鳥羽一郎・山川豊は演歌兄弟!生い立ちやプロフィールは?
鳥羽一郎は弟・山川豊のために漁師に!演歌兄弟が生まれた家庭環境とは?
鳥羽一郎は、海の男の匂いが漂う大ヒット曲「兄弟船」で有名な演歌歌手です。6歳下の弟は、「アメリカ橋」などのヒット曲で知られる演歌歌手の山川豊ですが、海の男たちの心意気や絆を力強く歌い上げる鳥羽一郎と違い、大人の色気たっぷりの歌声が魅力的。毛色は全く違いますが、鳥羽一郎と山川豊が同じ演歌歌手の道を進む過程には、まさに「兄弟船」というべき、熱い兄弟のエピソードがありました。
鳥羽一郎は、1952年4月25日、三重県鳥羽市に生まれました。本名は木村嘉平といいますが、デビューに際して、芸名に地元・鳥羽市の名を織り込むとは、いかにも熱い男です。鳥羽一郎は、父親は漁師、母親は海女という家庭に育ちました。父親がギャンブル好きだったため、生活は貧しく、借金のカタに家をとられたこともあったほどだったとか。
そんな中で、鳥羽一郎は、弟の山川豊や妹を高校に通わせるために、中学を卒業してすぐに漁師となり、常に命の危険と隣り合わせの遠洋漁船に乗るようになりました。
鳥羽一郎は弟・山川豊に触発されて演歌歌手に!デビューを巡る兄弟愛も熱かった!
鳥羽一郎は、漁師時代、荒れる大海原に出ては8カ月以上も戻らない苛酷な生活の中で、船村徹が作曲した「別れの一本杉」「なみだ船」を心の慰めにしており、歌うことが好きだったそうです。弟・山川豊が演歌歌手になるために上京すると、自身の気持ちを抑えきれず、27歳の時に自分も上京して船村徹の門を叩いています。
1981年に弟・山川豊が先にデビューし、その年の新人賞を総なめという華々しいスタートを切りました。日本武道館で行われた日本歌謡大賞の授賞式に、まだ修行中の身であった素人時代の鳥羽一郎が乱入し、山川豊と歓喜の抱擁を交わすというハプニングが生放送されたエピソードは、あまりにも有名です。
兄弟とはいえ、嫉妬してもおかしくない状況であるにもかかわらず、居酒屋のテレビで授賞式の様子を観て、つい会場へ駆けつけてしまうとは、鳥羽一郎の心根の熱さが伺えます。その男気溢れるイメージのまま、翌年、「兄弟船」で念願の演歌歌手デビューを果たした鳥羽一郎は、同年の新人賞を総ざらいしています。
鳥羽一郎のオススメしたい歌一覧!兄弟で親の介護を押し付け合い!?
鳥羽一郎は「兄弟船」や漁師唄だけではない!独特の哀愁漂うオススメ曲はコレ!
鳥羽一郎といえば、ねじり鉢巻きに長靴という漁師スタイルで歌う「兄弟船」が代名詞です。かつての鳥羽一郎が、「別れの一本杉」「なみだ船」を愛したように、今や「兄弟船」は、漁業従事者の心の拠り所。他にも、「北の鴎唄」「男の港」と、荒波が似合う男気ソングが人気となっています。同じ海をテーマにした歌でも、母親への想いを綴った曲は、また一味違う情緒が感じられます。
「兄弟船」も、父が残した兄弟船で荒波を越え、母に孝行しようという内容の歌詞がグッときますが、「海の匂いのお母さん」は、海女だった鳥羽一郎の母親を思わせる、優しい名曲。また、かなり意外ですが、「カサブランカ・グッドバイ」は、大人の男女の切ない別れが綴られており、鳥羽一郎が持つ海の男のイメージからは完全にかけ離れています。
弟・山川豊の分野である気もしますが、鳥羽一郎が歌うことで、男の不器用な背中が見えるような、独特の哀愁に胸が締め付けられる一曲となっています。
鳥羽一郎と弟・山川豊は親不孝息子だった?父親や母親に関する非情な発言でイメージ崩落か
鳥羽一郎の「兄弟船」をはじめ、数々の名曲には、「父親から受け継いだ海の男の血」「母親を思う息子」を思わせる歌詞が多く見られます。いきむように歌い上げる姿からは、無骨ながら親孝行な男という、好印象が与えられますよね。ところが、その鳥羽一郎が、TBS「私の何がイケないの?」に出演した際、弟・山川豊に、「親父の全財産をオマエにやるよ。親父付きでな」と大放言。山川豊のほうも、「あんな田舎の安い土地」と言い返しており、兄弟に対する世間の好感度が急降下してしまいました。
また、ある芸人によると、母親への想いを歌った名曲「海の匂いのお母さん」について、鳥羽一郎が、”死んだババアの歌”と言ったとか。しかし、鳥羽一郎が、父親の介護を弟に押しつけようとするばかりか、母親の死を何とも思わない非常な男ならば、弟妹のために命を賭してマグロ漁船に乗るとは思えません。心の内にある愛情と裏腹の言動をしてしまう、照れ屋で不器用な男といったほうが、鳥羽一郎のイメージとしては、しっくりとくる気がします。
鳥羽一郎の息子・木村竜蔵、木村徹二は揃って歌手に!兄弟デュオ「竜徹日記」結成!
鳥羽一郎には、1988年に生まれた息子がいます。息子・木村竜蔵によると、家での鳥羽一郎は、公のイメージ通り、シャイで寡黙な男だそうです。共演者をブーブークッションで驚かせるなど、お茶目な一面も持ち合わせていますが、口数が少ない上に、喋らせると言葉足らず。静かに昔気質の男らしさを讃える鳥羽一郎の背中を見て、木村竜蔵は、父親と同じ音楽の道を歩くようになりました。
しかし、「同じ土俵では勝てない」と、畏敬の念を抱いており、歌だけではなく、作曲の勉強を熱心に行ったそうです。2014年に発売された親子の初共演作「晩夏」は、木村竜蔵曰く、鳥羽一郎から、「この詞に曲をつけてくれ」とだけ告げられ、何の気のなしに作曲したものなのだとか。
不器用な父親なりの、息子に対する応援のつもりだったのかもしれませんね。鳥羽一郎のもう1人の息子、木村竜蔵より2歳下の木村徹二もまた、2016年8月に歌手デビューしており、それと同時に「竜徹日記(りゅうてつにっき)」という兄弟デュオが誕生しています。
兄弟デュオ結成には、「俺には相談はなかった」と苦笑い気味の鳥羽一郎ですが、音楽という名の”兄弟船”に乗り込んだ息子たちを、きっと誰よりも誇らしく思っているはずです。弟・山川豊と切磋琢磨し、35年前に「兄弟船」でデビューした自分の身を重ねると、より感慨深いことでしょう。