瀬戸内寂聴「恋の醍醐味は不倫ですよ!」で暴露された泥沼不倫経験!

瀬戸内寂聴が語る「恋の醍醐味は不倫ですよ!」は自身の体験談だった?

作家・瀬戸内寂聴が書き下ろした掌編小説「さよならの秋」が話題になっています。集英社の『すばる』11月号に掲載されたこの作品は、安保保障関連法案に対する抗議活動で注目を浴びた学生団体「SEALDs」を題材としたもの。

「デモった」「なくなっちゃう!」などの今時若者言葉を見事に使いこなし、その出来栄えは20代の新人作家の作品と言われても全く違和感がありません。しかし、いくら作家とはいえ御年93歳!の瀬戸内寂聴、どうしてこんなにも若々しい感性を保つことができるのでしょうか?

実は、51歳で出家した瀬戸内寂聴には、波乱万丈の過去がありました。1943年、東京女子大学在学中に21歳でお見合い結婚した瀬戸内寂聴は、翌年に長女を出産。その後、夫の教え子だった年下青年と恋に落ちてしまいます。そしてあろうことか、瀬戸内寂聴は、夫と三歳の娘を捨てて、京都に住んでいた年下青年の元に走ってしまうのです。作家・瀬戸内寂聴にとって恋愛は創作のエネルギー!「恋の醍醐味は不倫ですよ!」とは、まさに自身の体験が語らせた言葉なのですね!

瀬戸内寂聴が小説で暴露した自身の泥沼不倫経験とは?

瀬戸内寂聴の、夫と幼い娘まで捨てた年下青年との命がけの恋。しかし、蜜月は長くは続きませんでした。二人の関係は破綻し、夫とも正式に離婚した瀬戸内寂聴は、小説家を目指して上京。出版社に勤めながら三谷晴美、三谷佐和子のペンネームで書いた少女小説や童話などが雑誌に掲載され、小説家として本格的に活動を開始します。

ところが、1956年に新潮同人文学賞受賞後に発表した『花芯』が、ポルノ小説との批判を受け、「子宮作家」との汚名を着せられて、瀬戸内寂聴は、文芸作品の執筆ができなくなってしまいます。しかし、瀬戸内寂聴の恋愛小説に賭ける情熱は、冷めるどころか勢いを増して燃え上がります。

大衆雑誌や週刊誌などに作品を掲載しながら、瀬戸内寂聴自身も妻子ある男性との恋愛に身を任せる日々。そして1963年、自らの泥沼不倫経験を描いた恋愛小説『夏の終わり』で見事、女流文学賞を受賞!この作品は2013年に満島ひかり主演で映画化もされています。

瀬戸内寂聴の名言ベスト5!感想

瀬戸内寂聴の名言集「人生とは、出逢いと縁と別れ」

瀬戸内寂聴は、その豊富な人間関係から、多くの名言を紡いできました。人の出逢いと別れについては、「どんなに好きでも最後は別れるんです。どちらかが先に死にます。人に逢うということは、必ず別れるということです。別れるために逢うんです。だから逢った人が大切なのです」。「人生とは出会いと縁と別れです。出会ってから別れるまでの間に、嬉しいことや悲しいことがあって、それを無事に超えていくことが生きるということなのです」。

瀬戸内寂聴が言うように、人生は出逢いと別れの繰り返し。だからこそ、出会えたことが奇跡。だからこそ、出逢えたことに、縁(えにし)に感謝する気持ちを持たなければならないのでしょう。しかしながら、人には常に「感情」という厄介な業が付いて回ります。これをコントロールするのは至難の業です。言うは易し行うは難し、ですね。

瀬戸内寂聴の名言集「人は何のために生きるのか」

瀬戸内寂聴は、人の命について、このような名言を放っています。「人間は生まれた時から一人で生まれ、死ぬ時も一人で死んでいきます。孤独は人間の本性なのです。だからこそ、人は他の人を求め、愛し、肌であたため合いたいのです」。

「お子さんに『何のために生きるの?』と聞かれたら、『誰かを幸せにするために生きるのよ』と答えてあげて下さい」。「あなたはたった一つの尊い命を持ってこの世に生まれた、大切な存在です」。

父が亡くなった時に、一筋の涙がこぼれたことが未だに目に焼き付いて離れません。人は一人泣きながら生まれ、最期は一人泣きながら死んでいきます。永遠の命なんてない。だから、生まれ落ちた全ての命が愛しく尊いのだと、瀬戸内寂聴は言っているのではないでしょうか。

瀬戸内寂聴の「日にち薬(ひにちぐすり)」で癒された波乱万丈の人生

瀬戸内寂聴は「牢屋に入ること以外、全てを遣り尽くした!」と豪語しています。しかし、人生で一つだけ今もって後悔していることが。それは、瀬戸内寂聴が若き日に、娘を捨てて、若い男の元に走ったこと。夫のDVがあったとはいえ、いかなる理由を以てしても「娘を捨てた」という事実に変わりはありません。

今でも不倫と言えば、世間からすさまじいバッシングを受けて当然ですし、70年前なら尚更のこと。この不倫に、瀬戸内寂聴の実父は激怒!瀬戸内寂聴を絶縁しました。瀬戸内寂聴が51歳で出家したのも、娘さんとのことを含め、それまでの人生をリセットしたいという気持ちがあったのはないでしょうか。

幸い、出家後に、瀬戸内寂聴と実父とは和解したそうです。瀬戸内寂聴は「最近、酒を呑む仕草が父に似てきた。あの世に行ったら、今まで付き合ったどの男より先に父に逢いに行き、お酒を酌み交わしたい」と語っています。瀬戸内寂聴の娘さんも随分と苦しんだと思いますが、長い年月を経て、今ではお互いの家を行ったり来たりと交流があるようです。

瀬戸内寂聴が庵を構える京都には、「日にち薬」ということばがあります。「時間」というものは薬と同様、身体の傷を治してくれるだけでなく、心に棲みついたわだかまりも少しずつ解かしてくれるとでも言うことでしょうか。

瀬戸内寂聴の講演会で、一人の司会者が「寂聴さんには『元気』という御病気があるそうですが、その病気がますます重症になるように祈っております」と場を締めくくって、会場から拍手喝采を受けたそうです。これほど頼もしい病気は他にはありません。寂聴さん、これからもっともっと「元気」のパワーを全国の皆さんに分け与えてくださいね!ご活躍お祈りしております!

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