志茂田景樹Twitterの人生相談がスゴイ!もはや達観の域と話題に!
志茂田景樹Twitterの人生相談がスゴイ!始まりは自身が発する問いかけだった
志茂田景樹といえば、独特のファッションセンスを持ち、1980年に「黄色い牙」で直木賞を受賞している作家。現在は、小説家やタレントとして活動している他に、絵本作家としての活動も行い、1998年からは、全国で、子供たちへの読み聞かせも行っています。そんな志茂田景樹は、Twitterで、ユーザーから寄せられるさまざまな人生相談に答えてきました。その志茂田景樹の回答内容に、感銘を受ける人が続出しています。
志茂田景樹がTwitterアカウントを開設したのは、2010年4月で、現在のフォロワー数は20万人超え。もともと人生相談をする目的で開設したわけではなく、「不安とか悩みとか、あるいは喜びでもいいし、そういう誰もが漠然と思っていることを分かりやすい文章にして問いかけてみようかなと思ったのがきっかけ」とのこと。
すると、志茂田景樹のつぶやきに感想を返してくれる人が現れ、一緒に質問もついてくることが多かったため、「あら、じゃあ答えなきゃいけないかなとそれに答えているうちに、質問だけ送ってくる人が増えた」という事情でした。
職場の人間関係、親子関係、就活、恋愛など、志茂田景樹への人生相談の内容は多岐にわたりますが、移動時間などの空いた時間に、スマホを使って答えているそうです。少ないときで1日に3~4問、多いときでは10問ほどの人生相談に答えています。
志茂田景樹Twitterは達観の域と話題に!相談者の質問の本質を見抜き真正面から答える!
志茂田景樹のつぶやきは、「心にしみる」「人生を達観している」と評判で、フォロワーからは、これらのツイートを本としてまとめて欲しいという要望も出るほど。そこで、実際にいくつかそのつぶやきを見てみましょう。
人から信用されないとなげく人には、「ないものねだりをしないで、ひたすら努力して自分を磨く。気がつくと人がいつも寄ってくる。磨かれた自分が放っているものが信用なのだよ」。信用の有無をなげく前に、できることがあると諭します。
「そっか、今日は反省することのみ多かったんだ。よかったじゃないか。反省の裏にくっついているのは実りなんだもの。でもね、眠る前に1つだけはっきり反省して答えを出しておこうか。それだけで明日の実りは凄いことになるんだ」には、反省する行為を讃えつつも、誰にでもできそうなワンポイントが加えられています。
「成功するのにたいした秘訣はない。他の人が理屈をこねている間に、さっさと粉をこねればいいだけのことである。理屈をこねても時間の無駄になるだけだが、粉をこねれば団子になる。理屈をこねる人を見ていると、やらない言い訳を探していることが多い」。……成功しないのはやっていないだけとは何やら耳が痛くなる言葉ですが、粉をこねるという表現によって、敷居が下がる印象もありますよね。
人生相談に答えるに際して、志茂田景樹は、相談者がどのような答えを欲しがっているのかを考え、相手のことを想像しながら、無駄を省いて答えるそうです。「多くの質問の本質は1行です」と語る志茂田景樹は、今の若者の特徴を、「ちょっとしたことも内側に抱えてしまう」「ちょっとした悩みをおおげさにしたり複雑にしたりしている部分がある」と指摘。だからこそ、ただ叱責するだけでなく、その「ちょっとしたこと」にきちんと答えるようにしているといいます。
「自分の中で回答が出ている人も多いと思うので、ちょっと背中を押してあげる」「100%は否定しないようにしています」という、温かさと厳しさを兼ね備えた志茂田景樹の回答は、彼が人生経験から得た知恵とともに、多くの人の心を解きほぐし、背中をやさしく押してもいるのでしょう。
志茂田景樹がりゅうちぇるに寄せる期待!問題作「折伏鬼」の内容とは?
