高畑勲(パクさん) 「かぐや姫の物語」で宮﨑駿を超えた?!

高畑勲(パクさん) 「かぐや姫の物語」で宮﨑駿を超えた!?

高畑勲  14年ぶり新作は製作期間8年「かぐや姫の物語」

スタジオジブリの高畑勲さんが監督した2013年11月公開「かぐや姫の物語」は同監督作品では「ホーホケキョ となりの山田くん」以来14年ぶりの新作となりました。
日本最古の物語とされる「竹取物語」をベースに、かぐや姫の犯した罪と罰を描く“誰も見たことがないかぐや姫”の物語で、美しい映像表現も見どころのひとつ。
企画がスタートしたのは2005年。高畑勲監督の作品企画において、鈴木敏夫プロデューサーは「竹取物語はいつか映像化すべき」と高畑勲さんが話していたことを思い出し、提案したそうです。
公開は宮﨑駿さん監督の「風立ちぬ」と同時の7月を予定していましたが間に合わず延期に。8年の間には、スタッフの変更、制作ストップ、出資者である元日本テレビ会長・氏家齊一郎さんや声優の地井武男さんの他界など紆余曲折を経てできた過程があります。
2012年6月に他界した地井武男さんは、2011年当時に作画完成前に声を吹き込むプレスコ形式によりほぼ収録を終えており、一部は三宅裕司さんが代役を務めました。

高畑勲 こだわりの美しい映像で宮﨑駿を超える評価も

国内で公開された当初、同年7月公開の宮﨑駿監督作品「風立ちぬ」と比較すると観客動員数や興行収入は「風立ちぬ」に軍配が上がりました。映画賞などの選評では「かぐや姫を生身の人間として描いた物語であり、心に刺さるリアルな物語。高畑勲監督は表現にこだわり抜き、日本アニメーション界の素晴らしい画家たちの力を結集させた」(毎日映画コンクール)という評価や海外の評価でも「物語の壮大な深さ、率直な誠実さ、そして極めて美しい映像」(ロッテントマト)、「日本アニメーションの驚異であり、手描きの絵画的な芸術性に満ちた叙事詩である」(ロサンゼルスタイムス)など、様々な高評価を得ています。
鈴木敏夫プロデューサーは、興行収入は高くなかったものの、公開から時間が経ってから観客が増加する「不思議な動き方」をしたことや高く評価する鑑賞者がいたと語り、高畑勲さんも「思いの丈をぶつけた映画」なので「ショックはありません」と語ったそうです。

高畑勲(パクさん) 宮﨑駿に思想的な影響を及ぼす

高畑勲 遅筆!? 映画製作に時間がかかる理由とは?

1935年10月29日、三重県に生まれ、岡山県岡山市で育ちました。
東京大学文学部仏文科に在学中、フランスの長編アニメーション作品に影響を受け、卒業後、東映動画に入社。テレビアニメ「狼少年ケン」で演出デビューします。「パクさん」というニックネームは、この頃、よく遅刻して食パンをパクパク食べていたことから付けられたとか。
後輩だった宮﨑駿さんとともに、Aプロダクションの後、ズイヨー映像(現・日本アニメーション)に移籍。「未来少年コナン」で初監督を担当した宮﨑駿さんを演出としてアシストしました。テレコム・アニメーションフィルムに移籍後、マンガ「じゃりン子チエ」の映画化で監督を務め、テレビ版ではチーフディレクターとなります。(「武元哲」名義)
1985年にスタジオジブリを設立したのは「天空の城ラピュタ」を制作するアニメーションスタジオを探していた際、高畑勲さんが「いっそのことスタジオを作ってしまいませんか」と提案したことから始まったそうです。
1988年公開「火垂るの墓」、1991年公開「おもひでぽろぽろ」、1999年公開「ホーホケキョ となりの山田くん」で監督を務めた後は公開作品がしばらくありませんでした。高畑勲さんはひとつの作品にかなりの時間を費やすそう。「となりの山田くん」が完成という時、オールラッシュを観た高畑勲さんは納得が行かず「作画からやり直します」と言い出したとか。
考え抜いて、こだわってひとつの作品を作っているというのは、制作期間が長いことからもわかりますね。

高畑勲 理屈っぽい!? 最高傑作を作れるワケ

物事の本質を学ぶことが好きだという高畑勲さん。「かぐや姫の物語」に取り掛かる際の鈴木敏夫プロデューサーとのやり取りで「かぐや姫は月の人なのに、数ある星の中でなぜ地球にやって来たのか」「なんで一定期間いて、月に戻ったのか」などと追求しながら作っていったそうです。
「あぁでもない。こうでもない」と考えを巡らせるタイプで理屈っぽいとか…
宮﨑駿さんと出会った東映動画時代、組合活動を通じて宮﨑駿思想的な影響を与えた他、演出面でも影響を与えたそう。宮﨑駿さんは、作品が完成したらまず高畑勲さんに見せたいと言うほど信頼を寄せ、高畑勲さんもまた、宮﨑駿さんの作品を評価しています。お互いに信頼している間柄なのですね。
2015年4月7日、フランスの文化勲章を受章し「最も親しみを感じている国から名誉ある勲章をいただき、大きな誇りを感じる」と喜びを語りました。高畑勲さんは去年「アヌシー国際アニメ映画祭」で「名誉クリスタル賞」を受賞した他「火垂るの墓」や「平成狸合戦ぽんぽこ」などが高く評価されるなど、フランスとゆかりの深い日本人監督です。
「フランスは、他の国の文化を受け入れられる土壌があり、私の作品が理解してもらえるのはフランスだと思っていました。受賞できてうれしいです」と喜びを語りました。

高畑勲が育った岡山県岡山市とは、どんなところ?

高畑勲が育った岡山県岡山市 大名庭園の後楽園

岡山市にある「後楽園」は、日本三名園のひとつに数えられる日本庭園(大名庭園)です。
江戸時代初期、岡山藩主の池田綱政によって造営され、国の特別名勝に指定されています。
広大な手入れが行き届いた庭園は、春の梅・桜、初夏はツツジ・サツキ、梅雨の花ショウブ、夏の大名蓮、秋には紅葉など、四季折々に楽しめる美しい光景です。
4月の第4日曜日(2015年は26日)には、岡山が生んだ茶祖、栄西禅師の偉業を顕彰する大茶会を開催、5月の第3日曜日(2015年は5月17日)には茶つみ祭、6月にはお田植え祭など様々なイベントや行事があります。

高畑勲が育った岡山県岡山市 夢二郷土美術館(本館)

後楽園近くには「夢二郷土美術館(本館)」があります。岡山は竹久夢二のふるさとであり、1984年竹久夢二生誕100年を記念して開館しました。赤レンガ造りの三角屋根の上には風見鶏がたっており、和洋折衷の建物は竹久夢二が活躍した大正時代の風情が感じられます。本館には、竹久夢二の作品や幅広い作家活動などを紹介し、企画展示なども年数回開催。本館から車で30分ほどの場所には「夢二生家・少年山荘(夢二郷土美術館分館)」があり、生家の建物や竹久夢二が東京に建てたアトリエの再現などがふるさとの自然とともに楽しめます。
高畑勲さんは遅筆とはいえ、こだわった作品には重みがあります。宮﨑駿さんが長編映画を引退した後、高畑勲さんの活動にも注目したいですね。

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