上田藍(トライアスロン)くも膜下出血からの復活!感謝ノートでリオオリンピックを引き寄せる
上田藍(トライアスロン)くも膜下出血から復活!
上田藍(トライアスロン)は、1983年10月26日生まれの32歳。京都府京都市出身のトライアスロン選手です。身長155cmで、体重44kgと、スポーツ界ではかなり小柄な体格の上田藍は、爽やかな笑顔も人気で、トライアスロン界の「藍ちゃん」と呼ばれています。
京都市立加茂川中学校では、水泳部に所属しますが、走るのも得意だった上田藍は、全国中学駅伝メンバーに選ばれました。京都府立洛北高等学校では、駅伝メンバーに選ばれた経験から陸上部に入部。3年生になってから、トライアスロンを始めたそうですが、この時点では、目立った成績は残していません。トライアスロン選手として、初めての出場となった北京オリンピック後の2010年4月のことです。石垣島で行われるW杯に出場するため、現地でバイク練習をしていた上田藍は、側溝に転落し、頭部を強打。「外傷性くも膜下出血」を発症してしまいました。
しかし、日頃のトレーニングによって鍛え込まれた強靭な肉体がものをいったのか、奇跡的に回復をとげた上田藍は、競技へも、かなり早い段階で復活。頭を4針縫うケガで済んだとはいえ、転落前後の記憶がなくなっていたといいますから、回復できて本当に良かったですよね。
上田藍(トライアスロン)の感謝ノートには・・・?リオオリンピックで金メダルも引き寄せられるか?
上田藍(トライアスロン)には、毎日続けている「感謝ノート」の習慣があります。上田藍の「感謝ノート」とは、目標達成を感謝する言葉を記すノート。高い目標を掲げた人が、明るい未来をイメージして、モチベーションを持ち続けるためのツールといえるでしょう。
モデルの道端ジェシカも「感謝ノート」をやっていたことで有名ですね。上田藍が「感謝ノート」をつけ始めたのは、23歳だった2006年から。毎日欠かさず書いているという「感謝ノート」ですが、2008年、北京オリンピックを17位で終えた上田藍の「感謝ノート」には、「2012年8月4日、ロンドンオリンピック金メダルを勝ち取ることができました」と書かれています。
そして2度目の出場となった2012年ロンドンオリンピック本番は、39位と大きく順位を落としたのですが、上田藍の「感謝ノート」には、すでに「リオオリンピックで金メダルを獲得できました。ありがとうございました」との言葉が。その後も、毎日、リオオリンピックで金メダルが獲得できたことへの感謝を書き続け、でモチベーションをあげてきた上田藍。2016年リオオリンピックに出場を決めた上田藍は、この「感謝ノート」を、お守りとしてリオに持っていくそうです。
上田藍(トライアスロン)東京マラソンの結果は?トライアスロンを始めたワケ
上田藍(トライアスロン)が初めてのフルマラソン!東京マラソンの結果は?
上田藍(トライアスロン)は、2013年2月に行われた東京マラソンに、チャリティランナーとして出場しました。トライアスロン選手として過酷なレースをしているとはいえ、トライアスロンでのランは10kmです。42.195kmは、上田藍にとって未知の世界。しかし、もともと走ることが得意な上田藍は、2時間52分25秒という、初マラソンとは思えない記録を叩き出しました。
35kmからが壁といわれるフルマラソンですが、38km地点での上田藍は、笑顔で通過していていくなど余裕を見せていました。結果は女子総合28位、一般女子では2位という好成績を収めた上田藍。しかもフルマラソンを走ったその足で、埼玉まで講演の仕事に行ったとのことですから、やはりトライアスロン選手です。こうしたエピソードからも、上田藍が、スタミナ面で超人的な強みを持っていることが分かります。
上田藍(トライアスロン)がトライアスロンを始めたわけは?
上田藍(トライアスロン)が、4歳のときに始めたのは、スイミングでした。中学校でも、上田藍の兄が所属していたことから、水泳部に入部。水泳では、特に目立った成績は残していませんが、走ることが得意だった上田藍は、陸上や駅伝に駆り出されると、優れた成績を収めました。その結果、中学校時代の上田藍は、水泳と駅伝の二足の草鞋で活躍。高校へ進学すると、陸上部で3000mを走っていましたが、ここでもインターハイに出場するなどの目立った記録はないようです。
上田藍がトライアスロンに出会ったのは、高校3年生のとき。進路を考えた時、スポーツ選手を希望した上田藍は、走るのは得意でも、陸上競技には自信が持てず、水泳も特別速く泳げるわけではない……という中、水泳と走ることが一緒になったトライアスロンの道へ進むことを決めたのです。運命を決めた決断でしたが、この時点では、上田藍本人も、トライアスロンで、自分がオリンピックに出るとは思っていなかったのではないでしょうか。
上田藍(トライアスロン)の父が描いたリオオリンピックへの夢のイメージは「コパカバーナ」
上田藍(トライアスロン)は、3度目のオリンピック出場を決め、「感謝ノート」には、「金メダル」の文字をはっきりと刻みつけています。2016年7月、オリンピック前最後の実戦であった、世界選手権シリーズ第7戦で、7位入賞した上田藍は、1年に10大会開催されるシリーズ大会で、5大会連続入賞を果たし、世界ランキング4位というポジションに昇格しています。これは、スイム(水泳)のフォーム改良によって、スタミナを維持できるようになったことが大きな要因だったようです。
バイク練習時の転倒により外傷性くも膜下出血に見舞われた上田藍は、スポーツができることへの感謝の気持ちが高まった上、トライアスロンへの取り組み方をじっくり考える時間にも恵まれたといいます。その結果、スイムのフォーム改良につながったことを考えれば、怪我の功名といえるのかも知れません。そうしたポジティブ思考も「感謝ノート」のおかげなのかもしれませんが、アスリートに必要なメンタルの強さと、競技を楽しめる思考スタイルは、上田藍の持ち味であり強みといえるでしょう。
間近に迫ったリオオリンピックに向け、所属チームによる壮行会の席に着物姿で登場した上田藍。実は、上田藍がまとっていたのは、手描き友禅の職人である上田藍の父親が作った着物です。そこには、リオにある有名な海岸「コパカバーナ」の空と海と波をイメージした絵が描かれ、帯には、オリンピックを意識した七宝五色と、縁起を担いだデザインでした。上田藍の父親は、金メダルを獲って、天皇皇后陛下の園遊会に招かれることを想定しながら作ったそうですが、これは、まさに上田藍が「感謝ノート」に書く成功のイメージと同じです。上田藍親子の成功のイメージが現実になることを信じて、トライアスロンを応援したいですね。