2019年6月11日 更新
聖徳太子は教科書でもお馴染み、飛鳥時代に活躍した皇族・政治家です。年代によっては、聖徳太子と聞くとお札のイメージが真っ先に浮かぶ人も多いことでしょう。有名なのは五千円札と一万円札ですが、聖徳太子が初めて肖像に使われたのは百円札で、累計すると7回も複数種類の紙幣に使われています。
日本ではその名を知らない人がいない「聖徳太子」ですが、実はこの呼び名はあくまで通称、後世の送り名であり、正式な名称は別にあります。
推古天皇の指導の元、蘇我馬子とタッグを組んで共に政治をおこなった聖徳太子。遣隋使派遣など、進んでいる中国の文化を積極的に学び、「冠位十二階」や「十七条憲法」を定めるなど、天皇・王族を中心とした中央集権国家体制の確立を図りました。その他、仏教を取り入れ、神道とともに厚く信仰し興隆に努めたと言い伝えられています。
ただ、そんな聖徳太子、教科書からは徐々にその名前が消えつつあるらしい…という話を聞いたことはありますか?
聖徳太子が成し遂げてきた政治や、その名が知れわたることとなった功績の数々を振り返っていきましょう。
本名は?「聖徳太子」は通称だった
厩戸前(馬の寝床)で出生したために厩戸(うまやど)と命名された伝説が一般的に伝えられています。その他、別名・豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)、上宮王(かみつみやおう)なども存在。豊聡耳は、聖徳太子が10人の話すことを一度に聴きとることができたという有名な伝説から名付けられたものです。
「聖徳太子伝私記」の中で引用されている「法起寺塔露盤銘(ほうきじとうろばんめい)」には「上宮太子聖徳皇(じょうぐうたいししょうとくこう)」、「古事記」には「上宮之厩戸豊聡耳命(うえつみやのうまやとのとよとみみのみこと)」、「日本書紀」には「厩戸豐聰耳皇子(うまやどのとよとみみのみこ)」などなど、聖徳太子という通称の他にも様々な別名が記されています。
また、「豊耳聡聖徳(とよみみとしょうとく)」「豊聡耳法大王(とよとみみのりのおきみ)」「法主王(のりのぬしのみこ)」「東宮聖徳(ひがしのみやしょうとく)」などと記されている文献もあります。
「聖徳太子」という通称は、死後129年経った天平勝宝3年の「懐風藻(かいふうそう:現存する日本漢詩集で最古のもの)」が初出だと言われています。
聖徳太子の本名は、日本書紀に登場する呼び名の「厩戸皇子(うまやどのみこ)」です。より正確にいえば、「厩戸王(うまやどおう)」というのが正式な呼び名になります。
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東京を襲う大地震を予言するも根拠なし
「未来記(みらいき)」と呼ばれる、聖徳太子が残したのではないかと言われる予言書が存在します。日本に伝わる最古の歴史書である「日本書紀」には、聖徳太子について「兼知未然(兼ねて未然を知ろしめす、兼ねて未だ然らざるを知ろしめす:未来のことをあらかじめ知ることができる)」と記されており、このことが聖徳太子の予言だとされる由縁です。
平成から令和への代替わりはお祝いムードの中、無事行われましたが、その裏で平成最後の日にあたる2019年4月30日、または令和最初の日となる5月1日に、東京で大地震が起こるのではないかという噂が広まっていました。その根拠とされているのが、前述の聖徳太子が示したとされる予言「未来記」。ただ、30年近く前に出版された書籍で取り扱われた、出所不明のものであることがわかっています。
飛鳥時代の政治家としてその名が知られる聖徳太子。様々な未来を見通す不思議な力を持っていたと言い伝えられており、「未来記」もその力をもってして分かったことを記述したとされています。そんな聖徳太子が、このように言い残しているのです。
「私(聖徳太子)の死後200年以内に、山城国に都が築かれ、1000年に渡って栄える(=平安京)。しかし「黒龍」(=黒船)が訪れ、都は東に移される(=東京)。しかしその東の都は200年後、「クハンダ」が来て、親と7人の子どものように分かれるだろう」
「クハンダ」とは、仏教用語のひとつで、「末世に現れる鬼」という意味です。このクハンダによって東京がバラバラになるという記述が指し示す事実は、つまり、地震や津波などの大災害ではないかと考えられています。
2011年に東北を襲った東日本大震災の後から、この不吉な予言部分のみが体のいいように切り取られ、流布されてしまいました。未曾有の大災害と絡ませることで真実味を増した噂はTwitterやYouTubeなどのSNSを通じて、日頃こういった話に興味のない人々にまで拡散されてしまったのです。
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実在したのか?教科書から消えた聖徳太子
最近の教科書には、「聖徳太子」という名前は表記されていないことをご存知でしたか?
その存在自体は学ぶものの、現在は「厩戸王(聖徳太子)」という形で、カッコ付きの表記になっているケースが増えてきています。聖徳太子は、実は存在しなかったのではないかという説が唱えられおり、それが教科書での表記にも影響を及ぼしています。
聖徳太子が生前に行ったとされている数々の功績は、「冠位十二階の制定」「憲法十七条の制定」など有名なものにはじまり、「国史編纂」や「遣隋使の派遣」「仏教興隆(三経義疏、法隆寺・四天王寺の建立)」などなど、1人の人間がすべて成し遂げたにしては多すぎるものです。こうした理由で、「聖徳太子は実在しなかった」説が浮上することになりました。
真偽の程は今のところ定かではありませんが、この機会にもう一度、聖徳太子について勉強してみるのもいいかもしれませんね。
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