瀬古利彦 嫁、家族の現在は?マラソン解説のトンデモ失言!マラソン成績、プロフィール!

瀬古利彦 息子はマラソンランナー?嫁、家族の現在は?

瀬古利彦 嫁、家族の現在は?マラソンをしていないことは確か

気になる瀬古利彦の嫁、家族の現在はどうなのでしょうか?瀬古利彦は、ロサンゼルスオリンピック後にお見合いをして結婚しました。当時、瀬古利彦のお見合いと結婚には、瀬古利彦の監督だった中村清監督の反対があったとも言われています。

瀬古利彦の嫁は、瀬古美恵さん。初めてのデートをフライデーされました。その後、築き上げられた瀬古利彦の家族は、瀬古利彦の嫁と、瀬古利彦の息子が4人。名前は上から順番に、昴さん、亜士武さん、天哩さん、聖醐さんです。

マラソンランナーやアスリートとして活躍されているとの情報はありませんので、皆さん普通の会社員になっているのかと思われます。

瀬古利彦 息子はマラソンランナー?4人の息子は誰も跡を継がず。

かつての名マラソンランナー・瀬古利彦の息子で三男の瀬古天哩さんは、以前マラソンランナーとして活躍していました。しかし、東海大学入学後にマラソンランナーとしては伸び悩み、選手を引退後、マネージャーに転向したようです。ですので、現在マラソンランナーをしている瀬古利彦の息子はいません。瀬古利彦がかなり優秀なマラソンランナーだっただけに、子供にその才能が引き継がれなかったのは少し残念ですね。

瀬古利彦 マラソン解説のトンデモ失言!マラソン成績、プロフィール!

瀬古利彦 マラソン解説のトンデモ失言!「1区から4区は要らない」!?

2010年の元旦に行われた「東京箱根間往復大学駅伝(通称箱根駅伝)」。箱根駅伝は幾つかの区に分かれているのですが、瀬古利彦は、マラソン解説中に「1区から4区は要らない」とトンデモ失言し問題になりました。

これは、箱根駅伝が、5区の山登りで、それまで後続だった大学が大差をひっくり返し、結局その走りが優勝につながることが多いことに由来します。5区で巻き返した走者に対して“山の神”や“山の魔人”という称号が与えられることは有名ですね。

これに対して、毎年負け続けていた山梨学院大学の上田誠仁監督や、東海大の新居利広監督、上武大の花田勝彦監督たちが、関東学生陸上連盟の会長に対して、23.4キロから2006年以前の20.9キロに戻すよう直訴したという事実があります。

勝った大学の監督が、選手が壊れてしまうからと進言するならまだしも、負けている監督が言うのは正直いかがなものかと、当時のメディアは「負け犬の遠吠え」や「負け惜しみ」「いちゃもん」と手厳しい声が上がっていました。そんな中、テレビ中継で、瀬古利彦が意見を堂々と公言してしまったというのがこのトンデモ失言騒動です。

瀬古利彦は、2009年にも箱根駅伝のマラソン解説をしたのですが、こちらでも失言。出身校である早稲田贔屓を露骨に行い、解説ではなく応援だと世間の批判を浴びています。一方、早稲田を持ちあげ、他の大学の選手が劣っているという解説をすると、その選手が区間賞を取るなど、逆のジンクスができているとして、瀬古利彦に解説して欲しい大学もあるなんて話も。

元トップアスリートとして汚点を残すことを瀬古利彦が2度もしてしまったのは、引退して社会人になったという意識の低さ、現役時代は中村清監督に衣食住全て面倒を見てもらっていた箱入り息子状態が抜けていないというのを如実に表してしまった事件でもあります。2015年のマラソン解説には、早稲田が不調だったため、瀬古利彦の解説は例年より静かだったとの感想が多く見受けられました。

瀬古利彦 マラソン成績、プロフィール!メダルには手が届かなくとも戦績は名選手!

