辛坊治郎がキャスターとして開花したきっかけ!学歴やプロフィールは?
辛坊治郎は宮根誠司と共にやしきたかじんに見出された元読売テレビのアナウンサーだった
大阪という街は、たとえアナウンサーであっても、自分の個性を主張しないと生き残れません。上昇志向が強く、芸人とも互角に張り合う個性を持ったアナウンサーの典型が、朝日放送出身の宮根誠司でしょう。
しかし、そういった思いを心に秘めながら、より高めな場所を狙っていそうなのが、読売テレビ出身の辛坊治郎です。奇しくもこの2人は、浪花の暴れん坊こと、やしきたかじんにそろって見出されました。
辛坊治郎が埼玉県の上級職と住友商事を蹴って読売テレビに入った理由
辛坊治郎は、1956年生まれの60歳。1980年に早稲田大学を卒業した辛坊治郎は、埼玉県の上級公務員試験に受かった他、住友商事、読売テレビ放送の内定を得ていましたが、始業時間が10時と遅かったのを理由に読売テレビを選んだと、後に語っています。しかし、それは嘘で、やはりマスコミに興味があったからでしょう。
当時、日本テレビでは「ズームイン!!朝!」が人気で、系列各局の新人アナウンサーの登竜門となっていました。「ズームイン!!朝!」をそつなくこなした辛坊治郎は、関西の朝の顔となっていきます。そして1985年、徳光和夫の代理キャスターを務めていた8月12日に、日本航空123便墜落事故に遭遇した辛坊治郎。見事に徳光和夫の代役を果たしたことで、一挙に全国区で名を知られ、1990年以降は、読売テレビにおける報道キャスターを長く務めることになります。
そのままであれば、辛坊治郎は一ローカル局の報道局幹部止まりだったでしょうが、2003年より、やしきたかじんによる「たかじんのそこまで言って委員会」がスタート。司会として、庶民の側に立った辛坊治郎のナチュナルな政治批判(彼の本心かは分かりませんが)に注目が集まります。2010年、読売テレビを退職の際は、大阪府知事や市長選挙への出馬が大きく取り沙汰されますが、辛坊治郎は動かず、フリーとしての活動を始めました。
辛坊治郎がヨット遭難事故の真相を公開!結婚した嫁や子供は?
辛坊治郎が死を覚悟したヨット遭難事件の真相
辛坊治郎は、2013年、福島県いわき市小名浜港からアメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴまでを走破する「ブラインドセーリング」プロジェクトを立ち上げました。パートナーは、東日本大震災の時に知り合って意気投合したブラインドセーラーの岩本光弘です。6月16日に、福島小名浜港から太平洋横断に向けて出港します。
しかし、出港まもない6月21日朝、宮城県金華山沖で、マッコウクジラと思われる物体と衝突して、船体が浸水。海上保安庁に救助要請をした後、ヨットを放棄して救命ボートで避難しました。そして10時間近く漂流の後、海上保安庁の救助要請を受けた海上自衛隊の救難艇により救助されました。
普段は何かにつけシニカルな物言いが多いものの、さすがにこの時ばかりは、「この国の国民であって良かったなと思いました」と涙ながらに語っていた辛坊治郎。しばらくは、計画自体に問題がなかったかや、出身放送局のキー局によるチャリティイベント「24時間テレビ」との関係性などが取り沙汰されます。そのため、辛坊治郎は活動を自粛。ジャーナリストとしての自覚に対する批判の嵐も、やがて収まりました。
辛坊治郎の嫁と子供3人ごく普通の家族生活
辛坊治郎は、美人だと評判の嫁との間に、もう20歳前後になる息子2人と娘が1人います。件のヨット遭難事故の前、太平洋横断を掲げた「ブラインドセーリング」プロジェクト開始を宣言したときには、「気持ちの上では一丸の理解者でありたい」というコメントを発表しているあたり、嫁は、なかなか肝の座ったしっかり者の様子。思春期真っ盛りと思われる子供たちの様子はあまり漏れ伝わってきませんが、辛坊治郎は、どうやら家庭の中では、ごくごく普通の父親として振る舞い、また、家族もまたそう思っているようです。
辛坊治郎が大阪で政界をめざすためのもう1つのハードル
やしきたかじんの要請によって、2014年9月に、読売テレビ「たかじんのなんでも言って委員会」に復帰した辛坊治郎。やしきたかじん亡き後は、「そこまで言って委員会NP」を引き継ぎ、過激な左右両派の論客の間に立って、庶民的スタンスを装いながら、ますます辛口でシニカルな司会を繰り広げています。また、大阪で選挙がある時は、必ずその出馬が取り沙汰されますが、どうやら本人もその気は常にあるようです。
読売テレビを退社した翌年には、自身が住んでいる大阪府郊外の枚方市の市議選に出て、「地方自治を実体験して本を書いてやろう」と目論んでいたとか。ところが、その年の4月からスタートした、読売テレビの早朝番組「朝生ワイド す・またん!」が好評で、出るタイミングを逸したようです。
このように、自ら立ち上げたシンクタンクの会社に所属し、フリーのキャスターを名乗っているものの、辛坊治郎という男は、今なお出身局の仕事を多くこなしています。また、関西の大学で非常勤や客員教授を務めているあたりは、なかなか利にさとく手堅いところがあるようです。辛坊治郎が、もし本当に大阪で政治を目指すのであれば、その小賢しさをもう少し捨てないといけないかもしれません。そやないと、大阪のおっちゃんやおばはんは意外にシビアややで。辛坊ちゃん。