鉄腕アトム最終回「アトムの最後」が衝撃!感想あらすじネタバレ!
鉄腕アトム、アニメ平均視聴率30%?好調にもかかわらず最終回に至った理由は?
手塚治虫が世に送り出したSF漫画の名作『鉄腕アトム』。それは、21世紀の未来を舞台に、原子力をエネルギーとして10万馬力のパワーで動き、人間のような感情を持った少年ロボット、アトムが活躍する物語。アメリカでは、『ASTRO BOY(アストロ・ボーイ)』のタイトルで知られています。
1951年4月から翌年3月に連載された『アトム大使』が、その前身で、登場人物・アトムを主人公として、1952年4月から1968年にかけて、雑誌「少年」(光文社)に連載され、1963年から1966年にわたり、日本初の国産テレビアニメとしてフジテレビ系での放送が実現。この『鉄腕アトム』アニメ第1作は、平均視聴率が30%の大台を超える人気を獲得し、その後、世界各地でも放映に漕ぎつけています。『鉄腕アトム』の最終回としてよく知られているのが、アニメ版第1作目の「地球最大の冒険」。放送は1966年の大晦日でした。
アトムが危機に瀕した地球を救うために、太陽の活動を抑えるロケットを抱えて太陽に突っ込んでいくシーンが感動的だった最終回。当時の視聴率は好調でしたが、輸出先のアメリカで、テレビのカラー化によるモノクロの本作が売れなくなったことや、スポンサーの意向などの要因が重なったため、最終回という結論に至ったといわれています。この最終回には、当時の子供たちからの反響が大きく、続行を希望する手紙が殺到したそうです。
鉄腕アトム、もう1つの最終回『アトムの最後』の衝撃ネタバレ結末!「救いがなさすぎ」との感想も!
『鉄腕アトム』の最終回は、これだけではありませんでした。後日談として、衝撃的な別の最終回が用意されていたことが知られています。それは、「アトムの最後」。「救いがなさすぎ」、「未来の世界の年数は2055年」、「何となく70年代的な雰囲気」などの感想が寄せられる本作は、講談社から発売された別冊少年マガジン(現・月刊少年マガジン)の1970年7月号に掲載されました。
タイトルこそ「アトムの最後」ですが、主人公はアトムではなく、丈夫という青年。ガールフレンドのジュリーとの悲劇が中心的な内容を占めています。コロシアムで大人の人間同士を殺し合いさせる社会に育った主人公・丈夫は、真実を知り、コロシアムから逃亡して、ジュリーと共に生きる決意を固めます。追跡ロボットに追われて博物館に逃げ込んだ丈夫は、博物館で眠るアトムを目覚めさせ、追跡ロボットに立ち向かって欲しいと頼むのです。
事情を知ったアトムは、2人を助け、追跡ロボット勢と戦うことを決意しますが、その直前のアトムの言葉や、丈夫の前に現れたロボットたちの言葉から、ジュリーの衝撃の事実が徐々に明かに。アトムは追跡ロボットに挑みますが、あえなく一撃で破壊。そして逃げ場を失った丈夫は、ロボットによって殺害されるという衝撃的なラストシーン。手塚治虫自ら「陰惨でいやな気分になる」とした結末は賛否両論に分かれますが、一部では高い評価を獲得しています。
鉄腕アトムの誕生日や兄弟は?高田馬場駅に鉄腕アトムのメロディーが流れる理由とは?
鉄腕アトムの誕生日は2003年4月7日!兄弟は2人いる?