マラソン解説ではトンデモ失言がある瀬古利彦ですが、マラソンの成績とプロフィールは素晴らしいもの。しかし、幾つか変わった面がやはり出ていました。まず瀬古利彦のプロフィールですが、1956年7月15日生まれの59歳で、三重県桑名市出身。身長170cm、体重62kg。

1970年代から1980年代に掛けて宗兄弟や中村竹通らと共に、日本の長距離界を牽引していた存在です。中学時代に、市の陸上大会2000メートル競走で優勝し、県大会でも三重県新記録で優勝。当初、野球で甲子園を目指していた瀬古利彦は、そこで陸上に興味を持ち、陸上の強豪校である四日市工業高校へ進学します。高校一年の山形インターハイでは800mで3位に入賞。

高校2年の時には、三重インターハイで800mと1500mで優勝。千葉国体では1500m、5000mで優勝し、瀬古利彦は陸上界で次第にスポットを浴びていきます。高校三年の時も800mと1500mで優勝し、2年連続2冠を達成。当初、箱根駅伝最多優勝・最多出場を誇る中央大学への入学が決まりかけたものの、早稲田大学のOBからの勧誘で、早稲田大学の一般入試を受験。

今まで陸上一筋の瀬古利彦が、早稲田大学に受かるはずもなく不合格になりました。が、ここで驚きの行動へ出ます。早稲田に入れないのならと、いきなり南カルフォルニア大学へ在籍し「浪人生活」をしたのです。そして翌年、早稲田大学教育学部に見事合格。このことから、瀬古利彦の早稲田贔屓ができ上がってしまったのかもしれません。

大学入学後は、4年連続で「花の2区」を走り、3、4年生の時に連続して区間新記録を打ち立てます。早稲田大学競走部の中村清監督の元で才能を開花させた瀬古利彦。2年生の時に行われた福岡国際マラソンで、日本人最高の5位入賞を果たし、一躍次世代ホープとして脚光を浴びることに。

3年生のときには、同大会で日本人としては8年振りの優勝を果たした瀬古利彦。当然、世界を視野に入れた活動をして行きます。大学卒業後は、中村清監督と共に、ヱスビー食品に入社。

注目される中オリンピック代表に選ばれるも、メダル獲得はなりませんでした。しかし、生涯成績15戦10勝という素晴らしいマラソン成績を残し引退しました。引退後は、ヱスビーに残った後、2013年からDeNARunning Clubの総監督を務めています。

瀬古利彦の今後は!?ここまで来たら曲げずに面白解説をし続けていて欲しい。

2015年8月22日に始まった世界陸上北京大会の男子マラソンで、日本伝統が惨敗で途切れると言う散々な幕開けは記憶に新しいところです。この結果について、瀬古利彦は、このままでは来年のリオデジャネイロ五輪はおろか、5年後の東京五輪も手遅れになると発言したことが話題になりました。

瀬古利彦の今後としては、このまま面白解説をし続けて欲しいものです。とにかく話題でマラソンに目が向けば、人気が上がってくるかもしれません。ただ、残念なことに名選手は必ずしも名監督ではないようで、DeNAから目立った選手は出てきていません。

今後はこれ以上晩節を汚さないように、面白解説で日本のマラソンを盛り上げてほしいと思います。現役時代は間違いなく名選手でした。しかし引退後が本当に残念で、今回の世界陸上北京大会での発言も、自身がチームを率いている総監督とは思えない他人事のようなコメント。

しかし、瀬古利彦の存在は面白く、反面教師としての素質あり!瀬古利彦は中村清監督あってこその一流選手でした。当時は、結婚に関しても中村清監督主導で公募という前代未聞の方法を取ろうとしたのです。さすがにそれには反発し、それ以前から独り立ちしたいとしていた瀬古利彦は、お見合いで結婚を決めました。

そこで人としても独り立ちできれば……引退後も変わったのでは、と思わずにはいられません。本当に残念なことですが、徹底して管理され続け、自らの意思は走ることしか持てなかった選手の悲しい性なのでしょう。
瀬古利彦は、間違いなくマラソンの名選手で、一時代を牽引した選手でした。人間・瀬古利彦の今後がどうなるかも注目したいですね。

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