志茂田景樹がりゅうちぇるに寄せる期待!「僕の無念をはらしてほしい」
志茂田景樹の奇抜なファッションセンスを彷彿とさせる男性モデルが、現在人気を集めています。彼の名前は、りゅうちぇる。大きくカールした前髪と、ヘアバンド、カラフルなコーディネートに、独特なコメントやリアクションが特徴で、りゅうちぇる自身も、志茂田景樹を意識している様子です。都内で行われたイベントで、ライバルは誰か聞かれたりゅうちぇるは、「志茂田景樹さん以外、思い浮かばないですね」と答えています。
そんなりゅうちぇるに、2016年6月6日、志茂田景樹からつぶやきが届きました。内容は、「りゅうちぇる君にはずっと注目している」「リスペクトと羨望に包まれて確立しつつある」というもの。「僕のファッションは大人たちの嘲笑に包まれて誕生し、若い世代はビビってついてこられなかった」として、「ぜひ年若い世代のファッション革命の先駆けとなり、僕の無念をはらしてほしい」と期待を寄せています。
ライバルで、憧れの人・志茂田景樹から評価と励ましを受けたりゅうちぇるは、「なんて嬉しいお言葉」「僕もいつまでも自分の個性を堂々と表現できるような人でいられるように頑張りますううう~~」と、決意を新たにしていました。
そんな2人は、共演した「パイセンTV」で、「お互いの服をスペシャルコーディネート」というテーマのもと、お互いのために服を選んでいます。りゅうちぇるが真剣な面持ちで選ぶ一方、志茂田景樹も、真剣な面持ちでりゅうちぇるのためにミニスカートを選んでいました。
志茂田景樹の問題作「折伏鬼」の内容とは?「幻の作品」が電子書籍で復刊!
志茂田景樹には、絶版になった問題作があります。直木賞受賞直後に出版した、自伝的な中編小説集で、1980年に発表されるも「幻の作品」となっていました。それが近年、電子書籍として復刊しています。
問題の小説は「折伏鬼」。物語は、1953年の夏、1人の少年が、道で見知らぬ中年女性に声をかけられるところから始まります。新興宗教団体(聖護道会)の集会に連れて行かれ、聖護道会の2代会長・多田皓聖に「いつか入信することになる」と予言された少年は、その10年後、まさにその巨大化した組織の中にいました。
多田皓聖はすでに亡くなり、教団では、河田大介が3代会長に就任。教団の方針に従って激しい活動を行う青年ですが、その過程で、少年の頃に魅力を感じていた多田皓聖が、青年部を動員して「狸祭り」を行っていた過去を知り、激しい拒絶反応を起こします。青年は、教団に対する大きな疑惑を抱き始め、答えを求めて、教団内部の事情を探り始めました。その後、青年の中では一応の結論は出たものの、依然として多田皓聖の「変貌」に謎は残ったまま。疑念と失望を抱え、教団を去るのでした。
この「折伏鬼」は、ある宗教団体がモデルとなっていて、志茂田景樹自身も、昭和38年に入信し、青年部で活動していました。「折伏」とは、相手を論破して正法に導くという意味の仏教用語で、当時は、かなり攻撃的・暴力的に実践していたといいます。志茂田景樹が団体を離れたのは、入信から2年後の昭和40年のことでした。
志茂田景樹は、団体が「軍隊的な組織」だったと振り返ります。肥大化して海外進出をもくろみ、政治にも入り込んでいった時代。志茂田景樹も、青年部の一員として、対立候補の選挙ポスターを燃やしてしまうなどの公職選挙法違反を犯したことがある他、「街中で寺を見つけると、お坊さんに法論をふっかけたり」したとか。
「折伏鬼」復刊に際してのインタビューでは、退会後もその経験を引きずっていたため、「区切りをつける意味もあってこの本を書いた」という側面を明かしています。
志茂田景樹ががん闘病中の小林麻央のブログに涙した
志茂田景樹のブログが、2016年9月22日に更新されました。9月1日にブログを開設した小林麻央の投稿内容を受けての更新です。小林麻央がブログを開設したのは、医師から「がんの陰に隠れないで」と言われたことがきっかけで、それ以降、がんが発覚するまでのこと、がんを告知されたときのことなどを、隠さずに淡々と綴っています。そんな中、20日付の投稿では、小林麻央のがんが、リンパ節や肺、骨にまで転移していることが分かりました。
志茂田景樹は、22日の自身のブログの中で、小林麻央が自分のがんについて語る姿勢を、「打ちひしがれるでもなく、感情的にもならず、自分の置かれた状況をしっかり見据えている」として、「その前を向いた心の姿勢に打たれ 涙をこらえることができなかった」と語っています。
「たとえ端くれでも作家だから解る。現実をただ受け入れただけではこんな文章は書けない。大変困難なところを乗り越えないと、精神は、この文章を書くのに耐えられないだろう」と、小林麻央の心中を慮り、その精神力の強さに胸を打たれたようでした。
がん闘病中の小林麻央が綴るブログに対して、ただ「つらいでしょう」とか、「がんばってください」と表層的なコメントをするのではない志茂田景樹。小林麻央の「姿勢」に共感し、感銘を受けて、「小林さんの症状の改善を心から祈る」という言葉からは、深い愛情と尊敬の気持ちが伝わってきます。こうした深く繊細な心の有りようがあるからこそ、志茂田景樹は、Twitterで、多くの人々の心を動か続けているのでしょう。