角淳一は関西で人気ベテランアナウンサー!「大人の駄菓子屋」とは?
角淳一は標準語を話さない大阪弁キャラで役員待遇アナウンサーまで出世
近くに大阪の人がいたら、聞いてみてください。「アナウンサーやった角淳一(すみじゅんいち)って、人気なん?」。大抵の大阪人は、「(笑い)!角淳一?!人気あるちゅーたらあるけど……なんでまた」というような答えが返ってくるのではないでしょうか。
角淳一は、1944年生まれ。1968年に、TBSの系列局にあたる大阪の毎日放送のアナウンサーとして入局しました。以後はアナウンサー一筋で、主幹・役員待遇ラジオテレビ副本部長職まで上り詰め、2004年、毎日放送を退職しています。しかし、平日午後の生情報番組「ちちんぷいぷい」があったため、番組を卒業する2011年まで、同番組のパーソナリティを続けました。
ラジオで活躍した後に人気アナウンサーとなっていった朝日放送の道上洋三(どうじょうようぞう)とよく比較される角淳一ですが、彼もまた、若い頃は、人気ラジオ番組「ヤングタウン」で人気を集めます。角淳一は、笑福亭鶴光のアシスタントを務めたことで、本来は生真面目な性格であるものの、笑いのセンスがあり、独特の可笑しみを持っていることが発覚。以後、アナウンサーにはめずらしく、まったりとした大阪弁で仕事をすることが当たり前に。
これが、「ちちんぷいぷい」のパーソナリティ起用につながります。同じ大阪弁であっても、朝日放送の道上洋三が、関西イントネーションの標準語で語るのに対して、角淳一は、大阪弁そのものです。この違いが、視聴者との距離をより縮めたばかりか、得てして大阪人は、角淳一を芸人と同列にみてしまうところがあるようです。
角淳一が毎日放送一大メディアミックスプロジェクト「大人の駄菓子屋」のキャラクターに
「ちちんぷいぷい」を卒業後は、毎日放送との専属契約も解消され、フリーアナウンサーに転身した角淳一。最近では、毎日放送による、テレビ、ラジオ、イベント、コラム、商品開発・販売などをメディアミックスしたプロジェクト「大人の駄菓子屋」の顔、というよりキャラクターとして、各メディアに出演しています。
自らも新しい駄菓子などの商品開発に、今も意気軒昂です。その他にも、2014年には、著書「私は、角淳一です」を発売したり、イベントや講演会に飛び回ったりと、関西圏を中心に、今なお忙しく活躍しています。
角淳一が渡辺謙の不倫の手引き!?自宅の場所や家族は?
角淳一がホステス同伴で渡辺謙にふぐをおごったばっかりに?!
角淳一が、最近、とんだ不倫騒動に巻き込まれてしまいました。今やハリウッド俳優となった渡辺謙の、大阪北新地のホステスとの不倫疑惑です。角淳一は、小柄であまり風采の上がらないタイプと言えます。しかし、その人懐っこい笑顔と優しい大阪弁が相手を魅了するだけでなく、熱狂的な阪神ファンであることから、虎キチの著名人や有名人との付き合いが数多いようで、渡辺謙もまたその1人でした。
2013年はじめに、渡辺謙が大阪を訪れた時のことです。角淳一は、自身が通う北新地の高級クラブの売れっ子ホステス2人を同伴して、4人でふぐ料理を食べに行きました。その内の1人のホステスを、渡辺謙がたいそう気に入り、その後不倫関係となったとか。
「週刊文春」の突撃取材を受けた角淳一は、渡辺謙の不倫について、「おたくの記事でしか知らないんですわ。こっちが逆に聞きたいくらい。びっくりしましたよ」と、いつもの大阪弁で目を白黒。北新地で人気の太客・角淳一は、どうやら、お金を使ってくれる、いいお客止まりだったようです。
角淳一は家庭では一サラリーマンの夫!一戸建ての家に女房と息子ひとり
角淳一は、家庭においては、テレビ番組鑑賞を趣味とし、阪神の試合結果に一喜一憂する一サラリーマンの夫にすぎませんでした。出身地である大阪北摂の街に一戸建ての家を構えられたのも、脳梗塞を患いながらも「ちちんぷいぷい」のレギュラーを務めあげられたのも、しっかり者の奥さんが居てこそ。一人息子も、すでに自立しているようです。今回の不倫騒動では、とんだとばっちりながら、奥さんに、きつくお灸をすえられたことでしょう。
角淳一がやっと明かした共演NGの大物芸人はあの明石家さんま!
明石家さんまにとって、毎日放送は、自分を育ててくれたホームグラウンドのような放送局です。1990年にスタートした深夜のバラエティ番組「痛快!明石家電視台」と、1992年からの人気ラジオ番組「ヤングタウン」は、ともに明石家さんまがパーソナリティを務める長寿番組。明石家さんまが東京に進出してからも、本人の意志で、義理堅くずっと続いています。
その毎日放送のアナウンサーでありながら、これまで頑なに、明石家さんまとの共演を拒否してきたのが、何を隠そう角淳一でした。その謎が、2017年5月7日の、毎日放送開局65周年記念番組「実際どうなん!?大阪のテレビ」で、明石家さんまと角淳一が初共演したことから明かされました。
実はこの共演ならぬ競演は、ある会社の40周年イベントで、角淳一が司会、明石家さんまがゲストだったことから実現したと言います。角淳一が言うには、決して明石家さんまが嫌いなわけではないようです。かつて、角淳一は、明石家さんまより先に、笑福亭鶴光と一緒に「ヤングタウン」のパーソナリティを務め、人気がありました。
しかし、「田んぼに田んぼうなぎっておんねん」という話題だけで10分もたせる明石家さんまのトークを聞き、「これはもう自分の時代は終わった」と思ったという角淳一。とてもじゃないが共演などできないと、以来、頑なに共演をNGしてきたと告白しました。……考えてみれば、一アナウンサーが、売れっ子芸人と笑いのセンスを比較すること自体おかしな話です。こんなところにも、角淳一の妙な可笑しみが滲み出ていると同時に、この理由に、さまもありなんと納得する大阪人というのも十分けったいな人種と言えます。