島田洋七の嘘を島田紳助が暴露!「佐賀のがばいばあちゃん」は金儲け本!?
島田洋七は嘘つき?島田紳助の暴露とは?
島田洋七は、島田紳助やビートたけしらと1980年代の漫才ブームをけん引した漫才師です。島田洋八と「B&B」というコンビを組んでいた島田洋七は、当時の新しいスタイルだった、早口でまくしたてるしゃべくり漫才と、「もみじまんじゅう」というギャグで、一世を風靡しました。
島田洋七にまつわるエピソードには、真偽が疑わしいものも多々あります。島田洋七は、話の最中にヒートアップしてくると、話を盛り上げるために、事実と冗談の境目をなくしてしまうため、経歴すら事実でないこともあるのだとか。そんな島田洋七を、かの島田紳助は、「人生が変わる1分間の深イイ話」で、「がばいばあちゃんは実在していなかった!」などとイジリ、島田洋七を嘘つきキャラとして扱っていました。
島田洋七「佐賀のがばいばあちゃん」は金儲けの本だった?
島田洋七は広島県生まれですが、幼くして父親を亡くすなどして、6歳から、佐賀県の祖母の家に預けられていました。この佐賀県での祖母とのエピソードが、著書「佐賀のがばいばあちゃん」として出版され、日本中に「がばい旋風」を巻き起こすほどの大ヒットを記録。貧しさにも負けず、お金や物はなくとも、心の持ちようで豊かに日々を過ごす、がばいばあちゃんの生き様や、名言は、多くの人の胸を打ちました。
しかし、度重なる続編の出版など、あまりにもネタにし過ぎたために、島田洋七の「佐賀のがばいばあちゃん」で語られているエピソードの大半は、金儲けのための作り話なのではないかとみる人も少なくありません。
島田洋七は竜雷太に騙された?ビートたけしとの友情は厚かった!
島田洋七を竜雷太が騙した?土地トラブルで裁判沙汰の気になる詳細とは
島田洋七と俳優の竜雷太は、土地の売買を巡って、裁判沙汰のトラブルを起こしたことがあります。1990年に、竜雷太に紹介された土地を購入した島田洋七。静岡県の東伊豆に民宿を開業する目的で、800坪の土地を購入しましたが、そこは、温泉どころか、なんと水道も引けないような土地だったのです。
島田洋七は、「竜雷太に騙された」とワイドショーで発言。竜雷太も応戦する形で、2人のバトルはヒートアップし、とうとう、島田洋七と竜雷太は、法廷で争うことに。結果は島田洋七が勝訴しましたが、賠償された金額は、請求額の4900万円には遠く及ばないもので、島田洋七には、借金だけが残る形となってしまいました。
島田洋七とビートたけしの友情秘話
島田洋七とビートたけしは、ともに1980年代の漫才ブームの火付け役となった人物です。当時、横山やすしに紹介されて知り合った2人は、その頃から現在に至るまで大の仲良し。漫才ブームの終焉とともに、テレビから消え去った島田洋七とは対照的に、タレントとしての才能を開花させたビートたけしは、仕事のない島田洋七を出演番組に呼んだり、飲みに誘ったり、一時は、島田洋七の生活も支えていたと言うほど。
「がばい旋風」を巻き起こして業界に復帰した島田洋七ですが、祖母とのエピソードを本にして出版すべきだと助言したのもビートたけしだったそうです。島田洋七の「がばいばあちゃん」を世に送り出したのは、ビートたけしの功績といっても過言ではありません。
島田洋七はすごい人だった!しゃべって登りつめた芸能界
島田洋七の絶頂期の1カ月の月収は、なんと8400万円!漫才1本(40分~50分)で、1000万円のギャラを手にしたこともあるというエピソードからも、いかに凄まじい人気であったかがうかがえます。島田紳助も、ビートたけしも参考にしたというB&Bの漫才は、日本で初めてのお笑い芸人ブームを生み出しました。
テレビ番組の司会を、お笑い芸人が務めることは、現代では当たり前ですが、全国ネットのテレビ番組に、司会者として出演したお笑い芸人は、島田洋七のB&Bが史上初。漫才ブームの終焉とともに、島田洋七は一度は消えてしまうものの、「がばいばあちゃん」で再ブレイク。
シリーズ本は、累計で1000万冊以上を売り上げ、「がばいばあちゃん」をテーマにしゃべり倒す、島田洋七の講演会も大盛況。この「がばいばあちゃん」は、島田洋七がしゃべった内容を録音したものを、ライターさんに文章に起こしてもらっているといいます。
しゃべりが盛り上がってくると、現実と作り話の境目がなくなるという島田洋七の特徴からすると、「がばいばあちゃんは作り話」という噂も、信憑性を増してしまうようですね。引っ張りだこの講演会などで酷使したのどに病気が見つかってからは、活動をセーブしているという島田洋七ですが、島田洋八と、「B&B」として、また漫才をしたいとも語っています。