鉄腕アトムの誕生日は、原作の公式設定によると、2003年4月7日。製作者の天馬博士が、交通事故で亡くなった息子の「天馬飛雄」を思うあまり作成されたロボットだったため、当初は「トビオ」と呼ばれていました。人間とほぼ同等の感情と、さまざまな能力を持つ高いスペックを誇るロボットでしたが、ロボットの人間との大きな違いは、成長しないこと。それに気づいた天馬博士は、トビオをサーカスに売り飛ばしてしまいます。サーカス団の団長に「アトム」と命名されますが、その後、アトムの高い可能性に注目していたお茶の水博士に引き取られ、人間と同等の生活を送るように。
実は、アトムには兄弟は2人いるのです。それが、妹のウランと、弟のコバルト(アニメでは兄の設定)。なお、アトムと対決するライバルとして描かれるアトラスも、1980年版アニメではアトムの兄弟という位置付けが与えられています。劇中では、同じ設計図から生まれた兄弟と設定されており、青年の姿になったアトラスが、アトムから「兄さん」と呼ばれるシーンも登場しています。
鉄腕アトム、JR高田馬場駅で発車メロディーに採用された理由は?!実は高田馬場生まれだった!
鉄腕アトムの有名な主題歌が、JR東日本山手線の高田馬場駅での発車メロディーに採用されていることをご存じの方は多いでしょう。なぜ、鉄腕アトムの主題歌が、高田馬場駅で流されているのでしょうか?実は、高田馬場生まれとされているアトム。高田馬場は、作中の科学省の所在地でもあったため、アトムも高田馬場生まれということになるわけです。以前は、山手線ワースト1に挙げられるほど汚い環境だったという高田馬場駅周辺は、イメージアップを図るため、駅周辺美化運動をスタート。
その運動のイメージキャラクターとして、1976年から地元にオフィスを構えていた手塚プロダクションのキャラクターたちが最有力候補に挙がります。しかも、その中でもアトムは高田馬場生まれの設定……ということで、1998年に、アトムを初めとした主要キャラクターの壁画が、高田馬場駅に設置されました。
さらに、アトムの誕生日、2003年4月7日を記念して、地元の高田馬場では、「鉄腕アトムのテーマ曲をJRの発車音に」という機運が高まります。高田馬場西商店街が交渉に奔走した結果、アトムの誕生日2003年4月のみの期間限定で高田馬場駅の発車メロディーの採用が実現。しかし、これが大きな反響を呼び、JR側から継続使用の申し入れが入ったため、現在も引き続き発車メロディーとして流れているというわけです。
鉄腕アトム、手塚治虫「あれは僕のアトムじゃない」とヒーロー像を否定!本来のテーマと世間の評価にギャップ?
『鉄腕アトム』は、国民的なキャラクターとして今も人気です。「アトム=正義のヒーローロボット」としてのイメージが先行していますが、実は、生みの親である手塚治虫は、「鉄腕アトムはヒーローではない」と考えていました。アニメ主題歌の歌詞でも明るいイメージが定着していますが、手塚治虫は「あれは僕のアトムじゃない」とヒーロー像を否定していたと伝えられています。
実際、『鉄腕アトム』について、「初期の2、3年は書いていて楽しかった」としつつ、「アニメ化してから、怪物化したアトムを書いて苦痛だった」と苦悩の日々を振り返っていた手塚治虫。漫画原作を読めば、物語の世界観は、科学を賛美するような明るく単純なものではないことが分かるでしょう。
「先端の科学技術が暴走すれば、人類滅亡の引き金にもなりうる」という現代社会にも通じる重たいテーマが貫かれているのです。その中で、アトムは、万能な科学の力を持ちながらも、人間からの差別に直面し、時にはそのはざまで葛藤する姿が描かれます。決して「ヒーロー」としては描かれていません。しかし、戦後日本の経済発展にともない、科学技術崇拝の機運が高まるとともに、手塚治虫が本来伝えたかったテーマと、世間一般の評価のギャップは広がるばかり。
さらに、手塚治虫の思いと逆行するかのように、アトムが原子力発電所のPRキャラとして無断で使われ、冊子まで刊行された事例すらありました。「いまだにアトムは、実の息子以上に好きだ」との思い入れがあった手塚治虫にとって、アトムの存在がゆがめられるのは我慢ならないことだったでしょう。しかし、人類は先端技術を過信し、形は変われど、同じ轍を踏み続けます。手塚治虫がアトムを通じて発信してきたメッセージは、世の人々に永遠に伝わらないのでしょうか?そのようなことはないと信じたいですね。