした話し方と、性格についていけるのかと気になりますが、今でも2人は、「ダーリン」「ハニー」と呼び合っていて、何年たってもラブラブが止まらない状況だとか。瀬川瑛子は、テレビ番組などで夫の清水武について聞かれると、「いろいろなことを協力してくれる」とのろけています。しかし、実際のところは、ゴミの分別だけ?みたいな……。何はともあれ、2人だけの世界には、誰も入り込めないということでしょう。

瀬川瑛子が韓国人だという噂は本当なの!?

瀬川瑛子には、在日韓国人だという噂がありますが、出身は、東京都渋谷区です。瀬川瑛子の父は2004年に亡くなりましたが、紅白にも出場したこともある人気歌手、瀬川伸。瀬川瑛子は、人気歌手だった父から歌心を学んだといいます。もちろん、瀬川瑛子の父が、生粋の日本人だということは間違いありません。ただ、瀬川瑛子の母親は、中国人か韓国人なのでは?という噂があります。母に関しては、父・瀬川伸の大ファンだったということ以外は何も分からないので、真相は当人のみぞ知るところでしょう。

瀬川瑛子の母の出自に関する噂が本当だったとしても、父親は日本人です。父母のどちらかが日本人であれば、日本国籍を取得することはできますし、何にしても、瀬川瑛子は日本で生まれています。そのため、日本国籍だということは、まず間違いないでしょう。

瀬川瑛子「長崎の夜はむらさき」「命くれない」が大ヒット!ものまねのコツは?

瀬川瑛子「長崎の夜はむらさき」「命くれない」大ヒットの記録!

瀬川瑛子がデビューしたのは1967年、18歳の時でした。そして、1970年に、「長崎の夜はむらさき」が、50万枚以上売上の大ヒットとなりました。100万枚以上でミリオンセラー、50万枚以上はハーフミリオンといい、どちらも大ヒットしたことを証明するものですが、これまでのオリコン統計を見ても、演歌で50万枚という大記録はなかなかありません。

瀬川瑛子は、「長崎の夜はむらさき」の後、全く曲が売れない時期が長く続きました。そしてようやく、1986年に発売された曲「命くれない」が、翌年のオリコンシングルチャート年間1位で大ヒットとなった瀬川瑛子は、ミリオンセラーを達成。「命くれない」が大ヒットしたことで、紅白歌合戦の初出場も果たしました。

一途な夫婦の情愛を歌った「命くれない」は、当時の瀬川瑛子にとって、実は、歌うのが辛かったといいます。なぜなら、最初の夫との結婚生活が破綻していた時期で、そんな自分がこの歌を歌っていいのだろうかという思いがあったからです。

瀬川瑛子ものまねのコツを教えて!

瀬川瑛子は、父親から、「ものまねしてもらえるようになったら一流」と、幼いころから言われてきたそうです。その言葉を証明するがごとく、今や、コロッケや栗田貫一など、瀬川瑛子のものまねをするタレントもたくさんいますね。そこで、瀬川瑛子のものまねをするコツを少し紹介してみたいと思います。

瀬川瑛子は、ちょっと鼻にかかった声で、まったり話します。そのため、鼻から息を抜きながら、まったりした口調で言葉を発すると、瀬川瑛子に似てきます。ポイントは、あまりはっきり発音するのではなく、くぐもった感じで。イメージ的にいうと、牛が「もお~~~」と鳴いている感じです。何を言っているかははっきり分からなくても、こうしたコツをおさえるだけで、あなたも、瀬川瑛子になれるかもしれません?!

瀬川瑛子はデビュー50周年!「芸域広げる」ために励まし続けてくれた恩人とは?

瀬川瑛子は、今年でデビュー50周年。デビューしたのは18歳の時でしたが、その歌手人生は、決して平坦な道ではありませんでした。ヒット曲に恵まれず、なかなか売れなかった瀬川瑛子を助けてくれたのが、初めてのヒット曲となった「長崎の夜はむらさき」を作曲した新井利昌です。新井利昌は、いってみれば、瀬川瑛子の育ての親。発声法など、プロとして必要なことは、すべて新井利昌が教えてきました。

瀬川瑛子を声量のある歌手にしたいと思った新井利昌のレッスンは、倒れそうになるほど壮絶なものだったといいます。それでも、瀬川瑛子は、新井利昌の親心が分かっていたのでしょう。期待に応えるように、「長崎の夜はむらさき」は大ヒット。演歌歌手・瀬川瑛子の原点となる第一歩でした。そのあと、「命くれない」など数々の曲が大ヒットとなったのも、新井利昌の支えがあったからです。

瀬川瑛子はいろいろなバラエティ番組にも出演していますが、演歌歌手として、歌謡番組ではなく、バラエティに出演するというのはどうなのかと、非難する人たちも多かったようです。しかし、演歌歌手としての顔と、バラエティ番組で見せる天然キャラ炸裂の瀬川瑛子、そのギャップが芸域を広げるのだからと、瀬川瑛子を励ましてくれたのもまた、新井利昌でした。デビューから50年間、ずっと見守り続けてくれた新井利昌に、瀬川瑛子はこれからも感謝の気持ちを忘れずにいたいと話しています。

瀬川瑛子の歌声、キーの高さは、若い頃と全く変わりません。それは、今でもボイストレーニングを行い、歌うための努力を怠らないからです。瀬川瑛子の歌に対する真摯な姿勢は、これまでお世話になった方々への恩返しでもあり、ファンに対する感謝の気持ちでもあります。これからも、演歌歌手としてますますの活躍を期待するとともに、相変わらずの天然キャラで周りをほんわかとした気分にしてほしいですね。

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